戸川昌子が高齢出産した息子・NEROは夫の子供じゃない!?

戸川昌子が高齢出産した息子・NEROは夫の子供じゃない!?出典:https://middle-edge.jp

戸川昌子が高齢出産した息子・NEROは夫の子供じゃない!?

戸川昌子が46歳で息子NEROを高齢出産も、その父の存在は謎

戸川昌子といえば、エキゾチックな顔立ちに、トレードマークのアフロヘア。売れっ子ミステリー作家として、文化人として、昭和の時代に異彩を放った存在です。先日、85歳で亡くなった戸川昌子は、恋多い女として奔放な暮らしを続けていました。

しかし、結婚など決してしないように思われていた戸川昌子は、1977年46歳の時、いきなり高齢出産を公表し、世の中を驚かせます。戸川昌子は無事に男の子を出産したものの、父親は、年下の一般男性ということだけで、ついに公表されることはありませんでした。その後、NEROと名付けられた戸川昌子の息子は、シャンソン歌手としてデビュー。母である戸川昌子とともに、ライブ活動を行っていました。

戸川昌子の「青い部屋」は、昭和の文壇バーでありマイノリティの巣窟だった

戸川昌子の「青い部屋」とは、彼女が切り盛りしていたシャンソン喫茶のことです。作家や編集者、ジャーナリスト、映画や演劇関係者、役者、芸術家などが集う、文壇BARと呼ばれる店が数多く存在し、サブカルチャーのコミュニティとして機能していた昭和の時代。

そんな店のひとつとして、シャンソン喫茶「青い部屋」があったのです。「青い部屋」は、かの大作家三島由紀夫や川端康成、野坂昭如、ゲージツカの岡本太郎に、なかにし礼、美輪明宏から寺山修司まで、そうそうたるメンバーが顔を出す文壇BAR的要素に加え、現在のように、まだ社会的に認められていなかった、セクシャルマイノリティが夜な夜な集う、妖しげな店でもありました。

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そんな店を切り盛りしていたのが、戸川昌子です。戸川昌子が、一般に知られるようになったのは、店の仕事の傍ら書いた小説「大いなる幻影」が、第8回江戸川乱歩賞を受賞したため。それは1962年、戸川昌子が27歳の時でした。そして翌年には「猟人日記」で直木賞候補となり、以後、戸川昌子は、ミステリー作家としての顔も持ち続けることになります。

戸川昌子シャンソン教室「青い部屋」の今!家がゴミ屋敷って本当!?

戸川昌子の「青い部屋」は、日本有数のシャンソン喫茶でもあった

戸川昌子の「青い部屋」は、文壇BARとしてだけでなく、シャンソンのライブハウスとしても有名でした。シャンソンとは、ざっくりいえばフランスの流行歌ですが、日本では、昭和20年代後半から、一部の知識人や文化人の間でブームとなり、シャンソン喫茶「銀巴里」が昭和26年に開店します。この店で歌っていたのが、「ヨイトマケの歌」で世に衝撃を与えた美輪明宏でした。

そして、美輪明宏にシャンソン歌手として見出されたのが、戸川昌子だったのです。「青い部屋」は、日本有数のシャンソン喫茶店でもありましたが、その時代時代の社会的、性的マイノリティが集う店としても、時代の最先端にありました。
戸川昌子も、時代が過ぎれば、ただのゴミ屋敷のおばあさん?!

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戸川昌子とともに、昭和60年代、70年代と、日本が揺れ動いた時代を共にした「青い部屋」でしたが、主人も歳をとり、時代もまた移り変わりました。2015年、久々にテレビに登場した戸川昌子は、ごみ屋敷に住んでいる、ちょっと変わったおばあさん、といった紹介のされ方でした。

……かつての戸川昌子を知っている人たちにとっては、時の流れの感じずにはいられなかったことでしょう。番組で、戸川昌子自身が、「疲れ果てた今、さっぱりしすぎた部屋でぼんやり……、囲まれていたゴミ類が捨てられた分だけすきま風……」と、ひとり事のようにつぶやいていたのが、ひどく印象的でした。

戸川昌子の「青い部屋」は、「移動式青い部屋」として息子NEROが引き継ぐ

戸川昌子は、この4月26日、胃がんのため亡くなりました。享年85歳。息子のNEROによると、戸川昌子は、すでに5年前に末期がんの宣告を受けていましたが、NEROと話し合い、最後までステージで歌い続けたいという本人の意志を尊重して、入院する前日まで、息子と共にステージに立っていたそうです。

「青い部屋」が2010年に閉店してからは、息子であるNEROがその精神を受け継ぎ、「移動式青い部屋」というコンセプトのもと、全国各地で、シャンソン・キャバレーイベントを開催してきました。最後まで舞台に立ち続けた戸川昌子は、自らの生き方を貫いた人生であったといえますし、その血を見事に息子NEROに受け継いだともいえるでしょう。

昭和の芸能文化の中でも、シャンソンは異端の存在であり、また仇花ともいえます。2000年代を越えて、もはやタブーが存在しない現代。マイノリティは、LGBTとして社会的に認知されましたが、それと同時に、サブカルチャーとしての先進性や批判精神は、多分に去勢された感があります。

戸川昌子自身は、46歳のときに産んだ息子NEROとの、濃密な母子関係を通して、その異端性を維持し続けてきたのかもしれません。60年代や70年代のサブカルチャーは、ある意味、その時代の健全性を表しているといえますね。

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