所ジョージ、バイクで負傷!事故場所は世田谷ベース?!

所ジョージ、バイクで負傷!事故場所は世田谷ベース?!

2022年5月24日 更新

所ジョージは人生の達人。芸能界は、諦観とありのままに

所ジョージ、バイクで事故って、記者は、目がテン

所ジョージが、この春から司会を務めるNHKバラエティー「所さん!大変ですよ」の記者会見で、バイク事故を起こしたと発言し、取材にきた記者たちを驚かせました。なんでも1月に、いつものように世田谷ベースでバイクに乗ろうとした時、壊れていたキックペダルが右足を直撃したそうです。所ジョージは、「2カ月ぐらいふくらはぎがパンパンに腫れたんで、松葉づえを使ってた。でも医者に通わず治ったから不死身だな、俺。」と高笑い。集まった記者たちを煙に巻いていました。

所ジョージの世田谷ベースは、大物芸能人たちの駆け込み寺

BSフジの人気番組「所さんの世田谷ベース」で、すっかり有名になった世田谷ベースとは、世田谷区成城にある彼の仕事場兼遊び場として作ったガレージのこと。ここはまさに大人のおもちゃ箱といった感じで、アメ車やバイクが何台も並び、アメリカのビンテージ雑貨が所狭しとあふれています。また広大な家庭菜園もあって、最近では、ビートたけしやヒロミ、とんねるずの木梨憲武など、錚々たる仲間が集う憩いの場ともなっています。彼のベースは、北海道や沖縄、山中湖や八王子にもあります。例えば沖縄は、東京ドーム3個分の広さの庭と豪華な屋敷があります。ビートたけしの映画アウトレイジでは、やくざの親分の家として撮影に使われました。たけしは、屋敷を爆破できないかと頼んだそうですが、さすがの所ジョージもこれは断ったそうです。年収3億円、こどもの夢のような生活を、いとも普通に暮らす所ジョージとは、いったいどんな男なのでしょうか。

所ジョージ、お気楽キャラの裏にある普通の暮らし

所ジョージの普通ではない、普通の生活

所ジョージ、なんと今年還暦の60歳。宇崎竜童のダウンタウンブギウギバンドの坊やから前座を経て、1977年、シンガーソングライターとしてデビュー。同時にオールナイト日本のパーソナリティにも起用されました。革ジャンにジーパン、サングラスというアメカジファションに、力の抜けた独特の風貌と、もはやコミックソングともいうべきとぼけた歌で、たちどころに人気者となります。
しかし彼はTVで活躍すればするほど、そのお気楽なキャラクターとは真逆に、出演する番組に真面目に取組み、スタッフと意見が合わず降板した番組も数多くあることはあまり知られていません。こうして、彼独特の、別にどーでもいいじゃんといった諦観さえ感じられるスタイルが確立していきます。そして決してプライベートを切り売りしない自分生活を目指すようになります。それが、表に出すことなく守ってきた奥さんや娘さんの存在であり、世田谷ベースでの暮らしなのです。今、たけしやさんまなどがこぞって、所ジョージと交流を重ねるのは、タレント所ジョージとしてではなく、1人の大人の男としての充実した暮らしがそこにあるからなのでしょう。

所ジョージの名言は、ありのまま♪

「自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。私も含めて、皆バカなんだから、早くバカに   気付かないと。バカだってわかれば人間慎重になるから」
「人間は頭がいいから、明日のこととか、来年のことを考えちゃうでしょ。そうじゃなくて、もうちょっとばかになって、今日のことしか考えられないと、幸せになりやすいのにね。」
所ジョージは、日本一の無責任男、スーダラ節で一世を風靡したコメディアン植木等をリスペクトし、生前交流があったそうです。植木等は僧侶の息子で、根はいたって真面目。自分がコメディアンであることを深く悩んだとき僧侶である父が、それもまた衆生を救う道であると説いたとか。所ジョージは、平成の植木等になることはできるか。いや、所ジョージはこれからも、ありのー♪ままのー♪、存在で居続けるでしょうね。

所ジョージの出身地、埼玉県所沢市ってどんなとこ

所ジョージも歩いていたプロぺ通り

これまで所沢市と言えば、所ジョージでしたが、最近、観光大使にオードリー春日がなったそうです。それはさておき、所ジョージの後がなかなかでてこない所沢市は、元は、江戸時代より整備された広大な農地と、アニメ「となりのトトロ」の舞台となった狭山丘陵が広がる自然豊かな土地でした。それが今では、なんと居住者の4分の1が東京で働くというベットタウンとなりました。西武線所沢駅の駅前にはプロぺ通りを中心に巨大な繁華街があります。このプロぺ通りとは、日本で最初に飛行場ができた所沢で、その飛行機のプロペラにちなんで名づけられたそうです。

所ジョージもきっと食べた、かてうどんに焼きだんご

所沢市の名物といえば、うどんに焼きだんご。所沢は火山灰土の耕地で水田がほとんどなく、代わりに麦が多く作られ、古くから手打うどんが食べられていました。季節の野菜をさっとゆでた糧(かて)を、うどんと一緒につけ汁につけて食べる、かてうどんで有名です。
焼きだんごは、米粉を練って丸め、蒸したものを竹串にさし、醤油を塗って焼いただんごで、香ばしい香りと素朴な風味がたまりません。市内のあちこちに味自慢のだんご屋がいっぱいあります。名産の狭山茶といっしょに味わえば、気分はもう江戸時代です。

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