富野由悠季 エヴァを批判する老害!?年収、家族は?名言、語録で富野節全開!

富野由悠季 エヴァを批判する老害!?年収、家族は?名言、語録で富野節全開!

富野由悠季はエヴァや声優を批判する老害!?

富野由悠季。「日本ロボットアニメ界の御大」

アニメを見てきた人、とりわけ「ガンダム」に触れたことがある人ならば、この人の名は避けて通れません。それが富野由悠季。鉄腕アトムの制作に携わったのち、サンライズにて「機動戦士ガンダム」を筆頭に数々のロボットアニメーション作品を手がけた時代を作った男なのです。本人のキャラクターもあるのでしょうが、やはりここまでの実績を作ってしまうと、富野由悠季が発した一言というだけで大騒動になることもしばしばです。

富野由悠季の持ち味は「歯に衣着せぬ発言」?

「声優が汚れきっている」「エヴァが、僕みたいな年代とか僕みたいな感覚を持つ人間から見た時に、あのキャラクターは生きているキャラクターではないと感じます」とにかく歯に衣着せぬ発言が名言としてもとりあげられる富野由悠季。アニヲタを敵に回すような発言も多々あるわけですが、これは考えようによっては自分の手がけてきたことに絶対の自信があるからこそなせる技なのでしょう。「俺の作った味に文句があるか!」という板前やラーメン屋の頑固店主のような人種と同じ系統と考えるとわかりやすいかもしれません。若い世代にはそれは鬱陶しく感じ、富野由悠季の存在を「老害」と呼ぶものもいるようですが、「だったら俺を越えてみろ、俺を!」と即座に反撃されることは必至でしょう。

富野由悠季の年収、家族は?名言や語録、インタビューでは富野節全開!

富野由悠季の恨み節?二人の娘は?

アニメクリエーターの年収は世間が驚くほどでもないとの噂ですが、富野由悠季にいたってはガンダム関連の権利を会社に売り渡しているとの話もありますので、想像するような稼ぎはないというのが実情でしょう。権利を売り渡した会社側に恨み節を漏らしたこともあれば、ある芸能人との対談では、自分に入らないガンダムが産みだした金額を考えたら鬱になったとの発言も。そんな富野由悠季は娘二人の4人家族。長女はトヨエツや津田寛治が研究生として所属していたこともある「演劇集団 円」で文芸・演出を担当する富野アカリ。次女はダンサーで振付家でもある富野幸緒。次女の幸緒は父の作品でもある「ガンダム Gのレコンギスタ」のアイキャッチの振付けを担当し、これが親子初の共同作業だったのだそう。文芸に振付家。それぞれ道は違えども、クリエイターという意味では親子の血は争えないといったところでしょうか。

富野由悠季の代名詞は「富野節」

声優やエヴァに関する発言だけでも充分に名言足りうる富野由悠季の「富野節」は炸裂しているわけですが、もはや「富野由悠季の富野語録」という一冊の本ができあがるぐらいの破壊力を持っています。「富野節」は富野由悠季本人がインタビューなどで語るときの独特の言い回しという意味合いもありますが、作品の中に登場するセリフに関しても「富野節」という表現が使われています。様々な作品でよく登場する「富野節」では、「うかつな!」とか「この感じ」がかなり有名です。文法的には倒置法や反復法をよく利用している節もありますが、富野節の最大の特徴はどこか日本語っぽくない言い回しです。普通に会話をしていたらそのセリフでは意図が伝わらないんじゃないか?そのギリギリの「あいまい日本語」が富野由悠季の「富野節」なのです。

富野由悠季を越える人物、ガンダムに勝てるコンテンツは現れるのか?

バンダイナムコホールディングスの2015年通期決算。昨年よりも11%以上の伸びを見せる好調ぶりですが、キャラクターごとの収益を見た時に、あの「妖怪ウォッチ」ですら、ガンダムというコンテンツを越えることはできなかったのです。「『機動戦士ガンダム』は娯楽に過ぎず、人生の指針や教訓になるような大そうなものではないし、そのようなものはない」と発言している富野由悠季の意図に沿う形ではなかったかもしれませんが、世代を越えてつながるガンダムはやはり最強コンテンツなのです。その生みの親である富野由悠季を越える人物が今後出てくることは稀有なことでしょう。監督、脚本、演出、作詞、小説、デザインetc……ひとりでこれだけのことをこなせてしまうわけですから。これは、宮﨑駿や押井守にも当てはまる話です。彼らのような大御所が表舞台にいる以上、同じ土俵で越えることは難しいのです。スポーツの世界のように「勝ち負け」がハッキリ結果として残るわけではありません。視聴率、観客動員、売上と数値化できる指標はあっても、その作品を見た人々の心にどれだけのものを刻みつけることができたのか?こればかりは、数値化することも第三者が判断することもできません。もし富野由悠季を越えるような人物が出てくるとすれば、それは富野由悠季がまったく描くことのできない世界観を表現し、それが一過性のブームではなく、長期的視点で受け入れられるものをつくり上げることができる。そんな条件が課されるのではないでしょうか。

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