内田篤人のシャルケ04時代や移籍歴は?結婚した嫁とは20年越しの恋だった!

内田篤人がシャルケ04で過ごした7年間を振り返る!怪我に悩まされ続けるサッカー人生!

内田篤人は日本屈指の右サイドバック!しかし怪我に泣かされたサッカー人生!

内田篤人は、ベルリンを本拠地にするドイツ2部のFCウニオン・ベルリンに所属するプロサッカー選手です。以前は、Jリーグの鹿島アントラーズ、ドイツ1部のシャルケ04で活躍していました。海外で活躍する日本人サイドバックのパイオニアとして、イタリアで活躍する長友佑都と共に長く日本代表をけん引し、2014年のFIFAワールドカップブラジル大会では全試合にフル出場しています。

内田篤人は、圧倒的な身体能力はないものの、高い足元の技術と戦術眼を持ち、ゲームメイク能力が高い右サイドバックです。しかし、内田篤人のサッカー人生は、常に怪我の繰り返しでした。2010年頃から太ももやひざのケガに悩まされ、たびたび離脱。2014-2015シーズンには強行出場の無理がたたり、膝蓋腱を負傷。右膝にメスを入れることになり、公式戦に復帰するまでに約1年9カ月を要しました。2017年8月にドイツ2部のFCウニオン・ベルリンに移籍した後も怪我に悩まされ続けています。

内田篤人がシャルケ04で過ごした7年間を振り返る!盛大なセレモニーが行われる!

内田篤人は、Jリーグの鹿島アントラーズで5シーズンプレーした後、2010年7月に、ドイツ1部の強豪シャルケ04へ移籍。移籍初年度にUEFAチャンピオンズリーグでベスト4入りしたチームの原動力となり、一気にファンの心をつかむと、玄人好みされるプレーで「ウシ」の愛称で親しまれました。結局、シャルケ04では7年間8シーズン在籍し、152試合の公式戦に出場しています。

しかし2017年8月、度重なるケガで出場機会が減った内田篤人は、出場機会を求めて移籍を選択しました。移籍先は、かつてシャルケ04で指揮を執ったイェンス・ケラー監督のいるドイツ2部のFCウニオン・ベルリン。2017年9月10日には、シャルケ04のホームで内田篤人の退団セレモニーが行われ、サポーターから盛大な内田コールが送られています。

外国人選手が移籍後にこのようなセレモニーを行われることは異例中の異例です。内田篤人が、スタッフやチームメイト、サポーターからとても愛されていたことがうかがえます。

内田篤人が結婚した嫁とは20年越しの恋だった!出身地や学生時代など、プロフィールをおさらい!

内田篤人が結婚した嫁とは!?20年越しの恋だった!?

内田篤人は、2015年5月25日に、テレビ静岡で働いていたという幼馴染の一般女性の榎田優紀さんと結婚しました。2016年秋には長女も誕生し、ホームスタジアムで娘を抱きながら観戦する様子が、シャルケ04の公式ページで公開されています。内田篤人の結婚と長女誕生は、時間が経ってから突然公表されました。「不言実行」をモットーとする内田篤人らしいと言えばそれまでですが、俳優並みに甘いマスクでも人気の高い選手だけに、SNSには女性ファンの悲鳴が溢れたとか……。

内田篤人は、2017年7月5日に放送された日本テレビ系「今夜くらべてみました」に出演して、嫁との馴れ初めを明かしています。同じ小・中学校に通っていた頃から密かに思いを寄せ、社会人になった頃には漠然と「結婚するんだろうな」と思っていたそうです。ドイツから電話して告白するも、1度は振られたという内田篤人ですが、その2週間後に嫁から電話をもらって交際することになったことなどを赤裸々に語りました。まさに20年越しの恋が実った形ですね!

内田篤人の出身地や学生時代など、プロフィールをおさらい!

内田篤人は1988年3月27日生まれ、静岡県田方郡函南町出身です。函南西小学校、函南中学校を卒業後、サッカーの強豪校として有名な清水東高校に進学します。清水東高校は県立の進学校でもあるため、将来の大学進学も視野に入れての選択でした。中学校時代は目立った活躍がなかった内田篤人ですが、高校卒業時には7~8クラブから興味を示され、2006年に鹿島アントラーズに入団。

名門鹿島アントラーズで、史上初となる高卒ルーキーのリーグ開幕スタメン出場を果たした内田篤人は、身長176cm、体重70kgと、日本人サイドバックとしては恵まれた体格でブレイクします。2008年1月26日のキリンチャレンジカップチリ戦で日本代表デビューすると、2008年の北京オリンピック、2010年、2014年のFIFAワールドカップでも日本代表に選ばれました。この2008年から2015年にかけて国際Aマッチに74試合出場しています。

内田篤人が近況を激白するもまた怪我で離脱!復活はあるのか?

内田篤人は、FCウニオン・ベルリンに移籍して約2カ月後、メディアに近況を語りました。9試合を終えた時点で出場したのは、フル出場1回と途中出場1回。戦績は、2試合を通して1アシストでした。移籍前から、元オーストリア代表のクリストファー・トリンメルが同じ右サイドバックにレギュラーとして君臨していることは分かっていたものの、ここまでは、少し物足りない出場機会と言えるでしょう。

ライバルのクリストファー・トリンメルが好調で、FCウニオン・ベルリンも1部昇格を狙える順位にいる現状から、なかなか出場機会を得られないのは仕方のないことかもしれません。内田篤人は、この現状を理解しつつも、「自分には時間がない」と珍しく危機感をにじませました。この状況を打開するには時間とチャンスが必要であり、それが得られないならば移籍も視野に入れなければならないと語っています。

そんな内田篤人にさらなるアクシデントが!このインタビュー直後の2017年10月16日の練習中に左太もも裏の肉離れを起こし、チームから離脱してしまいました。これは、くすぶり続ける日本代表復帰待望論も遠のく痛い故障と言えます。しかし、これまで何度も再起不能説が囁かれながらも復活してきた内田篤人。今後の内田篤人のドイツからの逆襲に期待しましょう!

関連記事

ページ上部へ戻る