内館牧子は終わった人?脚本ドラマ「エイジハラスメント」の視聴率は?

内館牧子は終わった人?脚本ドラマ「エイジハラスメント」の視聴率は?出典:http://www.bsfuji.tv/tatsumi/index.html

内館牧子は終わった人?脚本ドラマ「エイジハラスメント」の視聴率は?
内館牧子は朝ドラ「ひらり」で、若貴相撲ブームとともにブレイク
内館牧子は、1948年生まれの67歳。長く三菱重工業のOLとして務めた後、1987年に脚本家としてデビューしました。内館牧子は、この長い会社勤めを活かし、女性の社会進出や会社勤め、結婚や家庭での暮らしぶりをリアルに描ける脚本家として、世紀末から2000年代初めにかけて大活躍。世が大相撲の若貴ブームに沸いていた1992年秋には、時を同じくして、両国の相撲部屋周辺を舞台にした、NHK朝のテレビ小説「ひらり」がスタートしました。主題歌のDREAMS COME TRUE「晴れたらいいね」とともに、ドラマは大ヒットします。このドラマの脚本を書いたのも内館牧子です。自他ともに認める相撲好きだった内館牧子は、2000年から10年間、女性初の横綱審議委員を務め、力士の品格問題などで相撲界に一石を投じるように。最近では、文化人としての活動が多くなっていることからか、脚本家としては終わったのではともいわれているようです。
内館牧子が10年ぶりに書いたドラマ「エイジハラスメント」が大ゴケの理由
内館牧子が2008年に書いた小説が「エイジハラスメント」。2015年7月、「エイジハラスメント」は、テレビ朝日で、本人の脚本によりドラマ化され話題を呼びました。しかし期待とは裏腹に、視聴率は10%に届かない結果に。ドラマのテーマはずばり、「エイジハラスメント」。つまり、企業内の年齢差別や嫌がらせを通じて、女性同士の戦いや友情を描こうとしていたようです。もはや一般企業では、女性だけでなく男性社員であっても、年齢は関係なく、いつ降格や左遷、リストラの対象にもなりかねない最近の状況。これを踏まえた上で、内館牧子はこのドラマの脚本に取り組んだようですが、ヒロインを始めとするキャスティングに、全くリアリティが感じられず、内館牧子の脚本も上滑りしたようです。

内館牧子の顔が怖いのは病気のせい?将棋世界の連載記事も怖い!?
内館牧子の顔が怖いのは、心臓疾患で大病のせい?
内館牧子は、獅子頭のような大ぶりな顔で、なかなかインパクトがあります。横綱審議委員会では、横綱朝青龍の品格について、徹底して批判を続け、他の委員もたじたじであったとか。そんな女丈夫の内館牧子でしたが、2008年12月、心臓弁膜症で倒れ、緊急入院して手術を行い、4カ月ばかり治療に専念しています。最近では、もともと大ぶりな顔が闘病により痩せて少したるんだのか、内館牧子の顔がより怖くなったという、身も蓋もない指摘も。そんな内館牧子は、相撲に限らずプロレスなどの格闘技、また将棋などの勝負事も好きなようです。
内館牧子が書いた「将棋世界」のコラムが、訴えられる!
内館牧子といえば、最近では、将棋ソフトの開発者が対局したプロ棋士に対して失礼な発言をしたと、「将棋世界」の自身のコラム「月夜の駒音」に投稿。ソフト開発者が逆に、コラムを書いた内館牧子と「将棋世界」の出版元であるマイナビ、将棋連盟を名誉棄損で告訴しました。結果は、内館牧子側の全面敗訴。内館牧子にとっては、横綱審議会のようにはいかなかったようです。内館牧子は、脚本家というよりは、すでに文化人としての地位を確立していますが、テレビの脚本家としては、もう過去の人なのかもしれません。しかし、テレビ自体の視聴率が落ち、若者のテレビ離れが久しい現在、テレビドラマ作りは、ますます難しい現状があるようです。

内館牧子の臨死体験に、黒柳徹子もびっくり
内館牧子は、2015年7月のドラマ「エイジハラスメント」の放送に合わせ、「徹子の部屋」に出演し、近況を語りました。心臓病で倒れるまでは、生活時間もめちゃくちゃで暴飲暴食を続けていたそうですが、今は、毎日朝早く起きて、仕事も午前中から夕方までに済ませているそうです。食事も健康に心がけ、家庭菜園作りも行っているとか。興味深かったのは、内館牧子は、心臓麻痺で倒れて2週間意識がなかったときのエピソード。その時、内館牧子は、夢というか臨死体験をしたそうです。屋上に上がると、白い車に乗った人たちがおり、みんなはその車にのって夜祭に行くのだとか。内館牧子はというと、まだ昼なので、出かけるまで時間があると言われたそうです。そして、もう一度屋上に上がったときには、もう白い車はなかったといいます。通常、臨死体験でよくあるイメージは、三途の川のようなものがあり、川の向こうには、すでに亡くなった近親者や知り合いが、まだこちらへ来る時ではない、といった動作や声を感じるというもの。しかし、内館牧子は違いました。白い車が、三途の川の代わりのイメージだったのでしょうか。この体験からだけでも、1本物語を書くことができそう。さすが脚本家、内館牧子は、ただで死んだりはしないようです。

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