植木等の死因は何っだのか?!「無責任男」の素顔は真面目男だった!

植木等の死因は何っだのか?!「無責任男」の素顔は真面目男だった!

植木等は80歳で大往生を遂げた!根は超真面目な「無責任男」のコメディアン人生

植木等は、1926年生まれで、2007年に80歳で亡くなった、昭和を代表するコメディアンの1人です。植木等といえば、すててこ姿に腹巻、カンカン帽をかぶり、鼻の下にはちょび髭をたくわえた、見るからに調子のよさそうな男が、シビアな状況に遭遇している人々の前に突然現れ、「およびでないっ?およびでない……こりゃまた、失礼しました!」と叫ぶ「無責任男」。閉塞した空間を一瞬にして破壊し、チャラにしてしまった「無責任男」こと植木等は、ある意味、明るくノーテンキな高度成長期を象徴するキャラクターだったのかもしれません。

植木等は、亡くなる間際まで、タレント、俳優として活躍していましたが、10年ぐらい前から肺気腫を患っていました。症状が悪化する中、延命処置は自ら拒み、2007年3月28日に80年の生涯を閉じた植木等。すでによく知られていることですが、植木等は、酒も飲まず、早くに結婚した奥さん一筋の真面目な性格でした。

また、僧侶であった父親は、戦時中、治安維持法に触れて投獄されても、反戦反差別に徹した、なかなかの人物だったとか。植木等が、ただ明るいだけではない、独特の陰影を備えていたのは、父親の影響によるものも大きかったと考えられます。

植木等はコミックバンドのはしり「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」のメンバーだった

植木等は、名古屋市で、浄土真宗の寺の息子として昭和元年に生まれた、まさに昭和の人です。戦後、家を継ぐため東洋大学に入学しますが、在学中からバンドボーイのバイトを始め、卒業と同時に音楽の道へ。ギター奏者として、いくつかのバンドを経て、「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」に加入しました。

「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」メンバーは、渡辺プロダクションという新興の芸能プロダクションに所属。ジャズバンドとしてだけでなく、コミックバンドとして、放送を始めたばかりの各テレビ局にいち早く出演し、またたく間に人気を博します。

また、元都知事であった、構成作家の青島幸男作詩による、「スーダラ節」や「ハイそれまでよ」「ゴマスリ行進曲」などが立て続けに大ヒットしました。その「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」の中心メンバーとして活躍したのが、植木等でした。植木等は映画にも進出。東宝映画「無責任男」や「日本一」シリーズで、日本を代表するスターとなります。

植木等の無責任さがイイ名言集!「スーダラ節」に父親の反応は?

植木等の「スーダラ節」は親鸞の教えに通じる名曲って?!

植木等本人は、人気絶頂の頃、軽薄な「無責任男」を演じることが嫌だったそうです。何かにつけ、独り思い悩むことが多かった植木等に、含蓄に富むアドバイスを与えたのは、常に父でした。例えば、植木等が不真面目すぎると、歌うのをためらった「スーダラ節」に関して父が、「分かっちゃいるけど、やめられない」という歌詞は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の教えに通じていると諭しました。

「『分かっちゃいるけど、やめられない』というのは、人間本来の弱さを言い当てている。親鸞は、酒も飲み、妻帯もしながら悩み続け、それでも仏の道を貫いた。この歌は、人の苦悩と求道の心を表している」。この父の話は、極めて逆説的ではありますが、示唆に富んでいたことから、植木等は大いに納得をして、その後は、日本一いい加減で無責任な男を演じ続けたといいます。

植木等が演じた「無責任男」のモデルは元東京都知事の青島幸男だった?!

植木等が演じた「無責任男」の実際のモデルは、「クレイジー・キャッツ」の曲のほとんどを作詩した、青島幸男そのものの性格であったのかのかもしれません。いくつかの歌詞から、いかにも、という名フレーズを抜いてみましょう。「ぜにのないやつあ、俺んとこへこい。俺もないけど心配するな」「いいたきゃないけど、めんどうみたよ」「ハイ、それまでョ。フザケヤガッテ、フザケヤガッテ、コノヤロー!」。いやはや人気があったとはいえ、今から考えれば、とんでもない歌ばかりでした。

植木等が昭和の無責任男ならば平成の無責任男は誰だ?!

植木等の所属する「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」は、ドリフターズの登場とともに、テレビから姿を消していきました。すると、風刺の利いた大人の笑いが影をひそめ、子供たちにも受けるような、スラップスティックで幼稚な笑いがテレビを占めるようになります。

また、それを見て育った世代が大人になった今、視聴者は、笑いに対して、ますます貪欲で即物的となり、結果、笑いが刹那的に大量消費される時代になってしまいました。植木等が築いた「無責任男」のキャラクターもまた、時代が変わるとともに、かなり変質してきました。

植木等とよく比較されるのが、「平成の無責任男」高田純次ですが、彼は、「無責任でいることが自分の責任だ」という、確信犯的存在といえます。また、俳優の中には、あえて自分のシャイな内面を、トークで煙に巻くようなタイプである、陣内孝則やユースケサンタマリア、最近では大泉洋なども、新時代の無責任男といえましょう。さらに、少しジャンルが異なりますが、映画「愛と平成の色男」に主演し、「不倫は文化だ」と宣った石田純一も数えられるかもしれません。

今ではもう何でくくればいいかわからない所ジョージは、植木等のコメディアンとしての才能と、私人・植木等の人格を、若い頃から大変敬愛していたそうです。ある意味、所ジョージの公私にわたる今の生き方こそ、植木等が父より教わった、「分かっちゃいるけど、やめられない」的生き方といえるのではないでしょうか。

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