植松努は小説「下町ロケット」のモデルになった戦う下町のロケット開発者!名言や経歴、講演料は?

植松努は小説「下町ロケット」のモデルになった戦う下町のロケット開発者!名言や経歴、講演料は?出典:http://trataberuru.com

植松努は小説「下町ロケット」のモデルになった戦う下町のロケット開発者!TEDスピーチは名言だらけ!

植松努は小説「下町ロケット」のモデルになった戦う下町のロケット開発者!無理と思われることにチャレンジ!

植松努(うえまつつとむ)は、株式会社植松電機の代表取締役。従業員が20人足らずという小さな町工場でありながらロケット事業に取り組んでいて、その様子は、阿部寛主演でドラマ化もされた池井戸潤の小説「下町ロケット」のモデルにもなっています。

資産家の家で育ったわけでもなく、幼い頃から成績が良かったわけでもない植松努がロケット事業を始めたきっかけは、「どうせ無理」という大人たちが発する言葉の悪循環を断ち切りたいと思ったからでした。植松努自身、将来の夢や希望を「どうせ無理」という言葉で否定されてきたと言います。

大人は「子供たちに夢を与えなければならない」と言いながら、一方で「どうせ無理」という言葉で夢を打ち砕いているというのが現実です。その悪循環をなくすためには、無理と思われることにチャレンジして成功すればいいと思ったとか。植松努にとっては、それが「ロケット」でした。

植松努のTEDスピーチは名言だらけ!夢を叶えるための考え方とは?

植松努は、2014年7月、スピーカーとして「TEDxSapporo」に参加し、「どうせ無理」と言われ続けてきたこれまでの人生を語りました。スピーチの中で、植松努は、数々の名言を残しています。「生まれたときからあきらめ方を知っている人はいない」と切り出した植松努は、「あきらめ方を学ぶと、自分の能力以下のことしかできなくなる」と語りました。

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続けた名言が「『あきらめる』は、後天的な教育によって与えられる能力です」。そして、母から教えられた言葉「思いは招く」という名言を紹介。これは、思ったらそうなるよという意味で、ずっと思い続けることが大切だというメッセージです。

さらに、「どうせ無理」と思ってきた人たちが自信を取り戻すことができる方法は、「やったことがないことをやってみるしかない」ことだと断言。みんなで夢を語り合い、「だったらこうしてみたら」とお互いに言い合うことで夢は叶うのだとスピーチを締めくくりました。

植松努の経歴や、大学などのプロフィール!講演料が50万円になった理由とは?

植松努の経歴や、大学などのプロフィール!ロケット事業を始めたのは夢を持つことができる世界にするため

植松努は、1966年、北海道芦別市で生まれました。1989年に北見工業大学応用機械工学科を卒業し、菱友計算株式会社航空宇宙統括部に入社します。その後、1994年に父が経営する植松電機に入社し、2005年から北海道大学との共同研究でCAMUIロケットの開発に着手。宇宙開発分野で躍進し、2016年に同社の代表取締役に就任しました。

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植松努がロケット事業を始めたきっかけの1つは、ボランティアで児童養護施設を訪れた時に、お金では幼児虐待などの問題は解決できないと思ったからです。子供たちが絶望することなく夢を持つことができる世界にするためには、誰もが1度は憧れるであろう「宇宙」にチャレンジすればいいのではと思うようになります。

自分の手でロケットを飛ばし、「どうせ無理」という言葉を跳ね返すことができれば、いじめも戦争も児童虐待もなくなるかもしれないと考えました。こうして、北海道大学の永田晴紀教授が行っているロケット開発に協力することになった植松努は、2005年3月、初めてのロケット打ち上げに成功。現在も、子供たちに向けた、高度100mまで届くロケットを作る体験学習なども行いながら、日夜ロケット開発に取り組んでいます。

植松努の講演料が50万円になった理由とは?講演依頼が多すぎで問題発生!

「TED」に登壇して感動のスピーチをしたことで一躍名前が知られることになった植松努は、全国の企業や学校で講演活動を行っています。しかし、講演依頼数があまりにも多くなってしまったことから、健康面以外にもいろいろな問題が生じてきたため、講演の数を減らさなければならなくなりました。

とはいえ、講演を制限するには、断る理由を考えたりしなければなりません。これではやはりいろいろ問題が生じると考えた植松努は、講演料を高くすることで、申し込みや交渉が減らそうと考えます。そこで植松努が設定した講演料は50万円+交通費。学校などでの講演は応相談としていますが、実際に講演の依頼は減ったそうです。

植松努の「いじめ論」とは?!自身の体験を元に「いじめ」について思ったことは?!

植松努が自身のFacebookに投稿した「いじめ論」が今反響を呼んでいます。そこには、子供の頃に、友だちにからかわれたりいじめられたりした体験を元に、いじめについてどう考えれば良いのかということが書かれていています。「いじめ」とは、当事者がどう感じているかということだけだと定義する植松努。

しかし実際は、学校での「いじめ」を判断するのは教師たちで、「ただふざけていただけだ」と判断されれば、それは「いじめ」ではなくなります。実際にそんな体験をしたことがある植松努は、先生のことを信じることができなくなったそうです。同時に、後になって助けてくれる人や信じられる人にたくさん出会ったことから、どんな嫌な思いをしても人間嫌いにはならないほうが良いとも書いています。

植松努は、「どうせ無理」をなくそうとロケット事業に関わったことで、世界一有名な町工場のおじさんと言われるようになりました。とはいえ、順風満帆にここまできたわけではありません。大人たちに「どうせ無理」と言われながら育った植松努は、ロケット事業を立ち上げるときも、「そんなことができるわけがない」という声ばかり聞きました。

社員たちも最初は反対していたと言います。たしかに、植松電機は、ロケットとは関係のない、建物を解体するために使うマグネットの機械を作っている会社です。やったこともないことをやるのだから、社員が反対するのも無理はありません。それでも、あきらめずにここまでやってこられたのは、信じて支えてくれる人たちとの出会いがあったからです。

だからこそ、植松努は、「嫌な人とは距離を置くのも大切ですが、信じてくれる人と出会うチャンスを得るためには、たくさんの人と関わって、関わり方を学んだほうが良いと思います」と語ります。他者との関わりは良いことばかりではありませんが、ちょっと勇気が湧いてくる言葉だと思いませんか?

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