姉妹漫才師「やすとも」が面白い!海原やすよを襲った病気とは?海原ともこは子供を生んでから体重増加?!

海原やすよを襲った病気、旦那の難病とは?海原ともこは子供を生んでから体重増加?!

海原やすよを襲った病気、旦那の難病とは?

海原やすよ・ともこは、「やすとも」の愛称で親しまれ、気さくで庶民的なキャラクターで人気の女性漫才コンビ。2人は実の姉妹です。一見とても元気そうな海原やすよですが、実は、2016年に病気で入院したことがありました。

2016年11月下旬に頭痛を訴えるようになった海原やすよが、大阪市内の病院で頭部MRI診断を受けたところ、見つかったのは脳動脈瘤。くも膜下出血へ繋がる危険性があるため、「脳動脈癌クリッピング術」という手術を行うことになりました。手術が無事成功した海原やすよは、早くも2カ月後の2017年1月に仕事復帰して周囲を安心させています。また、海原やすよの夫・宮本大輔も、結婚した翌年の2006年2月に病気を患っていました。

左足に違和感を覚え、診断された病名は「黄色靱帯骨化症」。靱帯が骨化し、次第に肥大し神経を圧迫することで、主に足の麻痺が起こるという難病です。12時間にも及ぶ大手術を成功させた夫の宮本大輔は、リハビリの成果もあって現役復帰を果たしました。

海原ともこが子供を生んでから体重増加?

2人ともぽっちゃり体型の海原やすよ・ともこ。特に、姉・海原ともこの体型はとても迫力があります。今では2人そろって立派な体型をしていますが、昔からふくよかだった海原ともこは、2007年に長女、2013年に次男を産んでから、そのぽっちゃり具合が加速してきたとか。母親になると、子供の食べ残しも食べてしまうなどの理由から食べる量が増えてしまうのでしょうか……。

しかし、子供はいないとされている妹の海原やすよも、姉の体型に近付いてきている様子を見ると、太った理由は、子供云々というより、単純によく食べるからかも知れません。とはいえ、見た目をネタにする芸人も多い中、海原やすよ・ともこの2人は、見た目をネタにもしなければ、自虐ネタも使わない「本格派」です。

海原やすよ・ともこは実の姉妹の漫才師!祖母は海原小浜で親は海原かける

海原やすよ・ともこは実の姉妹の漫才師!旦那は元野球選手と元ジャニーズ!

姉の海原ともこは、1971年12月27日生まれ。妹の海原やすよは、1975年10月14日生まれです。海原やすよがツッコミで、海原ともこがボケを担当し、大阪色の濃いオバちゃんネタや、東京と大阪の女子の違いなどの日常ネタを中心に、息のあったしゃべくり漫才を繰り広げています。プライベートでは2人とも結婚しており、海原やすよの夫は、元プロ野球選手でオリックスにいた宮本大輔。姉の海原ともこの夫は、元ジャニーズで男闘呼組のキーボードを担当していた前田耕陽です。

海原やすよ・ともこの祖母は海原小浜で親は海原かける!師匠は誰?

海原やすよ・ともこの祖母は、戦前から活躍していた女流漫才コンビ海原お浜・小浜の海原小浜。父親は、漫才コンビ海原かける・めぐる(池乃めだか)のかけるです。親子三代にわたって漫才師であるばかりか、それぞれが上方漫才大賞を受賞しているなど、まさにお笑いの名門一家と言えます。お笑いが身近にあった家庭で育ったせいか、幼い頃から2人でよく漫才をしていたという海原やすよ・ともこ。

1992年には、父親の海原かけるの紹介で、中田カウス・ボタンのファンだった海原やすよが中田ボタンに弟子入り。後に、海原ともこも弟子入りしたことで、海原やすよ・ともこのコンビを正式に結成するに至りました。ちなみに、妹の名前がコンビ名の前にきているのは、海原やすよのほうが弟子入りが先だったからのようです。

海原やすよ・ともこが泣きだした赤ちゃんに神対応!二度目となる上方漫才大賞受賞に感激

海原やすよ・ともこは、2018年の新年早々に放送された「新春!オールよしもと初笑いスペシャル」に出演した際、ハプニングに神対応したと話題になりました。ステージで漫才を披露している最中に、突然劇場内に響き渡ったのは赤ちゃんの泣き声。海原やすよ・ともこが、「(赤ちゃん)大丈夫かなあ!?」「すっごい気になった、今!」「私の声で泣いたんかなぁ??」と即座に対応すると、ハプニングが一瞬で笑いに変わり、和やかなムードになったと言います。

ネット上では、予期せぬハプニングにも対応できる瞬発力や、赤ちゃんの母親にも「大丈夫ですよ~」と温かい声をかけてフォローを忘れなかった海原やすよ・ともこの優しさを絶賛する声が相次ぎました。そんな臨機応変な神対応ができるのは、実力あってこそ。

海原やすよ・ともこは、結成25年目となる2017年には、上方漫才大賞を5年ぶりに受賞しています。女性漫才師では初となる2度目の大賞受賞という快挙に、「コツコツやってきたことを見てもらえた。感無量です」と涙ぐんだのは海原やすよ。海原ともこは、「私は『女芸人』ではなく『漫才師』と呼ばれたい。これからも大阪で『漫才』という文化を残していきたい」と、漫才に対する熱い思いを語りました。

そんな記念すべき25周年を締めくくったのは、2017年12月21日にリニューアルオープンしたなんばグランド花月で行われた「RE-OPEN記念特別公演」です。いつもならば、トップバッターは若手が務めるところですが、最初に登場したのは海原やすよ・ともこでした。リニューアル後は一番乗りでステージに立ちたいということで、無理を言ってトップバッターとして出演させてもらったそうです。

劇場で漫才をするということに強い思い入れがあり、漫才に対して深い愛情を持っている海原やすよ・ともこ。だからこそ、彼女たちの漫才は、心地良い温かみを感じさせるのかも知れません。

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