牛田智大は史上最年少CDデビューピアニスト!両親の職業は?

牛田智大は史上最年少CDデビューピアニスト!両親の職業は?

牛田智大が史上最年少CDデビューするまで

牛田智大は、史上最年少の12歳でCDデビューしたピアニストです。牛田智大の最初の師となる上海音楽学院教授・鄭曙星の指導は、美しく響きわたる打鍵法の習得に終始しました。小学校入学を機に日本に帰国した牛田智大は、続いて、昭和音大の教授・金子勝之に師事。小学校1年生から、ショパン国際ピアノコンクールinAsiaに参加し、初年こそ逃したものの、翌年からは5年連続1位という快挙を達成しました。

この快挙に用意されていたプレゼントは、名声の他に、もう1つ。ポーランドのピアニスト・ピオトル・パレチニからレッスンをみてもらえるという特典で、パレチニは、より力強い音を出すこと、フォルテッシモにばかりとらわれてきた牛田智大に、静寂の中で行う繊細な表現、すなわちピアニッシモの大切さを教えてくれました。こうした経験を経て、2012年3月、牛田智大が史上最年少でリリースしたのが、CD「愛の夢~牛田智大デビュー」です。

牛田智大の両親の職業は?ピアノを始めたきっかけは?

牛田智大は、福島県いわき市で誕生し、生後7カ月の時、父親の仕事の都合で上海へ移住しました。このように牛田智大の父親の職業は、民間企業に務めるサラリーマンで、母親は専業主婦。幼くして才能を開花させた牛田智大は、音楽家の血筋に生まれ育ったと思われがちですが、ごく普通の家庭に生まれています。

上海に渡ってからは、1才にして電子ピアノで遊ぶようになり、あっという間にテレビで聞いた曲を耳コピできるようになったという幼い日の牛田智大。思わぬ小さなピアニストの誕生に驚いた両親は、ピアノを学ぶ環境を整えることを決意。牛田智大は、3才の頃には、当時流行っていた中国人ピアニストの朗朗(ランラン)、ユンディ・リの魅力の虜となり、DVDを繰り返し視聴していたそうです。そして同じ頃、牛田智大は、上海音楽学院の教授・鄭曙星の下で、ピアニストとしての一歩を踏み出します。

牛田智大の現在の師事、高校は?コンサート最新情報!

牛田智大が現在師事しているのは?中学進学後、高校はどこに?

牛田智大は、中学卒業後、日本国内の高校には進学せず、ピアニストとして必要な経験を積むため、ロシアに拠点を移しました。グラミー賞受賞者でもある、ミハイル・プレトニョフとの出会いによって、ロシア・ピアニズムを学ぶ必要性を実感することとなったからです。牛田智大が師事することとなったプレトニョフは、“ピアニッシモの音でホールの一番後ろまで響かせる方法”を教えてくれました。

この経験は、牛田智大に、弾き方ばかりか、音楽に向かう姿勢までをも変えてしまうほどの衝撃を与えたのだとか。プレトニョフに師事していた牛田智大は、現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍し、モスクワ音楽院教授のユーリ・スレサレフ、モスクワ音楽院・付属音楽校校長のウラディーミル・オフチニコフに師事しています。

牛田智大のコンサート最新情報!

牛田智大の生演奏を聴くことができるコンサートの最新情報をお伝えします。沖縄から札幌まで精力的に展開している『牛田智大ピアノ・リサイタル』ですが、5月の公演は、残すところ2公演のみです。5月21日(土)秦野市文化会館にて14:30開演、5月23日(月)富山県高岡文化ホールにて19:00開演。コンサートといえば、牛田智大は、今年に入ってから、2度も演奏を途中終了しています。1度目は、1月23日(土)愛知県芸術劇場コンサートホールでのこと。2曲目の演奏終了時に苦しそうに舞台袖にはけ、休憩をとったものの、演奏を続けることができなくなった牛田智大。

2度目の途中終了は、2月6日(土)アクトシティ浜松の公演中のことで、ピアノを弾きながら気を失い、そのまま横倒しになってしまいました。これまでに演奏終了した原因は公式発表されていないため、牛田智大の体調が案じられるところです。

牛田智大、ロシア・ピアニズムの真髄を知るための道

牛田智大は、現在、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジで、ロシア・ピアニズムについて学んでいます。牛田智大のピアノ人生は、ロシア・ピアニズムとの出会いに始まるといっても過言ではありません。上海で初めて師事した鄭曙星は、ロシア人教師から教えを受けたロシア・ピアニズムの継承者でした。後に振り返った時、鄭曙星から徹底的に指導された打鍵が、現在のピアノの弾き方のルーツとなっていて、打鍵の指導法も、例え話も、今教えてもらっている内容と同じだと、牛田智大は語っています。

知らず知らずのうちにロシア・ピアニズムの一貫教育を受けていた牛田智大。現在師事している2人の教授は、打鍵の重要性といった技術面はもとより、作家の全体像を理解することが大切と指導しているため、牛田智大は、文学やオペラなど幅広い知識を得る必要性、そうするためにも語学力の習得がマストであることを痛感しているそうです。

ピアノを弾くことが何よりも楽しく、人が止めるまで、ピアノに何時間でも向き合ってきた牛田智大ですが、“ピアノを弾くために”ピアノ以外のものにも向かわざるを得なくなりました。もちろん技術的な修練も欠かすことはできないので、いくら時間があっても足りない状態でしょう。コンサート中に倒れたのも、心体ともに疲れていたからかもしれません。

牛田智大は、人よりずいぶん速いスピードでここまで駆け抜けてきました。しかし、まだ16才。立ち止まって、周りを見渡すことも大切でしょう。ピアノと、少し違った角度から向き合うことで、今までには見えなかったものが見えたとき、牛田智大のピアノの音はさらに進化していくに違いありません。

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