ウォーレン・クロマティの現在に好感度大!読売ジャイアンツ時代の成績は?

ウォーレン・クロマティの現在に好感度大!読売ジャイアンツ時代の成績は?

ウォーレン・クロマティ現在はモントリオール球団誘致活動の中心に!思い出の地で奔走する姿に好感度大!

ウォーレン・クロマティは、元読売ジャイアンツ(巨人)の助っ人外国人選手です。1980年代、読売ジャイアンツの中心打者として活躍したウォーレン・クロマティは、チャンスでの勝負強い打撃と、陽気なパフォーマンスで、今なお根強いファンの人気を誇ります。

現在は、カナダのモントリオールへの球団誘致運動のリーダー的な存在として活動しているウォーレン・クロマティ。モントリオールといえば、もともとは、モントリオール・エクスポズの本拠地でした。それは、ウォーレン・クロマティがメジャーリーグ入りした時、最初に入団した思い出の球団です。

しかし、球団は、2004年にワシントンへ移転し、地元ファンをとても落胆させたという経緯がありました。そのため、ウォーレン・クロマティらが中心となって、モントリオールへの球団誘致を推進しているとのこと。マンフレッドMLBコミッショナーの、「メジャーリーグは、国際化を前向きに検討すべき」という発言もあって、機運は盛り上がりつつある今、モントリオールでは、天然芝の球場を新設する計画も進行中といわれています。

日本の事例でも分かる通り、球団誘致の実現は極めて困難です。しかし、新球場を構えるプランが用意されているとは、かなり具体的に進行していることがうかがえます。どんな形で実現するかはふたを開けてみないと分かりませんが、かつての思い出の地への球団誘致に奔走するウォーレン・クロマティの活動ぶりは好感度大ですね。

ウォーレン・クロマティは、1953年9月29日生まれの63歳。アメリカ・フロリダ州マイアミビーチ出身で、本名はウォーレン・リビングストン・クロマティといいます。愛称は、「クロウ」。1972年の第1回日米大学野球へ出場した経歴を持ち、1974年、マイアミ・デイド短大から、メジャーリーグのモントリオール・エクスポズ入り。4年目頃からレギュラー定着を果たしました。1983年シーズンオフに、FAで読売ジャイアンツ入りしたウォーレン・クロマティは、王貞治新監督の元で主力として期待され、1年目に35本塁打をマーク。7年にわたって主力打者としてプレーし、劇的な一打でファンを沸かせました。

1989年には打率3割7分8厘で、首位打者のタイトルを獲得しているウォーレン・クロマティ。チーム日本一奪回の立役者となるなど、彼の貢献度は極めて高く、その陽気なキャラクターもあって、ファンから愛される存在でした。年齢による衰えもあり、1990年限りで巨人を退団した後は、1991年にカンザスシティ・ロイヤルズで、メジャーリーグ復帰を果たしますが、1年で引退。その後の活動は、ラジオDJや、バンド、プロレス参戦など多岐にわたり、独立リーグ監督も務めました。

ウォーレン・クロマティは読売ジャイアンツ史上最強の助っ人だった!劇的な代打満塁ホームランなどその成績は屈指!

ウォーレン・クロマティは、読売ジャイアンツ史上最強の助っ人外国人として今も記憶に残る存在です。巨人在籍時代の7年間で残した通算成績は、779試合出場2961打数951安打、打率3割2分1厘、本塁打171本、558打点。歴代巨人の助っ人選手屈指の数字といえます。

何といっても、ウォーレン・クロマティの魅力は、ここ一番の勝負どころで見せた劇的な一打。特に語り草となっているのが、1986年のシーズンの代打満塁ホームランです。広島カープとの息詰まる優勝争いとなったこのシーズン、10月2日の神宮球場でのヤクルトスワローズ戦で、ウォーレン・クロマティは、頭部に死球を受けて倒れ、病院へ運ばれました。苦痛に顔をゆがめるウォーレン・クロマティ。

チームは、主砲の原辰徳も手首骨折で戦線離脱していたため、中心打者を欠いたことで、読売ジャイアンツは優勝戦線から脱落かと思われた翌日の同カード。神宮のベンチには、なんと出場を絶望視されたウォーレン・クロマティの姿がありました!王貞治監督も試合前に、「勝負どころで代打で出てもらうよ」と起用予告。

その言葉通り、代打で登場したウォーレン・クロマティのバットは一閃し、劇的な満塁ホームランを放ちました。しかし、この年の読売ジャイアンツは、勝ち数で広島を上回ったものの、引き分け数が響いて、勝率で優勝を逃す結果に。ウォーレン・クロマティも、打率3割6分3厘と打ちまくったものの、阪神のランディ・バースが、打率3割8分9厘と前年を上回る大爆発を見せ、首位打者と、リーグ優勝のどちらにも手が届かない結果となりました。

3年後となる1989年には、「4割を打ってユニフォームを脱ぐ」と宣言したウォーレン・クロマティは、従来の長打スタイルを改めて、ヒットメーカーに徹しています。規定打席に達した403打席の時点では、4割を超える打率を維持していたことから、「日本球界初の4割打者誕生か?」とマスコミも騒然。この時点で残り試合を休めば、4割打者として日本プロ野球に名を刻むこともできました。

しかし、この後も引き続いて試合に出場したウォーレン・クロマティは、最終的には4割には届かず、3割7分8厘の結果となりました。しかし、この打率は、現在でも、読売ジャイアンツ球団歴代最高として記録されています。

ウォーレン・クロマティの敬遠サヨナラ打と乱闘伝説!キャラクターが愛される!

ウォーレン・クロマティ広島戦で敬遠球をサヨナラ打に!中日戦で投手を殴り伝説的な大乱闘を繰り広げた!

ウォーレン・クロマティの現役時代を語る上で欠かせない伝説的エピソードが2つあります。1つは、敬遠球をサヨナラ打にしたエピソード。そして、もう1つは、相手ピッチャーをぶん殴って大乱闘になったエピソードです。敬遠サヨナラ打が飛び出したのは、1990年6月2日の東京ドームでの広島東洋カープ戦でした。9回2アウトながらランナー二塁と、一打サヨナラの場面。ここで打席に入ったのが、この日3番に入ったウォーレン・クロマティです。

しかし、調子がいいウォーレン・クロマティと勝負を避けたい広島ベンチは、バッテリーに敬遠を指示。キャッチャーも立ち上がり、明らかに敬遠球……だったはずが、その球は、バットが届く中途半端なコースを辿りました。チャンスを見逃さなかったウォーレン・クロマティのひっぱたいた打球は、右中間へ。これが、外野手の頭上を破るサヨナラ打となりました。この最悪の結果に、広島バッテリーは、試合後にさんざん油を搾られたことでしょう。

試合後のヒーローインタビューで、「敬遠球も狙って打っているのか?」という質問に、「時々ね」と答えたヒーロー、ウォーレン・クロマティ。1999年にも、阪神の新庄剛志が巨人戦で敬遠球をサヨナラ打を放って話題となりましたが、同じことを、ウォーレン・クロマティは9年前にやってのけていました。

大乱闘に発展する騒動が発生したのは、1987年6月11日、熊本・藤崎台県営野球場で行われた中日ドラゴンズ戦でした。この試合で、投手の宮下昌己から背中に死球を受けた際、ウォーレン・クロマティが、「帽子を取って謝れ」とジェスチャー交じりで要求したものの、宮下昌己は応じませんでした。そのため、激高したウォーレン・クロマティは、マウンドへ突進。宮下の顔面にパンチをお見舞いするなどの暴行に及びます。

これを引き金に、両チーム入り乱れての大乱闘へと発展しました。相手の中日も一歩も引かず、「燃える男」星野仙一が先頭に立ち大暴れ。なだめようとする王貞治に向けて、かみつきそうな剣幕で拳を突き出した場面は有名です。結局、ウォーレン・クロマティは退場処分を下されましたが、パンチをお見舞いした場面は、翌日のスポーツ紙のトップを派手に飾るなどしたこともあり、現在も伝説的な乱闘劇として語り草です。

同日には、広島の「鉄人」衣笠祥雄が、通算2130試合連続出場という偉業を達成しながら、この乱闘騒ぎの影響で地味な扱いを受けたというおまけのエピソードも。この時に殴られた宮下昌己は、現在は、年商6000万円の米問屋へ転身。例のシーンを印刷した名刺を得意先に渡せば、「ああ、あの殴られた人か」と、ビジネスの話がスムースに進むそうです。

ウォーレン・クロマティ「バンザイコール」など陽気なキャラクターで愛される存在に!挑発行為や緩慢な守備は悪評の一因か?

ウォーレン・クロマティは、その人懐っこい表情とあわせて、風船ガムをふくらませて破裂させたりする陽気なキャラクターでした。ファンへのサービス精神も旺盛で、しばしば観客席の巨人ファンとともに演じる「バンザイコール」はおなじみでしょう。

現在も、ウォーレン・クロマティが巨人ファンから愛される存在であることは間違いありませんが、一方で、「日本球界をバカにしている」という悪評があるのも事実。特に知られるのが、出塁した際、「頭の出来が違うよ」とばかりに頭部を指さす姿がおなじみです。

これは、メジャーリーグでは挑発行為ととられ、次打席で頭部に報復球を食らわされかねないパフォーマンス。実際、日本球界でも、腹が煮えくり返る思いをしたバッテリーも多かったようです。代表的なのは、横浜大洋ホエールズのエースだった遠藤一彦。フォークボールでウォーレン・クロマティを三振に打ち取り、お返しとばかりに頭を指さしてみせました。ずば抜けた打席での集中力の反面、守備範囲の狭さと、返球の緩慢さも、ウォーレン・クロマティの悪評の一因といえます。

時として投げやりにも見える返球は、たしかにいただけないものがありました。これが致命的となったのが、1987年の西武ライオンズとの日本シリーズ第6戦。2回裏にフライを捕球した後の内野への返球がそれで、ウォーレン・クロマティは、二塁からタッチアップした清原和博のホームインを許すという大失態を演じました。

さらには、8回裏に、秋山幸二のセンター前ヒットで一塁ランナーの辻発彦を生還させ、決定的な追加点を与えてしまいました。この試合の走塁は、相手チーム西武の徹底した研究が実を結んだといわれています。センターを守るウォーレン・クロマティの深い守備位置と、緩慢な返球、中継プレーに入るショートが打者走者へ目が行きがちなことなどを見抜き、見事にそのほころびを突いてみせました。ウォーレン・クロマティは、1989年の日本シリーズでも、記録に残らないものの守備のミスをたびたび演じています。

ウォーレン・クロマティがバッティングセンター参戦!ホームラン達成で「バンザイコール」なるか?

ウォーレン・クロマティが、日本のテレビ番組に久しぶりに登場しました。それが、10月から日曜午前に放送しているテレビ朝日系「帰れまサンデー」です。11月27日放送分では、「ザキヤマ」ことアンタッチャブル・山崎弘也がMCとなり、「バッティングセンターでホームランを打つまで帰れない!」第2弾を放送。

ゲストとして参戦したのが、読売ジャイアンツ史上最強の助っ人の呼び声も高いウォーレン・クロマティでした。この企画のために助っ人として登場したウォーレン・クロマティは、当時のチームメイト篠塚和典とコンビを組んで、ホームランに挑戦。

舞台は、神奈川県・厚木市にある「本厚木バッティングセンター」で、一般人のホームラン確率は2500分の1。穴を通過するスーパーホームランになると、3333分の1です。打席に入れば、現役時代をほうふつとさせる雰囲気を醸し出したウォーレン・クロマティ。しかし、50球を消費しながら、意外にホームランは出ません。さすがは手ごわいバッティングセンターです。同じく助っ人として登場した篠塚和典は、15球にしてホームラン達成。

しかし、今回のノルマ達成には、もう1本のホームランを打たなければなりません。ウォーレン・クロマティに加えて、「神スイング」稲村亜美もバッティングに挑みますが、ホームランはならず。ここで助っ人タイムは終了となり、ウォーレン・クロマティと篠塚和典は、名残惜しくも退場となりました。

残念ながら、今回は、現役時代さながらの「バンザイコール」とはならなかったウォーレン・クロマティ。しかし、またスポーツイベント等の機会に、その雄姿を見せてくれることでしょう。モントリオールへの球団誘致もぜひ成功させてほしいものですね。

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