渡辺マリ「東京ドドンパ娘」で一世風靡!名立たる歌手に愛されるリズムとは?

渡辺マリ「東京ドドンパ娘」で一世風靡!名立たる歌手に愛されるリズムとは?出典:http://whaletown.exblog.jp

渡辺マリ「東京ドドンパ娘」で一世風靡!ドドンパって何?

渡辺マリの「東京ドドンパ娘」は日本のマンボブームの終焉を飾った名曲?!

ドドンパは謎に満ちている……。これは、「踊る昭和歌謡」というユニークな音楽評論を書いた輪島祐介の言葉です。今ではすっかり忘れられていますが、戦後の日本には、アメリカ音楽が怒涛のように流れ込みました。まずジャズブームが始まり、1955年頃からは、空前のラテン・マンボブームが起こります。

そう!あの「ウウー、マンボッ!」です。街にはダンスホールが作られ、ビックバンドの華やかなリズムが夜の巷にあふれました。戦後10年、人々の心にやっと明るさが戻った証しともいえるこのラテンブームに乗って、さまざまなラテンのリズムが日本に入ってきます。その1つが「カリプソ」です。

1957年、「デイーオ!ディーイイオ!」の掛け声で始まる、浜村美智子の「バナナボート」が大ヒットしたのは、今でもよく知られています。そして1960年、このマンボブームの終焉を飾ったのが「ドドンパ」です。ドドンパのリズムに乗って大ヒットしたのが、1961年の渡辺マリによる「東京ドドンパ娘」でした。

渡辺マリは「東京ドドンパ娘」で彗星のようにデビュー!

「東京ドドンパ娘」は、歌のタイトル自体も強烈なインパクトですが、歌い手もまた、「バナナボート」の浜村美智子に引けをとらないエキゾティックな顔立ちにダイナマイトボディ。それが、まだ十代だった渡辺マリでした。その圧倒的声量で発せられる「ドドンッパッ!」の掛け声と、オフビートの「チャチャチャ」に分類されるリズムのインパクトは、当時の日本人に強烈な印象を与えたものです。このように、新人でありながら大ヒットを飛ばした渡辺マリには、「第二の江利チエミ」と期待する声が相次ぎました。

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渡辺マリ「東京ドドンパ」カバーした歌手とは?年齢やプロフィール!

渡辺マリが背負った「バナナボート」の浜村美智子と同じ一発屋の宿命

渡辺マリは、1942年生まれで現在75歳です。1960年にラテンの「ムスタファ/ク・ク・ル・ク・ク・パロマ」でデビュー。翌1961年に、「東京ドドンパ娘」で、爆発的ヒットを記録します。ドドンパブームはすさまじく、あの美空ひばりまでが「ひばりのドドンパ」を出すことに。

映画界では、勝新太郎主演で「ドドンパ水滸伝」が制作されるという人気ぶりでした。しかし、「バナナボート」の浜村美智子同様、ラテンブームが去るとともに、その人気も瞬く間になくなります。そのため、渡辺マリは、一旦芸能界を引退しますが、最近では、懐メロ番組などに出演。当時と変わらぬ迫力ある歌声を披露しています。

渡辺マリ「東京ドドンパ娘」を戦後の名曲としてカバーした井上陽水の慧眼

ドドンパというラテンリズムは、なかなかミュージシャンや歌手たちの心をそそるリズムらしく、時代ごとにリメークされてきています。1976年には、桜たまこが「東京娘」を、1992年には、モダンチョキチョキズが「ティーンエイジ・ドドンパ」を、また2004年には、氷川きよしが「きよしのドドンパ」を出してスマッシュヒットしました。

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また、ニューミュージックの大御所である井上陽水が、戦後の名曲を集めた「UNITED COVER」(2001年)でも、「コーヒー・ルンバ」や「銀座カンカン娘」などとともに「東京ドドンパ娘」がカバーされています。

渡辺マリが歌った「ドドンパ」の名づけ親はラテンの大御所アイ・ジョージだった?!

ドドンパというリズムの解説としては、オフビートの「チャチャチャ」という答えがありますが、素人にはさっぱり要領を得ません。日本におけるドドンパは、フィリピンのバンドが演奏していたオフビートの「チャチャチャ」が日本に入り、大阪のクラブで演奏されていたときに生まれたとされています。

バンドマンが遊び心で、四拍子の2拍目にアクセントを置き、3拍目と4拍目を三連符とした、「ゥン、パッ、タタタ、ドッド」という印象的なリズムが、そのルーツだとか。この新しいリズムの名づけ親となったのが、そのクラブの専属歌手であり、ラテンブームの立役者でもあった歌手のアイ・ジョージであると今に伝えられています。

1960年代後半にラテンブームが去った後の日本の音楽シーンは、ロカビリーから和訳POPSの時代を経て、ベンチャーズやビートルズの来日により、空前のエレキ、GSブームが起こりました。ここでもまた欧米のPOPSの曲作りやバンドの技術を吸収しながら、日本独自の音楽文化が花開くとともに、音楽文化の若者化が急速に進みます。

そして、1970年代も後半になると、ユーミンこと松任谷由実や、桑田佳祐のサザンオールスターズなどが登場。巨大なJ-POPの市場が確立されていきました。1960年代に、カリプソやドドンパを生み出した戦後日本の仇花的なラテンブームは、その後の音楽史を語る上で、非常に興味深いテーマといえるでしょう。

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