山口恵以子(作家)が食堂のおばちゃんになったワケ!「月下上海」執筆秘話!

山口恵以子(作家)が食堂のおばちゃんになったワケ!「月下上海」執筆秘話!出典:http://wotopi.jp

山口恵以子(作家)が食堂のおばちゃんになったワケ!「月下上海」執筆秘話!

山口恵以子(作家)が食堂のおばちゃんになったワケ!

山口恵以子(作家)は、55歳で松本清張賞を受賞し、小説家として一躍有名となりました。山口恵以子を有名にしたのは、55歳という遅咲きの年齢だけでなく、当時の職業が「食堂のおばちゃん」だったこともあります。当時、脚本家を目指すも、なかなか芽が出ないまま書き続けていた山口恵以子。

たまたま新聞で見つけたという、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂の仕事に応募しました。生活費を稼ぐため、時給1500円、交通費とボーナス支給の条件が選んだ理由だったいいますから、作家先生といえども、山口恵以子の生活感覚は「普通のおばちゃん」と変わらないようです。

山口恵以子(作家)の出世作「月下上海」執筆秘話!

山口恵以子(作家)は、「食堂のおばちゃん」の仕事を始めてみると、性にあったのか、現場の責任者となり、正社員に昇格。生活が安定したことで余裕もでき、自分や周囲を見渡す心のゆとりが出てきた時、すでに40代だったことから、年齢にかかわらず続けられる小説家を目指す決断をします。

一念発起の後は、午前3時に起床して、食堂の仕事を終えた後の時間と休日を使って執筆したのが山口恵以子の出世作となった「月下上海」だったといいます。戦中から戦後にかけて混乱の時代の上海を舞台に繰り広げられる「月下上海」の物語と、社員食堂の仕事にはかなりギャップがありますが、並々ならぬ決意の下に執筆された作品だったことは間違いありません。

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山口恵以子(作家)ワイドナショー名言集が核心つき過ぎ!出身高校、大学は?

山口恵以子(作家)のワイドナショー名言集が核心つき過ぎで大爆笑に!

山口恵以子(作家)は、作家として活躍する一方で、核心をずばっとつく発言で、最近はコメンテーターとしても活躍しています。特に話題になったのは、「ワイドナショー」で、高校野球の敬遠策が話題にのぼった時の名言。元メジャーリーガーである松井秀喜が、1992年に出場した高校野球の試合で5打席連続敬遠されたことについて、「あれ高野連が非難したでしょ、許せない!だって、高校生らしくないって批判したんだけど、高校生らしくないのは松井じゃないですか!」とばっさり。

山口恵以子の金言ともとれる発言に、スタジオは大爆笑。今まで誰も目をつけなかった視点からの名言に、レギュラーコメンテーターの松本人志は「素晴らしい!確かに高校生らしくないですよね、あんな実力ね。ゴジラですからね。あっちが悪い」と大納得していました。

山口恵以子(作家)の出身高校、大学は?食堂のおばちゃんは高学歴だった!

山口恵以子(作家)は、「食堂のおばちゃん」という経歴ばかりが注目されていますが、実はなかなかの高学歴の持ち主です。山口恵以子の出身高校は、東京都立両国高等学校。東京都墨田区江東橋にある都立高校ですが、いわゆるナンバースクールを前身とする、戦前からの名門校。

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そして、出身大学は早稲田大学文学部の山口恵以子。こちらも言わずと知れた名門大学ですね。山口恵以子が大学に進学した30年前は、今に比べれば、女子で四年制大学へ進学するのは、どちらかといえば少数派でした。それだけ、山口恵以子が才媛だったといえるのではないでしょうか。

山口恵以子(作家)が35年もかけて小説家になった理由

山口恵以子(作家)は、遅咲きの作家として、49歳で小説家としてのキャリアをスタートさせました。実際、小説家を目指す前は、脚本家、その前は漫画家を目指していたという山口恵以子。小説家を本格的に志したのは、40代になってからでした。
早稲田大学を卒業後に宝石店に就職した時も、本当は漫画家デビューを目指していたことから、「漫画家になったら辞めてやる!」という気持ちだったそうです。

しかし、出版社への持ち込みをしても、「絵が下手だからやめたほうがいい」と言われて落ち込む日々。それでも夢を諦めなかったのには、「あなた自身が『自分には才能がない』と感じて諦めるならいいけど、『もう歳だから』『誰々さんが結婚したから』と自分以外の理由で諦めると、のちのち後悔することになるわよ」という母親の言葉があったからだそうです。
そして、自分の根底には「物語を作りたい」という揺るがない思いがあったことから、漫画家から脚本家へと志望をシフトチェンジします。

脚本家を目指すことを決めた山口恵以子は、宝石店で派遣社員として働きながら、松竹シナリオ研究所で脚本作りを学ぶことに。その後は、派遣社員との二足の草鞋で、二時間ドラマのプロットを作りの仕事をこなす日々。しかし、現実は厳しく、ドラマのプロット作りは、原稿用紙500枚で45000円程度のお金にしかならない仕事でした。
気づけば40代を迎え、ドラマのプロデューサーは自分と同年代という現実を前に、脚本家の道に先はないと感じた山口恵以子は、再び人生の目標を、脚本家から小説家へとシフトチェンジ。

そして、2007年に「邪剣始末」でついに作家デビューします。漫画家、脚本家、小説家と一貫して「物語作り」を志し、ついに掴んだデビューでした。そして、食堂での勤務を続けるかたわらの作家活動の末、2013年「月下上海」で松本清張賞を受賞。
山口恵以子は、「食堂のおばちゃん」を続けながら作家になった自分のプロフィールを「これはウリになるな」と思ったそうです。

目論見通り、受賞作「月下上海」はかなりの注目を集め、遅咲きながらも山口恵以子の小説家としてのスタートダッシュは成功したといえます。デビューを果たして、文学賞も受賞したとはいえ、この出版不況の中で小説家として生きていくのはなかなか厳しいわけですから、これだけ注目を集められたことがかなりラッキーだったことは事実。

さらには、松本清張賞の賞金500万円を何に使いますか? との質問に、「世界中の高いお酒をすべて飲んでやる!」と答えるような豪胆な性格や、苦節35年の末に掴んだ小説家としての道といった苦難の人生は、小説家としての血肉となるだけでなく、今のコメンテーターとしての活躍にもつながっているのではないでしょうか。
ここまで諦めずにやってきたのですから、ぜひ山口恵以子には自らの道を全うしていく姿を見せてほしいです。

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