山川豊の結婚、奥さんは?兄は演歌歌手の鳥羽一郎!

山川豊の結婚、奥さんは?兄は演歌歌手の鳥羽一郎!出典:http://artist.cdjournal.com

山川豊の結婚、奥さんは?兄は演歌歌手の鳥羽一郎!

山川豊は結婚して奥さんがいる?録画を忘れるとつい夫婦喧嘩に!

山川豊は、柔和ながらも男らしいルックスで、女性ファンも多い日本の演歌歌手です。1981年に「函館本線」でデビューした山川豊は、その年末に、マッチこと近藤真彦を抑えて新人賞を獲得。2016年の第58回「輝く!日本レコード大賞」では、「日本作曲家協会選奨」への選出も決定しています。

1958年生まれ、今年58歳となった山川豊は、すでに結婚しており、子供も2人います。ボクシングのC級ライセンスを持っている山川豊は、プロのボクシングトレーナーでもあります。ボクシングのビデオをたくさん所持しているのですが、それを録画するのが奥さんの役目だとか。

奥さんがうっかり録り忘れると、夫婦喧嘩にもなってしまうようです。とはいっても、子供たちが小さかった頃、家にいられるときは、山川豊自身も育児に積極的だったといいます。夫婦でお互いに助け合いながら暮らしてきたことがうかがえますね。

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山川豊の兄は演歌歌手の鳥羽一郎!弟の受賞に駆けつけた兄と兄弟で演歌歌手

山川豊には同じ業界に、実の兄がいます。それは、山川豊がデビューした1年後となる1982年に「兄弟船」でデビューした鳥羽一郎です。山川豊が日本歌謡大賞で優秀放送音楽賞を受賞した際には、いてもたってもいられなくなった兄の鳥羽一郎が会場へ乱入し、ステージ上で山川豊を抱擁したというハプニングはよく知られています。

鳥羽一郎は、山川豊の6歳上の兄。兄弟の実家は三重県鳥羽市にあり、父は漁師、母は海女と、漁業を生業としていました。家計を支えていたのは主に母親で、山川豊は、子供の頃に親に遊んでもらった記憶はないと言います。演歌歌手を志望して上京してからも、なかなかデビューに至らず、苦しい時期を過ごした山川豊。

当時、兄の鳥羽一郎は、遠洋漁船に乗る漁師として、家族の生活費を稼ぐなどしていました。鳥羽一郎がデビューしてからというもの、兄弟は、良きライバルとして切磋琢磨しています。

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山川豊のオススメしたい歌一覧!ボクシングで安岡力也と対決していた!?

山川豊のオススメしたい歌一覧!ヒット曲や名曲から3曲を紹介

山川豊の曲と聞いてまず思い浮かべるのは、デビュー曲「函館本線」でしょう。それ以外にも、「しぐれ川」という隠れた名曲や、「アメリカ橋」という大ヒット曲があります。

1981年にリリースされた、山川豊のデビュー曲「函館本線」は、ある女性の心情を歌った曲で、女性が恋人に何も言わないまま、北国へとひとりで帰って行くという内容です。恋人の裏切りを理由に身をひくと決めた彼女のためらいや心細さが、北国の雪景色と共に歌われた「函館本線」は、数々の新人賞を受賞しました。

「しぐれ川」は、1990年にリリースされた。それまでの愛を捨てた女性と一緒になり、ともに生きていくことを歌った曲です。華やかで明るい季節であるはずの春に見え隠れする、どこか後ろめたい気持ちや、世間の目に対する不安を、花吹雪や、川の流れに重ねて歌い上げます。「しぐれ川」が発表された1990年、山川豊は、日本演歌大賞演歌スター賞などを受賞しました。

1998年に大ヒットとなった「アメリカ橋」は、実際に、山手線の恵比寿駅と目黒駅の間にある道路橋です。この橋の上で、かつて恋人だった2人が再開し、ぎこちない会話を通して分かったお互いのささやかな変化を歌います。過ぎ去った青春はもう戻らないことが、そのまま橋で別れる2人の様子に重ね合わされている人気曲です。

「アメリカ橋」は、デビューこそ華々しかったものの、その後、歌が売れない時期も長かった山川豊が再び脚光を浴びた曲でもあり、第31回日本作詩大賞で大賞を受賞しました。

山川豊がボクシングで安岡力也と対決していた!?安岡力也の闘病生活支援も

山川豊の本業は演歌歌手ですが、C級のプロボクサーライセンスを持っていることでも知られています。あわせてプロボクシングトレーナーでもあり、指導したボクサーの中には、「南海キャンディーズ」のしずちゃんこと山崎静代の名前も。山川豊がそのような経歴をもつためか、似たようなバックグラウンドを持つタレントの安岡力也と、テレビ番組の企画で対決したことがありました。

企画のコンセプトは、山川豊と安岡力也のどちらのほうが喧嘩が強いかを確かめるというものです。手にグローブをつけはしたものの、対戦ルールでは立ち技もありで、プロボクサーらしくボクシングの技を中心に攻める山川豊に対して、キックも繰り出す安岡力也という対戦に。

勝敗は引き分けで、安岡力也との体格差に苦しみながらも、山川豊は、ボクサーとして健闘しました。対戦相手の安岡力也は、その後、ギランバレー症候群と肝臓がんで闘病生活を送ることになりましたが、見舞うだけでなく、安岡力也を支援する公演を他の歌手たちと行った山川豊。公演の売上は、すべて安岡力也に渡したということです。

山川豊はデビュー35周年!ヒット曲の裏にある苦労と周りの人々への感謝

山川豊は、2016年で歌手生活35周年を迎え、11月3日には、有楽町のよみうりホールにおいて、デビュー35周年記念コンサートを開催しました。コンサートは「ニューヨーク物語」で始まり、昭和の名曲をカバー。デビュー曲「函館本線」や、名曲「しぐれ川」「アメリカ橋」などオリジナルヒット曲につなぎ、新曲である「再愛」を披露するなど、合計31曲を熱唱しました。

歌手になるために上京しても、2年間はレコード会社で宣伝マンをさせられたという山川豊。その経験から、今でも自身を支えてくれるスタッフたちを「家族」のようなものと語ります。デビュー作が決まってから1年かけて行ったレッスンでは、曲の音域や、プロデューサーからの指示に奮闘。やっとデビューできたときは、最初に、故郷でその歌を披露したそうです。

山川豊がデビューしたのは、まだ漁師だった兄の鳥羽一郎が、マグロの遠洋漁業に出る時期でした。マグロ船は、一度出たら8カ月から1年は戻ってこないという大変なものです。鳥羽一郎は、デビューを控えた弟の山川豊を激励し、漁に出て行きました。学費を稼いでくれたり、山川豊がまだ歌手として活躍できなかった時期に家計を支えてくれたりと、山川豊にとってはとても大きな頼れる兄で、今でも頭の上がらない存在だといいます。

「40周年に向けて新たな気持ちで頑張っていきたい」と語った山川豊。支えてくれる人たちへの感謝を忘れず、謙虚に歩み続けるその姿は、人生でうまくいかないことがあっても、前を向き続ける大切さをあらためて教えてくれます。

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