山本譲二と北島三郎の師弟関係!独立の理由は?

山本譲二と北島三郎の師弟関係!独立の理由は?

山本譲二は北島三郎の愛弟子でファミリーの兄貴分だった

山本譲二が、世に認められるようになるまでの苦労話は有名です。一度デビューするも全く売れず、25歳のときに、演歌の大御所・北島三郎を何度も訪ねて、鞄持ちの内弟子からやり直した山本譲二。1980年、30歳のときに、「みちのくひとり旅」で、演歌歌手としてようやく一般に知られるようになりました。以後、北島三郎の事務所には、小金沢昇司や、北島三郎の娘婿となる北山たかし、原田悠里など、演歌歌手を目指す若者が集まり、一大演歌プロダクションが形成されます。

しかし、御大北島三郎が、演歌歌手としてゆるぎない地位を確立したのに対して、一発屋で終わる弟子も多く、北島ファミリーという看板でのみで暮らしているというのが実情です。一方、山本譲二をはじめとする弟子たちにとっては、凋落した演歌界にあって、北島三郎の威光は絶大。ファミリーである自分はたいしたものと勘違いしてしまう者も少なからずいるようです。特に一番弟子であった山本譲二は、その恩恵を一身に集めた分、増長が過ぎました。

山本譲二の遅きに失した北島ファミリー独立の真相

2007年、遅きに失した感はありますが、山本譲二は、北島事務所を独立して自分の事務所を立ち上げます。表向きは、暖簾分けの円満独立で、マネジメントも協力関係に。しかし、一方で囁かれているのが、師匠である北島三郎との不仲説です。いずれ北島事務所を引き継ぐといわれているのは、北島三郎の娘・智子と結婚した北山たかし。そのため、愛弟子筆頭の山本譲二としては、かねてから居心地が悪かったようです。

一方、北島三郎としても、「みちのくひとり旅」以来ヒット曲もない山本譲二が、自分をさしおき、暴力団なども含め勝手な付き合いをしていたのも間尺に合わなかったのでしょう。そのため、山本譲二の遅い独立は、両者のマイナス要素が一致した結果と見る向きも少なくありません。

山本譲二に甲子園出場経験あり!本名やプロフィールは?

山本譲二は古豪松商学園の控え選手で甲子園出場を果たした

山本譲二は、1950年生まれの66歳。愛媛県生まれで、高校野球の古豪、松商学園高校の出身です。野球部で控えの選手だった山本譲二は、1967年、甲子園に出場。代打ながらヒットを1本打ちますが、1回戦で負け、彼の野球人生は終わりました。翌年、山本譲二は、歌手をめざして上京します。最初は、歌手どころか食べることに必死。

クラブでボーイをしていた頃は、客の残りのビールをよく飲んでいて、どうやら煙草の吸殻などが入っていたらしく、肝臓を壊し、やむなく帰郷する羽目に。しかし、本来の歌を目指せ、と母に叱責された山本譲二は、再び上京します。そして、弾き語りをしていたところ、作曲家の浜圭介に見いだされ、歌手デビューを果たしました。

山本譲二がダーティハリーをもじって伊達春男でデビューするも鳴かず飛ばず

念願かなって歌手デビューを果たした山本譲二でしたが、その後は全く鳴かず飛ばず。その時の芸名が、映画「ダーティハリー」をもじっての伊達春男。これでは確かに売れません。このころ、山本譲二は、すでに25歳になっていました。崖っぷちに立たされた山本譲二は、最後の賭けで、北島三郎を再三訪ね、弟子になることを乞います。

ある日突然、北島三郎から鞄を渡された山本譲二は、以後2年間、北島三郎の付き人となりました。そして、「全日本歌謡選手権」に出場して10週勝ち抜き、本名の山本譲二で再デビューを果たします。しかし、それでも売れません。師匠の北島三郎から、「この曲でだめならやめろ」と言われた「みちのくひとり旅」をリリースしたのが1980年。

山本譲二は、30歳になっていました。やがて1年をかけてロングヒットしたこの曲で、山本譲二は、1981年に紅白初出場を果たします。演歌歌手特有の苦節何年という話ですが、最近のお笑い芸人と比べてみれば、山本譲二は、まだ恵まれていたほうなのかもしれませんね。

山本譲二が「徹子の部屋」で師匠北島三郎の叱責を激白

山本譲二は、2017年2月28日に放映された「徹子の部屋」に登場し、修業時代の話や近況を語りました。山本譲二は、1987年2月に妻の悦子さんと結婚し、今年でちょうど結婚30年になるそうです。出会ったのは1970年代の半ばで、ちょうど伊達春樹の芸名で活動していた頃。鳴かず飛ばずの山本譲二の生活を、モデルや女優業をしていた悦子さんが支えていました。

しかし、山本譲二は、「みちのくひとり旅」が売れると、妻から見ても、急に態度が横柄になったといいます。師匠の北島三郎からも、「ダメだ!襟を正せ!」「かわいくねえ。給料やらねえぞ!」と厳しく叱責を受けたそうです。しかし、どうやらその尊大な性格は、あまり直っていないのかもしれません。

山本譲二は、女性関係もひどかったようで、15年ほど前に悦子さんから離婚届を突きつけられ、さすがにその後は、女遊びを止めたとか。苦節10年を経て大ヒット以後も今一歩なのは、たぶんに山本譲二本人に責任があるようですが、7年前には、顔面の腫瘍が原因で、右耳の聴力を失っています。山本譲二には、北島ファミリーの兄貴分という強面キャラクターを自ら外し、衰退する演歌界にあって、もう一度、本格的で豪快な男歌を歌ってほしいものです。

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