山本昌 年度別年俸、成績、防御率推移は?50歳プロ生活32年の歴史に幕!

山本昌 年度別年俸、成績、防御率推移は?50歳プロ生活32年の歴史に幕!

山本昌 年度別年俸、成績、防御率推移は?投球フォームと打たれない秘密!

山本昌 年度別年俸、成績、防御率推移は?現役生活32年!

山本昌は、1983年のドラフトで中日ドラゴンズに5位指名され契約金2500万円で入団。1984年は年俸360万円で二軍に止まり、1985年も年俸360万円で二軍のままでした。

1986年に年俸380万円でシーズン終盤戦の消化試合で一軍初登板を果たしますが、打者5人に対して被安打2被本塁打1与四球1で失点自責点2防御率27と苦いデビューになります。1987年は、年俸400万円で登板数3防御率16.20。1988年は400万円になりますが、業務提携していたロサンゼルス・ドジャースにてアイク生原と出会い覚醒。

帰国後先発の一角に加わり、5勝0敗防御率0.55と数字にも覚醒したことが露わになっています。1989年は1100年俸万円と大幅増で、9勝9敗防御率2.93と中日の先発陣の一角として起用され始めます。1990年には年俸2100万円と約2倍。10勝7敗防御率3.55と二桁勝利を上げ、防御率も良い結果を出します。

1991年は年俸2800万円で、6勝8敗防御率3.63と、相手も山本昌を研究し始めたことから、数字を落としてしまいました。しかし1992年は年俸2700万円で、13勝10敗防御率3.43でしたが、これはチームが最下位に落ち込み、打撃の援護がなかったことも一因として挙げられます。

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この年に恩師アイク生原が亡くなったことから精神的ショックを受けたものの、恩を返す為にチームが最下位であったにもかかわらず奮闘した証だでしょう。1993年は5200万円と2倍近くアップし、17勝5敗防御率は生涯で一番良い2.05を記録。1994年は1億円の大台に突入し、19勝8敗防御率3.49と後1勝で20勝投手でしたが惜しくも逃してしまいます。

しかし2年連続二桁勝利をあげ、中日のエースの名を確たるものにしました。1995年は1億7500万円と大幅アップしましたが、2勝5敗防御率4.82と大幅に数字を落としてしまいます。これは長年の勤続疲労から左肘左膝を痛めた為、復帰後も復調することなくシーズンを終えます。

これは1996年も影響を与え、年俸も1億3500万円と下げ、7勝9敗1セーブ防御率3.67で終えています。1997年は年俸1億2500万円でしたが、開幕投手を務め勝利し復調をアピールすると、チームは最下位ながらも山本昌は、18勝7敗防御率2.92と好成績を収めました。

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1998年は2年契約になり1年1億8340万円、9勝9敗防御率3.66と成績を落としてしまい、1999年は2年契約の最終年でしたが、8勝5敗防御率2.96と二桁には至れませんでした。2000年は年俸1億8000万円で、11勝9敗防御率2.61と二桁勝利を勝ち取り、2001年も年俸は1億8000万円で10勝と二桁勝利を上げます。

しかし、負けも二桁に達し13敗で防御率は3.63でした。2002年年俸は1億8000万円でしたが、成績を7勝6敗防御率3.96、2003年は年俸1億7000万円に下がり、9勝7敗防御率3.58と、惜しくも二桁を逃しますが、2004年は年俸1億9000万円で2年振りに二桁勝利を上げ、13勝6敗防御率3.15と復調したかに思えました。

しかし、2005年は年俸2億3000万、7勝8敗防御率3.96とまた調子を下げてしまいます。2006年は年俸2億3000万円で11勝7敗防御率3.32と、41歳を迎えても未だ現役をアピール。2007年は年俸2億4000万円で2勝10敗防御率5.07と、中日の顔となった後、最低の数字を出してしまいますが、2008年は年俸1億5000万円。

43歳にもかかわらず、11勝7敗防御率3.16をあげまだまだ現役でイケるとファンも安心しましたが、これが二桁をあげた最後の年になってしまいました。2009年は年俸1億5000万円、1勝4敗10.67、2010年は1億2000万円、5勝1敗防御率3.21。そして2011年は年俸1億円ですが、キャンプ中に右足首を痛め出場機会は無く、年俸4000万円で迎えた2012年。

高木守道監督が山本昌復活を願って開幕投手を吉見一起から変えると、オープン戦も好調のまま開幕戦を勝利しました。しかしこの後は、二軍調整などがあり3勝2敗防御率2.94でシーズン終了。2013年の年俸は6000万円で5勝2敗防御率4.46。プロ入り30年目のシーズンを終えました。

2014年は年俸4000万円で開幕前からツーシームとカットボール習得を目指しましたが、得意のスピンが効いた速球が消えてしまい、二軍でも打たれ再調整する事に。1勝1敗防御率4.50でシーズンを終了し、2015年はシーズン前に右膝負傷。8月9日に復帰登板するものの、9月25日に自身の公式ウェブサイトで引退を表明し、プロ生活32年の歴史に幕を閉じました。

山本昌 投球フォームと打たれない秘密!山本昌を変えたアイク生原によって研がれたフォーム!

プロ入り後、中日の監督になる前の星野仙一が山本昌の投球フォームを見た時、「ただの大柄な男で、不格好なフォームに加え、コントロールもない。背番号34で金田2世と期待していたのに、珠も130km前後しか出ないからがっかりした」とコメントしています。

そんな山本昌は、1988年に中日が業務提供していたロサンゼルス・ドジャースに、野球交換留学として訪れ、世話役をしていたアイク生原と出会ったことが人生の転機になりました。アイク生原からコントロールとスローカーブの精度だけでなく、プロ選手としての態度など生活習慣を厳しく指導されたことで、山本昌の野球への熱意に火が付き、野球の楽しさを思い出させてくれたのだそうです。

その甲斐あってか、野球の楽しさを感じながら熱意を持って練習を続けていると、ベロビーチドジャースで13勝7敗防御率2.00と驚異的な数字を叩き出した山本昌。メジャーリーグのロースター入りを正式に打診され、中日の監督に就任した星野仙一監督が、メジャーでそのままやらせてあげたかったけど、球団社長の意向で戻さざるを得なかったというほど成長を遂げました。

そして相手球団からすると「見ていて疲れる」、味方からすれば「窮屈そう」に見えるゆったりとしたフォームで50歳まで現役を続けたのです。打たれない秘密があるとすれば、あの相手からすると見ていて疲れるくらい、ゆったりとしたフォームから良く曲がるスローカーブと、緩やかだけどしっかりミットに納まるストレートが巧く噛み合ったことと言えそうです。

山本昌 「本業ラジコン、趣味野球」伝説!妻、家族は??

山本昌 「本業ラジコン、趣味野球」伝説!本人は苦笑い!

山本昌「本業ラジコン、趣味野球」伝説は、山本昌が1995年に膝を痛めてリハビリに励んでいた時に、暇つぶしに寄ったラジコンショップでラジコンを見つけたのがきっかけで通い出したのが始まりです。その後、地元名古屋で開催されるレースにはシーズン中でも積極的に参加し、山本昌はラジコンレースで何度も優勝をしています。

その腕前は玄人そのもの。2002年には、全日本選手権EPツーリングカースポーツクラスで4位に入賞するという快挙まで成し遂げています。またこの趣味が高じて、親交あるラジコンメーカーとショーシモデルYM34という山本昌の頭文字と34という背番号を取ったモデルを共同開発し一般向けに販売もしています。

このことから「本業ラジコン、趣味野球」とネットで揶揄された山本昌。山本昌自身がそのコメントを見た時、思わず笑ってしまったそうです。

山本昌 妻、家族は?離婚後に再婚!

山本昌は、2011年、それまで連れ添っていた一般人の妻と離婚しています。妻は東京、山本昌は名古屋と、長年の単身赴任生活。その末の擦れ違いが離婚の原因だと言われています。山本昌には息子がいますが、すでに成人しており、野球関連にも携わっていないようです。そして山本昌は2013年に16歳年下の妻、美智子さんと再婚。現在は、再婚した妻と二人で暮らしていると思われます。

山本昌の今後は!?監督としての姿を見たい!

山本昌は2015年9月25日に山本昌の公式ウェブブログにて引退を表明。50歳で現役生活に別れを告げます。先発投手として機能できるか否か、その判断を山本昌自身がした結果、先発で投げられないなら引退ということになったようです。引退の線引きが、先発投手として機能できるか否か……

たしかに2014年までは先発でいけるというのを山本昌自身が思っていましたし、登板した試合では、その結果を少なからず見せていました。何よりも、50歳まで現役を続けただけでも凄いものです!引退後は、野球解説者として仕事をしつつ、ラジコンを再開し、パソコンにも興味を示していると語っています。

今後は、監督としての山本昌を見てみたいですね。山本昌は力技ではなく、また、ずば抜けた変化球だけではない、独特のプレースタイルで功績をあげてきました。現在、中畑清監督の退任に伴い、出身である神奈川県のチームに空きがあります。もちろん、中日ファンは中日にと思うでしょうが、中日には谷重監督がいますので、ここはぜひ空いている横浜ベイスターズの監督となり、選手にその技を教えて欲しいですね。

現役を32年間50歳まで続けてきたことは、才能だけでなく、山本昌本人の努力と屈しない心の強さの現れです。2010年には、調子を戻すため、趣味のラジコンやクワガタ飼育を封印し、野球に取り組みました。今回の引退は、本人がとことん野球と向き合い出した結論です。今後は趣味に没頭したいところかもしれませんが、生きた伝説である山本昌には、野球界で次の伝説を築いて欲しいものです。

山本昌は名選手です。しかし天才ではありません。試行錯誤し、努力と研究を重ね闘い続けた選手です。そんな山本昌に教えを請いたい人は多いのではないでしょうか。

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