やなせたかしが死去する前に残した詩とは?産相続人はアンパンマン?!

やなせたかしが死去する前に残した詩とは?弟を戦争で亡くしていた

やなせたかしが死去する前に残した詩とは?

やなせたかしは、「アンパンマン」を世に送り出した漫画家です。「アンパンマン」が大好きな幼い子供たちはもちろん、日本で知らない人はいないと言える国民的キャラクターを生み出しました。

2013年10月13日に多くの人に惜しまれながら亡くなったやなせたかしの死因は心不全。入院中のベッドの上でも仕事を続けていたやなせたかしは、死去前に詩「天命」を残しています。綴られていたのは、「生きとし生けるものは天命がある もはや無駄な抵抗はせぬ ゼロの世界へ消えていくでござる」と、自らの死期を悟り受け入れた心境でした。

やなせたかしは弟を戦争で亡くしていた……特攻隊として戦死

2013年に死去した際、妻には先立たれ子供もいなかったやなせたかしには、遺産を相続するような近親者はいませんでした。実は、第二次世界大戦で弟も失くしていたと言います。2歳年下の弟・柳瀬千尋は、京都帝国大学法科生でしたが、戦争のため海軍予備学生となり、人間魚雷といわれた海軍特攻隊特殊潜航艇「回天」に乗り込み、若干21歳で戦死。

自分よりも優秀だと思っていた弟が死に、なぜ自分が生き残ったのか……。やなせたかしの心の内には、「自分が何のために生き残るのか」という思いが深く刻まれて残ったと語っています。

やなせたかしの遺産相続人はアンパンマン?!作詞を手掛けた名曲の数々!

やなせたかしの遺産相続人はアンパンマン?!

やなせたかしの死去後に話題となったのが、莫大な遺産の行方でした。なぜなら、妻の暢は1993年に亡くなっていた上に、子供もいなかったからです。絵本の売り上げはもちろん、絵本を原作にしたテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」のキャラクター商品のロイヤリティ収入といった400億円ともいわれる遺産は、どうなったのでしょうか?

アンパンマンミュージアムとアンパンマンスタジオが相続するよう遺言を残していたというやなせたかし。言わば相続人はアンパンマンとなります。また、遺言の中には、「子供のための良心的な芸術活動に対し2年に1度賞を贈る」と、賞を設けることも指示されていました。それを受けたアンパンマンミュージアムは、「やなせたかし文化賞」を創設しています。

やなせたかしが作詞を手掛けた名曲の数々!

やなせたかしは多くの楽曲の作詞も手掛けてきました。「なんのために生まれて~」の歌詞で知られる「アンパンマンのマーチ」や、アニメのエンディングテーマの「勇気りんりん」はもちろん、アニメ「それいけ!アンパンマン」のほとんどの曲の作詞を担当。

アンパンマン以外では、「手のひらを太陽に」の作詞が特に有名です。漫画制作以外でもさまざまな仕事をしており、手塚治虫が創設した虫プロダクション制作のアニメ映画「千夜一夜物語」では美術監督を担当したやなせたかし。戦後間もない頃、三越デパート宣伝部の社員だった時代には、グラフィックデザイナーとして包装紙のロゴデザインも手掛けており、今も使われています。

やなせたかしの故郷高知に建てられたアンパンマンミュージアムに新サービス登場

多くの人に愛される作品を生み出してきたやなせたかし。その遺産を文字通り受け取ったアンパンマンミュージアムは、やなせたかしの父の故郷であり、やなせたかし自身も幼少期を過ごした高知県にあります。

やなせたかしは、1919年2月6日に東京都に生まれますが、父が、単身赴任していたアモイで死亡したため、父の実家のある高知に親戚を頼って移り住みます。そして、母の再婚をきっかけに、開業医であった伯父(父の兄)に弟・千尋ともに引き取られることになりました。

こうしてやなせたかしが幼少期を過ごした高知県に、1996年に設立されたのが、香美市立やなせたかし記念館です。「アンパンマンミュージアム」「詩とメルヘン絵本館」「やなせたかし記念館別館」といった施設で構成されており、子供から大人までゆっくりと楽しめる充実したスポットとなっています。ちなみに、アンパンマンミュージアムという呼称は愛称だそうです。

訪れる人が絶えないアンパンマンミュージアムに、2018年3月、アプリを使った新たなサービスが導入されました。「やなせたかしアートラリー」と名付けられたスマートフォン向けアプリは、起動すると、ミュージアムの中に展示されている原画の一部が現れます。

入館者が、ゲーム感覚で施設の中にあるその作品を探してたどりつくことができれば、QRコードを読み取って解説が見られるという仕掛けです。指定された作品すべてを見つけると、施設内で使える割引クーポンもプレゼントされるとか。小さい子供も宝探しのように展示を楽しめるよう工夫されているところは、多くの人を楽しませ、励ますような作品を作り続けてきたやなせたかしの記念館にぴったりのサービスと言えるでしょう。

このように、作者であるやなせたかしが亡くなってもなお、子供も大人も大好きなアンパンマンワールドは、姿や形を変えながら人々に寄り添い続けています。

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