安岡力也の屈強すぎる武勇伝!ホタテマンのギャップが愛らしかった!

安岡力也の屈強すぎる武勇伝!ホタテマンのギャップが愛らしかった!出典:https://middle-edge.jp

安岡力也の屈強すぎる武勇伝!ホタテマンのギャップが愛らしかった!

安岡力也は芸能界屈指の武闘派!70人を相手にした武勇伝は屈強そのもの!

芸能界屈指の武闘派として名を馳せ、コワモテぶりでは右に出る者がいないと言われた俳優の安岡力也(やすおかりきや)。俳優の竹内力と風貌や名前が似ているので間違えがちですが、全くの別人です。

彼がこの世を去ってから数年が経ちますが、その武勇伝は、今見ても強烈。多少の誇張はあるかも知れませんが、中学時代には、埼玉を牛耳っていたと言われています。東京の繁華街でも暴れまくった安岡力也ですが、今なお語り継がれているのが、70人を相手にしたというケンカ伝説。

さすがに70人全員を叩きのめしたわけではないものの、グループの中で強そうな相手を選んでボコボコにすると、残りは恐れをなして退散。70人という多勢を目の前にしても冷静なケンカぶりは、まさに芸能界最強の一角を占めるにふさわしいものでした。

しかし、喧嘩に強い武闘派の顔の一方で、優しくて義理堅い人柄でもあったと伝えられる安岡力也。松田優作とは盟友で、生前に病気を打ち明けていたのは撮影関係者では安岡力也だけだったそうです。葬儀の場で、「どっちがケンカ強いかという話をしていた」と気丈にエピソードを語っていたものの、「もう(どちらが強いか)試す機会がなくなったのですね……」と話を振るインタビュアーに絶句。

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ボロボロと落涙して、「アイツとはケンカももうできないんだよ。ケンカできねえんだ……」と情の深さを見せていた姿はとても印象的でした。

安岡力也は「ホタテマン」で一世を風靡!コミックソングで32万枚セールスを記録!

安岡力也を、一世を風靡した「ホタテマン」として覚えている方も多いことでしょう。「ホタテマン」とは、フジテレビ系で大人気を博したお笑い番組「オレたちひょうきん族」の登場キャラクターです。「ホタテマン」の名前通り、ホタテ貝の着ぐるみから手足が出たスタイルで、顔にはプロレスラーを思わせるメイクがなされ、「ホタテマン」の名札を付けているというコミカルな風貌。コワモテな安岡力也とのギャップがどこかおかしくて大ブレイクしました。

同番組の「タケちゃんマン」コントに、暴力団員役の安岡力也がゲスト出演した際、タケちゃんマンを呼ぶためのアイテム「ホラ貝」を、間違って「ホタテ貝」と言ったのがキャラ誕生の始まりでした。この「ホタテマン」から、コミックソング「ホタテのロックンロール」が飛び出し、32万枚のセールスを記録するに至ったのですから、何が幸いするのかは分からないものです。

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安岡力也の本名やプロフィール!結婚した妻や離婚理由は?

安岡力也の本名は「リカルド・ニコ・バレンティーノ」だった?祖父も父親もマフィア?

安岡力也は、1947年7月19日生まれで、2012年4月8日に、満64歳で亡くなっています。イタリア・ジェノヴァ出身で、埼玉県行田市育ち。イタリア人の父親と日本人の母親の間に生またハーフなので、本名は安岡力也ですが、リカルド・ニコ・バレンティーノという名前も持っていたそうです。祖父と父親はシチリアンマフィアだったそうで、6歳の時に父親が抗争で死亡したため日本へ。

彼のコワモテと貫録を見れば、「マフィアの血が流れている」と言われても思わず納得してしまいます。とはいえ、生い立ちにはもう1つの説もあり、祖父・父親ともシチリアンマフィアである点は同じですが、父親は、表向き貿易商で、イタリアと日本を往復する生活。来日した父親と教師だった母親との間に仙台市で生まれ、4歳から埼玉県行田市の祖母宅で育ち、イタリアで育ったことはないとか。

少年時代はケンカに明け暮れましたが、更生して、1964年に映画出演して芸能界デビュー。その後、グループサウンズ「シャープ・ホークス」にボーカルとして参加し、1966年には、シングルレコードデビューを果たしています。この頃は細身のイケメンだった安岡力也ですが、1969年グループ解散後は、コワモテの武闘派キャラで俳優活動をスタートさせました。2005年に肝臓を患ってからは闘病生活を続け、一時はカムバックしたものの、2012年4月に64歳で死去しました。破天荒なエピソードもたくさんある反面、シャイで義理堅い人柄を多くの人々が証言しています。

安岡力也が妻と離婚したのは女性関係が原因だった!

安岡力也が結婚したのは1984年で、一男一女をもうけています。しかし、14年後に離婚。理由は、安岡力也の女性問題で、離婚後は、男手ひとつで長男を育ててきました。安岡力也夫妻のツーショット画像を見ると、結婚した妻は相当な美人です。

安岡力也と結婚するくらいですから、かなり気が強かったとも伝えられており、実際に、長男も、「幼児虐待で相談所に電話したいくらいひっぱたかれた」と振り返っています。そんなときに、必ず「どうした、どうした。よしよし」と抱きかかえて、頭をなでてくれるのが安岡力也だったそうです。コワモテですが、子煩悩な一面もありました。

安岡力也の息子が語る父親像!生体肝移植の手術跡は「絆の証」!

安岡力也が、離婚後に、男手一つで育てあげた長男の安岡力斗が、今は亡き父親への思いを語りつくしています。「オレはイタリアンマフィアの親父と、日本人のおふくろとの間に生まれた。その親父はマフィアとの抗争の中で死んだ」と聞かされ続けた父親の生い立ちを、「でまかせ」と疑う声が多いのも事実。

しかし、息子の安岡力斗は、今もその生い立ちを疑うことはありません。もともとコワモテだった父親は、「安岡力也」というイメージを自分で壊すまいと、武勇伝を残していた面もあったのではないかと分析しています。サービス精神も旺盛に持ち合わせていた安岡力也は、父母たちに頼まれ、学校行事の餅つき大会で一生懸命に餅つきに励むという良き父親でもあったとか。

そんな安岡力也は、長年の暴飲により肝炎に蝕まれていました。父親から64%の生体肝移植を相談された安岡力斗が即座に承諾したのは、「父親にぜひとも長生きしてもらい」「親孝行したい」という思いがあったからです。しかし、術後の病状は悪化の一途をたどり、父親の「力斗、すまねえな」という思いが伝わってくるかのようだったと言います。余命は伝えていませんでしたが、本人はもう長くないと感じていたようで、「死にたくねえよ、死にたくねえよ」と漏らすこともありました。

そして、2012年、あの世に旅立った安岡力也。それから5年経った今も、息子にとって、父親の安岡力也は、偉大なるゴッドファーザーであり続けています。肝移植手術の腹の傷は、父親との絆の証として残しておくという息子に、生前の安岡力也は「120歳までも生きてえな」と語っていたそうです。

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