余貴美子と范文雀、ジュディオングの関係や国籍は?夫との結婚のきっかけはあのドラマ!

余貴美子と范文雀、ジュディオングの関係や国籍は?夫との結婚のきっかけはあのドラマ!出典:

2020年11月18日 更新

余貴美子と范文雀、ジュディオングの関係は姉妹?いとこ同士?国籍や両親は?


余貴美子のプロフィール
◆生年月日:1956年5月12日
◆出身:神奈川県
◆身長:161cm
◆血液型:B型
◆所属事務所:アルファエージェンシー

余貴美子と范文の関係や国籍は?

女優の余貴美子(よきみこ)と、2002年に亡くなった女優の范文雀は、いとこ同士の関係です。台湾人の父と日本人の母の間に生まれ、神奈川県横浜市で育った余貴美子は、1995年7月期のドラマ「愛してると言ってくれ」や2015年公開の映画「ソロモンの偽証」など、いくつもの作品に出演してきたベテラン女優です。

そして范文雀も、台湾人の両親をもつ、日本生まれ日本育ちの女優でした。1969年10月期のドラマ「サインはV」1970年8月から放送された「アテンションプリーズ」や、1970年から公開された映画「野良猫ロック」シリーズなどへの出演や、寺尾聰との結婚・離婚で知られていますが、悪性リンパ腫による心不全で、2002年に54歳の若さで亡くなっています。

余貴美子の台湾人父と、范文雀の台湾人母が実のきょうだいという関係で、余貴美子は、8歳上のいとこである范文雀に憧れて女優を目指したのだとか。また、余貴美子の外国人登録証に記載された本籍は、台湾ではなく「中国広東省」。余貴美子と范文雀の祖先は、台湾へ移住してきた「客家」なのだそうです。

余貴美子とジュディオングが姉妹って本当?両親は?

余貴美子と、ジュディオングが姉妹という噂がありましたが、これは違っています。余貴美子の台湾人の父は、東京や横浜でクラブやキャバレーなどを経営していたそうで、日本人の母は日本舞踊の師範でした。

一方、ジュディオングの父は米軍GHQ報道工作員で、母は台湾人。余貴美子の両親とジュディオングの両親には、まったくつながりがありません。

2人の間に浮上した姉妹説は全くのデマです。ジュディオングの祖国が台湾であることと、余貴美子とジュディオングの顔が”そっくり”と言われていることから、このような噂が生まれたのかもしれません。

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余貴美子が結婚した夫、子供は?身長、体重、性格は?

余貴美子が結婚した夫、馴れ初めは?子供はいる?

余貴美子は、2006年3月、50歳を迎えた年に結婚を発表しました。夫の名前は、山下恒彦。余貴美子より2歳下で、結婚当初はNHK美術スタッフでしたが、その後はNHKチーフプロデューサーを務め、2014年からは多摩美術大学で教授を務めています。自身も多摩美術大学美術学部の卒業生である山下恒彦。1981年に、デザイン科を卒業しています。現在は演劇舞踊デザイン学科の教授を務めており、これまでにいくつもの受賞歴があります。

そんな2人の出会いが、NHKだったことは言うまでもありません。余貴美子の出世作とも言われている2001年のテレビドラマ「ちゅらさん」での出会いが、結婚のきっかけだったそうです。結婚から14年が経つ余貴美子夫妻ですが、子供がいるという話はありません。

余貴美子の身長、体重、性格は?「ハマのマリア」と呼ばれた凄みとは?

余貴美子は公式プロフィールによると、身長161㎝、体重56㎏です。また、余貴美子といえば、ナース服の胸元がはち切れんばかりの豊かなバストがたびたび話題になっていたグラマラスなボディの持ち主です。

その性格は、キリッとした見かけ通り、明るくサバっとした姉御肌。さらに、二日酔い知らずの酒豪なのだとか。高校時代は、横浜の伊勢佐木町や元町界隈のジャズ喫茶やライブハウスでヤンチャをしていたという余貴美子。当時の女子高生としては相当ぶっ飛んでいたようで、バイクチーム「ケンタウロス」に出入りしていたそうです。

しかも美人だったことから「ハマのマリア」と呼ばれ、余貴美子のテーマソングまであったとか。まさに「姐さん」という感じだったようです。余貴美子の結婚が遅かった理由は、そんじょそこらの男では太刀打ちできないような凄みのせいだったのかのしれません。

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余貴美子はファミリーヒストリーで国籍を超えて客家人を意識!映画にも多数出演

余貴美子はファミリーヒストリーのナレーション!自身の出演回で国籍を超え「客家人」を意識

台湾人の父と日本人の母の間に生まれた余貴美子の祖先は、「客家」です。「客家」は、漢民族のなかの一民族とされており、中国から香港や台湾に移ったと伝えられる人々。各地で政治家や企業家を生み、ユダヤ人と比較されることもあるそうです。

余貴美子の親族もまた「みんなが商売をやっていた」そうで、いとこの范文雀をはじめ、多くの人が出入りする賑やかな家だったと振り返っています。日本で初めて客家団体を立ち上げた、日本華僑界の名士とされる祖父をもち、日本にはない独特の文化や風習を幼いころから近くで見てきた余貴美子。しかし父親が早くに亡くなった後は、身近に客家の文化を伝える存在はいなくなっていました。

そうして女優として忙しく過ごすなか、「客家」であることを強く意識するようになったのには、ターニングポイントがあります。2012年10月22日放送の、自身がナレーションを務めるNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」で、余貴美子のルーツが取り上げられたのです。

余貴美子とつながりがあるという中国の客家の人々が、余貴美子の幸せを祈って手を合わせる場面があり、余貴美子は「命の尊さや美しさ」を感じずにはいられなかったと語っていました。「客家人」という感覚が急速に強まり、自身のルーツは「日本や台湾、中国というより、客家」だと感じているそう。それからは台湾を訪ねて墓参りをするようになり、客家関連のイベントなどにも呼ばれるようになっていきました。

余貴美子は映画やドラマに多数出演!

余貴美子は、ベテラン女優でありながら、精力的に現在もありとあらゆるジャンルの作品で活躍しています。老け役を演じさせても、やはり美しい余貴美子。父の反対を押し切って、芸能界入りとなった「オンシアター自由劇場」に入団したのが1976年、20歳の時でした。

1984年に自由劇場を退団し、翌年から「東京壱組」の初期メンバーとして戯曲を中心とした14公演に参加。その後の余貴美子は、テレビや映画に活躍の場を移していきます。先述した2001年の朝ドラ「ちゅらさん」で、広く認知されるようになった余貴美子は、2008年9月公開の「おくりびと」、2009年6月公開の「ディア・ドクター」で、2年連続日本アカデミー賞最優秀助演女優賞に輝きました。この”2年連続日本アカデミー賞最優秀賞受賞”は、あの高倉健や松坂慶子らに続く、史上6人目の快挙だったそうです。

2020年は、映画3本への出演が決まっている余貴美子。2020年7月17日より全国公開されている「ステップ」は、山田孝之演じる父親の健一とその娘・美紀の10年間を描いたストーリー。同作品で余貴美子は、山田孝之の義母役を演じています。

アバンギャルドでもあり、知的でもある妖艶さと、実力を兼ね備えた余貴美子は、「おくりびと」が外国語映画賞した米アカデミー賞授賞式でも、名立たるハリウッド俳優たちに少しも引けをとらない凄みがありました。そこには、祖父の代で台湾から日本に渡り、裸一貫で失敗しては成功し、躓いては起き上がるたくましい余一家の血筋があるのかもしれません。年を重ねて、その魅力にますます磨きがかかる女優・余貴美子。次回作が楽しみです。

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