太田忍(レスリング)柳井学園出身!忍者レスラーのプロフィールと戦績は?

太田忍(レスリング)柳井学園出身!忍者レスラーのプロフィールと戦績は?出典:http://daliosite.com

太田忍(レスリング)柳井学園出身!忍者レスラーのプロフィールと戦績は?

太田忍(レスリング)柳井学園高校進学と恩師!出身地・青森から山口へ

太田忍(レスリング)は、リオオリンピック、グレコローマンスタイル59kg級の銀メダルリスト。山口県にある私立柳井学園出身とのことですが、青森県五戸町出身の太田忍が、日本列島最西の高校に進学したのには、ある理由がありました。

山口県レスリング協会の現名誉会長・勝村靖夫は、太田忍が小学1年の頃から師事していた恩師。小学5年で出場した全国大会では、格上の相手にコテンパンンにやられるも、戦う喜びをにじませる太田忍に、格別の才能を予感していたといいます。太田忍は、倒れるようなハードな練習に向かう根性に加え、当時から抜群のレスリングセンスをのぞかせていたのです。

山口への帰郷が決まった時、勝村靖夫は自ら太田忍に「山口に来ないか」と声をかけました。太田忍は、勝村康夫の家に下宿し、彼の道場で技を磨くことに。そのままレスリング部のある柳井学園に進学し、2011年の山口国体で優勝を飾っています。

太田忍(レスリング)”忍者レスラー”の由来!大学、ALSOKでは世界の頂点にジワリ!

太田忍(レスリング)は、海外で「忍者レスラー」と呼ばれています。まるで忍者のような素早いレスリングに、敬意を込めて付けられた愛称です。本名「忍」の由来は、父親が、ラジオから聴こえてくる”押坂忍アナウンサーが自己紹介する声”が好みだったこと。……やや安直ではありますが、その名が示す”忍耐”が、太田忍の魂には宿ります。

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険しい道をあえて選ぶかのように、グレコローマンレスリングの強豪ひしめく日本体育大学へ進学した太田忍。2年の時に、全日本学生選手権を制覇すると、2014年には、ハンガリー・グランプリで国際大会初優勝を飾り、翌年の天皇杯でも優勝するなど、確実に力を伸ばしていきます。

大学卒業後は、より高みを目指してALSOKに入社。同年に行われたリオオリンピックアジア予選では、ロンドンオリンピックの金メダリストを破っての準優勝を果たし、初のオリンピック本大会出場権を獲得しています。国際試合の経験は豊富ではありませんが、Twitterではサラッと「金メダリストになってくるぜ!」と宣言。太田忍にとっては、単なるビッグマウスではなく、根拠のある自信が言わせているのです。

太田忍(レスリング)は父親が競技を始めたきっかけ!結婚や熱愛彼女は?

太田忍(レスリング)の父親も元レスリング選手!父子が歩んだ1年380日練習が自信を生む

太田忍(レスリング)のレスリングとの出会いは、不意に訪れました。小学1年生の時、父親に車で連れ出された太田忍は、いつものように魚釣りに行くものだと思っていました。しかし、うたた寝から覚めた太田忍がいたのは、勝村靖夫が指導するレスリングクラブ。レスリング経験のあった父親は、太田忍の才能に気づいていたのでしょうか。

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その時、太田忍は、いきなり2歳上の全国2位の少女を倒してしまいました。そのため、勝村靖夫に強く勧められ、入門することになった太田忍。その日から、週2回のクラブ通いの他、父親がレスリングのために改装した自宅離れの小屋で、1日5時間の練習に励むようになります。父親は、「世界一になるためには、世界で1番練習すればいい」「2位ではなく、1位になれ」と、太田忍に教えました。親子鷹での「1年380日練習」は誇張ではなく、世界の頂点に値するほどの厳しさだったといいます。

太田忍(レスリング)結婚はまだ!競技生活を支える熱愛彼女がいてもおかしくない年頃だが

太田忍(レスリング)のリオオリンピック銀メダルの反響は大きく、身長165cmと小柄ながら、屈強な筋肉美と、闘志あふれる顔立ちに”イケメン人気”が浮上。そうなると、気になるのは熱愛彼女の存在や結婚情報です。1993年12月28日生まれ、現在22歳の太田忍は、日本体育大学を卒業したての社会人1年生。結婚はまだ早いかもしれませんが、競技生活を支えてくれる熱愛彼女の存在くらいはあってもよさそうなものです。

しかし、太田忍のTwitterに情報を求めるも、女性関係といえば、居酒屋で姉の誕生日を祝う画像くらい。現在、自衛隊に勤務し、社会人大会では優勝経験を持つ元レスリング選手の姉と、高校レスリング部で研鑽を積む妹との関わりは濃厚なようです。世界の頂点が見え始めた太田忍にとって、今はレスリング一直線の時期なのかもしれません。

太田忍(レスリング)初オリンピック銀メダルに悔し涙!王座しかない忍者レスラーの闘志!

太田忍(レスリング)と父親の「1年380日練習」には、盆正月などなく、運動会の午後であろうが休むことは許されませんでした。時には夕方から、朝5時にまで及ぶことがあったといいます。腕立て伏せの体制を1時間以上キープするなど、小学生男子にとって、体力のみならず精神面でも耐えがたいもの。人並み外れた才能を生まれ持った太田忍といえども、その厳しさは、学校から家に帰るのがはばかられるほどでした。

そんな地道で苛酷な練習にも、真剣な面持ちと、闘志全開で取り組んできた太田忍は、小学生の頃から、すでにバックドロップを決めるほどの馬力を身に付けます。体幹の強さを武器とし、ただならぬ練習量で蓄積した自信によって、高校入学後は全国トップクラスの選手として名を馳せました。しかし、太田忍でも、精鋭中の精鋭レスラーたちが集まる日本体育大学では、全く通用せずに、毎晩涙を流していたそうです。

しかし、持前のレスリングセンスから技量が向上するにつれ、海外トップ選手と争えるようになった時、あの「1年380日練習」の真価がはっきり顕れました。試合後半になっても、スピードが全く落ちない太田忍のスタミナ。忍者レスラーを育てたのは、人一倍堪え忍んだ日々の練習でした。

リオオリンピックでは、1回戦で金メダリストの強豪を破り、銀メダルを獲得。初出場での大偉業であるにも関わらず、太田忍は悔し涙を流しました。世界で1番練習をしてきたのは自分。その自負からほとばしる闘志が、東京オリンピックに向けて、太田忍自身をさらに強くするはずです。

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