吉本せいは吉本興業の女興行師!その生涯と死因に迫る!

吉本せいは吉本興業の女興行師!その生涯と死因に迫る!

吉本せいは、明治、大正、昭和を生きた吉本興業の創業者

吉本せいは、かの吉本興業の創業者にして、山崎豊子の小説「花のれん」のモデルとなり、その一生は、映画やテレビドラマ、舞台となっていることでも有名です。

「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、今日の漫才師が束になってかかっても、吉本興業の創業者である吉本せいの痛快でおもろい人生にはかないません。吉本せいは、明治の終わりから大正、昭和、そして終戦まで、興行界を席巻した女興行師。1889年生まれで、1950年に戦後まもなく肺結核で亡くなっています。このとき、吉本せいは、まだ60歳の若さでした。

吉本せいが全く新しい笑芸「漫才」を生み出した

吉本せいは、荒物問屋の息子であった吉本吉兵衛と、20歳で結婚。1912年、吉本夫妻は、当時8軒もの寄席が競った繁華街の天満八軒で、不人気だった1軒の寄席の経営権を獲得しました。その後、吉本せいの手腕で、またたく間にいくつもの寄席を買い上げた吉本夫妻は、1932年に吉本興業合名会社を設立。戦後1948年には、吉本興業株式会社として、いち早く株式会社化を実現しています。

当時、吉本せいの辣腕ぶりは、「女今太閤」「女小林一三」(阪急東宝グループ総帥)と称されました。浮き沈みの激しい芸能の世界で、吉本せいは、こんな言葉を残しています。「時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くこと。実行する、せんは、こちらが決めればよろし」。

なんといっても、吉本せいの偉大な業績は、従来は落語が中心だった寄席に、物真似、音曲、曲芸といった諸芸を取り入れ、全く新しい笑芸、漫才を寄席にもたらしたことでしょう。

吉本せいの家系図と息子!舞台「笑う門には福来る」キャストは?

吉本せいが草葉の陰で嘆く吉本興業の肥大化とお家騒動

吉本せいは、夫の吉本吉兵衛が、1924年に、37歳の若さで亡くなってしまっただけでなく、子供たちがみんな早世したことから、細腕一本で働かざるを得ませんでした。以後、吉本せいの片腕として働いたのは、吉本せいの10歳年下の弟、林正之助です。そのまた8歳年下の林弘高が、戦前の東京吉本を担うことになります。

吉本せいは、戦後になると会長職に退き、1950年に亡くなりました。そして林正之助が、社長を継いで以来、1973年に一旦社長を退いたものの、1986年に社長に復帰し、1991年に亡くなるまで社長を務めます。吉本せいが戦前の吉本興業の立役者ならば、林正之助は、戦後の近代的な吉本興業を形作った人物です。

その豪快な性格から、あだ名を「ライオン」と呼ばれ、興業界だけでなく、所属タレント誰もが恐れ敬う存在でした。そんな吉本興業は、1980年の漫才ブームにより、念願であった東京への再進出が軌道に乗り、今日の吉本帝国の基礎を築きます。

しかし、吉本正之助の死後、社長の座を巡って、創業家一族と生え抜き社員たちの確執が表面化。背後には、巨大な反社会勢力も見え隠れし、おまけにその威光を笠に着た怪芸人がいたりと、吉本興業の旧態然とした体質が物議を醸したものです。現在は、東京進出の功労者で、生え抜き社員であった大崎洋が、巨大帝国のトップとなっています。

吉本せいがモデルの「笑う門には福来たる~女興行師吉本せい~」を松竹が制作する理由とは

吉本せいを藤山直美が演じる「笑う門には福来たる~女興行師吉本せい~」が、この11月に、大阪の松竹座で上演されました。吉本興業の創業者である吉本せいの一代記を、ライバルである松竹が上演するのも不思議な話です。しかし、吉本興業には、新喜劇はあっても、本格的な演劇を作るノウハウは、創業以来ないのが実際のところ。吉本興業が、今後どのような芸能プロダクションになっていくかは、ここ数年が、大きな節目となるに違いありません。

吉本せいが笑いをビジネスにできたのは誰よりも笑いを愛していたから

吉本せいをモデルにしたテレビドラマの制作がまた発表されました。平成29年後期のNHK連続テレビ小説「わろてんか」です。まだ寄席が賑わいを見せていた明治の終わりから、昭和初期にかけての大阪。時代の変化に伴って、落語中心の寄席は、やがて、物真似や、音曲、曲芸といったさまざまな笑いを吸収しながら、ついに全く新しい笑芸、漫才が誕生します。そんな笑いの世界を、ヒロイン「藤岡てん」が、女性特有の豊かな感性で育み、ビジネスとして成功させていく、笑いと涙のオリジナルストーリーだそうです。

今回の「わろてんか」の脚本は、「美女か野獣」「働きマン」などのテレビドラマや、「ホットロード」「アオハライド」、そしてこの12月に公開される映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の吉田智子が担当します。吉田智子は、「『幸せだから笑う、のではなく、笑うから幸せになれる』というのは本当かもしれません」「皆さんと一緒に『朝活』ならぬ『笑活(わらカツ)』を広めていけたらいいなと思います」と、大いに執筆の抱負を語りました。

確かに、モデルとなった吉本興業の創業者・吉本せいは、笑いを商売として確立した人物です。しかし、それ以上に、笑いをこよなく愛した女性でもありました。タレントを消耗品としか考えず、金儲けだけに走る昨今のプロダクションは、吉本せいがいかにして成功したか、もう一度、その原点に帰るべき時ではないでしょうか。

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