吉田沙保里の戦績と山本聖子の関係とは?霊長類最強の名言集
吉田沙保里の戦績と山本聖子の関係とは?連勝開始と因縁の終止符
吉田沙保里は、日本が世界に誇るレスリング女子選手。「霊長類最強女子」の異名をもつ吉田沙保里の強さは桁外れで、その連勝記録は3ケタに及んでいます。そんな吉田沙保里の因縁ともいうべきライバルの1人に、山本聖子がいます。山本聖子は、1980年生まれで、吉田沙保里より2歳年上のレスリング女子選手です。
父も、姉も、兄も元レスリング選手という、レスリング一家の末っ子として育ちました。これまでに世界選手権で4回優勝している山本聖子ですが、オリンピックへの出場経験はありません。オリンピック代表の座を目指す山本聖子の前に立ちはだかっていたのが、吉田沙保里でした。
吉田沙保里の怒濤の連勝記録は、2002年のジャパンクイーンズカップで、当時の世界王者だった山本聖子を破ったところから始まります。2002年は、山本聖子打倒から勢いづいた吉田沙保里が、アジア大会、世界選手権、全日本選手権で優勝。2003年も世界選手権、ワールドカップで優勝します。
そして迎えたのが、2004年のアテネ五輪レスリング女子代表選考会でした。山本聖子は、代表選考会を兼ねたジャパンクイーンズカップの55kg級に出場し、同じ階級の吉田沙保里が、再びこれを破ります。順当にアテネ五輪代表の座を獲得した吉田沙保里は、その後も連勝が止まらず、金メダルラッシュが続きました。
ところが2016年、リオオリンピックで、吉田沙保里の連勝記録がストップしました。吉田沙保里に逆転勝ちし、念願の金メダルを獲得したのは、アメリカのヘレン・マルーリス。実は、山本聖子の元教え子でした。山本聖子を破って始まった吉田沙保里の連勝記録が、山本聖子の元教え子によって止められたのです。メディアでも、その関係がフォーカスされ、大きな話題となりました。
吉田沙保里、霊長類最強の名言集!「負けて強くなってきた」
吉田沙保里のレスリング一筋の人生は、多くの名言も生み出しています。ここまで打ち込んできたからこそ言えるという言葉や、吉田沙保里だからこそ、味わい深い言葉など、数ある名言の中から5つご紹介。
1つめは、「目標や夢は、早い内からあるとチャンスが広がります。最後まで諦めない人になってください」。3歳からレスリングを始めた吉田沙保里。最初のうちは、自分の意志というよりも、日課として与えられた練習に過ぎませんでした。しかし、続けているうちに、柔道の「ヤワラちゃん」こと谷亮子の金メダルを見て、「自分も金メダルが欲しい」と思ったそうです。目標や夢の実現には、それを達成するための努力と時間が必要です。だからこそ、後回しにしていないで、すぐに始めること。そして、最後まで諦めないことが肝要なのだと教えてくれます。
2つめは、「私は、負けて強くなってきたんです」。3ケタに及ぶ連勝記録などのギネス記録ばかり注目される吉田沙保里ですが、その強さの本質は、負けることにあったといいます。とても負けず嫌いな性格だという吉田沙保里。山本聖子を打ち破って樹立した連勝記録の前には、実は山本聖子に敗北したこともありました。山本聖子に負けて、それをバネにしたからこその強さだったのですね。
3つめは、「勝ちたいという感情ですら邪念」という名言です。練習でも試合でも、とにかくそこに集中することの重要性を説いています。レスリング女子日本代表の合宿は、外国人の代表選手が音を上げて帰国してしまうほどの過酷さです。その過酷な練習に、非常に高い集中力で臨み続けるときには、「勝ちたい」というアスリート本来の感情ですら邪魔とは驚かされます。
4つめは、人気の高い名言。「カワイイ外国人選手と戦うときは集中力が上がりますね……ブン投げてやるって」。日頃は「かわいい」や「きれい」以前に、「強い」が前面に出てしまう吉田沙保里ならではの言葉です。そうした世間の目線をよく理解し、ユーモアにくるんで表現する吉田沙保里には、愛らしさはもちろんのこと、頭の良さも感じさせられます。
5つめは、怖いものは何かと聞かれた時の回答です。曰く、「おばけとかジェットコースターとかダメです」。あまりにもありがちな回答には、聞いていた皆が「えっ?」となることでしょう。霊長類最強女子と呼ばれる吉田沙保里を、試合以外で倒したいならば、お化け屋敷かジェットコースターに連れていけば良いということになりそうです。連れ込む前に張り倒されてしまいそうではありますが。
吉田沙保里のプロフィール!亡き父・栄勝への想いが熱かった!
吉田沙保里のプロフィール!3歳から始めたレスリングで世界制覇
吉田沙保里は、1982年10月5日、三重県に生まれました。元レスリング選手で、その後は指導者となった父親・栄勝の指導のもと、3歳でレスリングを始めます。三重県立久居高等学校を卒業した後は、中京女子大学(現在の至学館大学)へ。大学卒業後も、練習拠点を同大学に置いてきました。
吉田沙保里の圧倒的な戦績は、言わずと知れたものです。レスリング女子の個人戦では、世界大会16連覇、206連勝を飾っています。さかのぼって2012年9月の時点で、すでに、史上最多となる世界選手権10連覇および世界大会13大会連続優勝という記録を打ち立てている吉田沙保里。これは、「霊長類最強の男」と言われたカレリンの記録を上回るもので、そこから、吉田沙保里は、「霊長類最強女子」という異名を得ました。これらの実績が認められ、吉田沙保里は、国民栄誉賞や紫綬褒章も受章しています。
吉田沙保里の連勝記録がストップしたのは、2016年のリオオリンピックです。連覇ならず銀メダルとなり、吉田沙保里も対戦相手のマルーリスも、それぞれの思いでマット上に泣き崩れていた姿が印象的でした。
現在、吉田沙保里は、現役を続けながらも、レスリング女子日本代表コーチも務めています。また、2016年11月より、母校である至学館大学の副学長にも就任しました。
吉田沙保里の亡き父・栄勝への想いが熱かった!親子で勝ち取ってきた金メダルと東京オリンピック
吉田沙保里の父・吉田栄勝は、高校時代にレスリングと出会い、専修大学に入学してからは、フリースタイル57kg級の選手として活躍しました。大学卒業後は、ジュニア向けの道場を開き、多くの子供たちにレスリングを指導。吉田沙保里も、その子供たちの1人でした。2009年にレスリング女子日本代表コーチに就任した父・栄勝は、翌2010年にはアジア選手権で女子チーム監督を務めます。
吉田沙保里が出場した2012年のロンドンオリンピックにも、女子代表チームのコーチとして参加しました。そんな矢先、吉田栄勝が急逝したのは、2014年3月11日。クモ膜下出血でした。知らせを受けた吉田沙保里は、東京での代表合宿参加を中止して帰省し、父・吉田栄勝の姿を見て、「ただ泣くだけの状況」だったといいます。家族からも、日本レスリング協会からも、取材自粛要請があり、約1週間後に予定されていた大会への出場、ひいては現役続行を危ぶむ声すらありました。
しかし、蓋を開けてみれば、レスリング国別対抗団体戦女子ワールドカップで2年ぶりの圧勝。吉田沙保里は、父・栄勝直伝の高速タックルを父の形見として戦いました。2016年のリオオリンピックで敗れた際は、父・栄勝と約束したオリンピック4連覇を達成できず、「金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい」と号泣した吉田沙保里。
時間をおいて気を取り直した吉田沙保里は、父・栄勝に、「私をここまで育ててくれてありがとう」と感謝の言葉を贈り、2020年の東京オリンピック出場を目指して現役続行を表明しています。
吉田沙保里が時代劇に登場?!ドラマ「幕末グルメ ブシメシ!」で着物姿を披露
吉田沙保里が、NHK・BSプレミアムで放送されるドラマ「幕末グルメ ブシメシ!」に出演します。代表選手のユニフォーム姿や、シングレット姿ではなく、なんと着物姿の吉田沙保里が登場します。「幕末グルメ ブシメシ!」の原作は、土山しげるのマンガ「勤番グルメ ブシメシ!」。料理侍・酒田伴四郎(瀬戸康史)が、高野藩藩主・松平茂照(草刈正雄)の参勤交代で江戸を訪れ、殿や同輩、町娘などの悩みを料理で解決していくという物語です。
吉田沙保里が演じるのは、江戸の人気店である鶏鍋「きじや」の常連客であり、その看板娘・お羽(草刈麻有)の幼なじみでもあるお里。軍鶏鍋が好物で、大店の後継娘として婚活中でもあります。時代劇初挑戦ながら、共演者の草刈正雄から演技のアドバイスをもらい、奮闘したと語りました。ドラマ「幕末グルメ ブシメシ!」は、2017年1月10日より、毎週火曜日、午後11時15分から全8回の放送です。
「演技も、タックルも、勇気を持って挑む気持ちは同じ」と言う吉田沙保里は、「ORICON STYLE クイーン・アワード 2016 好きなスポーツ選手」の女性部門で、1位を獲得するなど相変わらずの人気ぶり。2017年の初春は、着物姿の吉田沙保里とともに、温かい季節の訪れを待ってみるのも素敵ですね。