エゴン・シーレはクリムトの弟子!早逝の天才画家が描いたエロスとは?
エゴン・シーレクリムトの弟子!早逝の天才画家の生涯
エゴン・シーレは、オーストリアの画家です。1890年6月12日生まれ、15歳で父を亡くすと、叔父に引き取られて育てられました。叔父のレオポルドは、エゴン・シーレの芸術的な才能を認め、ウィーン工芸学校から、ウィーン美術アカデミーへと進学させます。
しかし、保守的なウィーン美術アカデミーでの授業に失望したエゴン・シーレは、工芸学校時代の先輩だったグスタフ・クリムトに弟子入り。クリムトは、自身と路線は違うものの、熱意のあるエゴン・シーレを可愛がり、モデル代金を立て替えるなど、援助を惜しみませんでした。
クリムトが結成したウィーン分離派の影響を受けながらも、独自の絵画を追求し続けたエゴン・シーレでしたが、スペインかぜに罹患し、1918年10月31日に28歳で早逝。生々しいエロティシズム表現と、ねじれた身体造形という独特な画風は、初期表現主義の美術家として評されています。
エゴン・シーレ早逝の天才画家が描いたエロスとは?
エゴン・シーレの作風は、表現主義に分類されています。表現主義(表現派)は、感情を作品に反映させて表現するのが特徴です。直接的な影響を与えたのは、ファン・ゴッホと言われており、事実、エゴン・シーレも、ファン・ゴッホの「向日葵」を絶賛しました。
もちろん、エゴン・シーレの場合は、師のクリムトや、エドヴァルド・ムンクら、ドイツ表現主義の画家からも強い影響を受けています。そんなエゴン・シーレの作品で、最も多く残されているのがヌード画です。特に少女が多く、子供から大人に変化していく年頃を理想としていました。エゴン・シーレはまた、自身の妹や恋人をモデルとしたヌード画も残しています。
エゴン・シーレが生きた1910年代は、性を描くことに対し、批判的だった時代です。しかし、外部の評価や意見にひるまず、裸体や死といったタブー視されているものを積極的に作品の表現に取り入れていったエゴン・シーレ。特徴的な色彩や表現は、人間の不安定な内面を映し出し、退廃的な空気を醸し出すかのようです。
エゴン・シーレ作品はジョジョ立ちの起原?ヒトラーの関係は?
エゴン・シーレ作品は荒木飛呂彦風!?ジョジョ立ちの起源と言われる理由とは
エゴン・シーレの作品は、多くのグラフィックアーティストや、漫画家にも、大きな影響を及ぼしました。日本では、「ジョジョの奇妙な冒険」の作者として絶大な支持を集める漫画家の荒木飛呂彦が、影響を受けた画家の1人としてエゴン・シーレの名前を挙げています。
実際に、「色彩や絵の雰囲気が似ている」との読者の声も多くみられる荒木飛呂彦作品。独特なキャラクターの動きも見どころの1つである「ジョジョの奇妙な冒険」の中でも、エゴン・シーレの絵に似たポージングが登場しました。しかし、顔に手をかざすなど、さまざまな立ち姿が人気の、いわゆる「ジョジョ立ち」は、エゴン・シーレではなく、イタリアの彫刻からヒントを得て作成されたとのこと。エゴン・シーレと、荒木飛呂彦に共通するのは「ジョジョ立ち」ポーズではなく、作品世界をより魅力的にする、独特な美的センスといえそうです。
エゴン・シーレはヒトラーの嫉妬対象だった!関係は?
エゴン・シーレは、1890年にオーストリアで生まれました。その約1年前の1889年4月、同じくオーストリアのオーバーエスターライヒ州に誕生したのが、後に独裁者として世界的に知られることになるアドルフ・ヒトラーです。早逝の天才画家と、政治家にどんな接点があるのかといえば、ヒトラーに挫折を味あわせたのがエゴン・シーレだといわれています。
画才があったことが知られるヒトラーは、エゴン・シーレが難なく入学したウィーン美術アカデミーへの受験に2回も失敗をしていました。これは、絵の才能がないための不合格というわけではなく、デッサンの提出点数が不足していたという理由によるものでした。1歳年下のエゴン・シーレが合格していたことに激しい嫉妬の感情を抱いたヒトラーは、大きな挫折を味わったことで、歪んだ発想を生んだとも言われています。
エゴン・シーレ天才画家の生涯を描く映画が公開!名画に秘められた絆とは
エゴン・シーレの28年の生涯を描く映画が、2017年1月28日より公開されます。制作は、オーストリアとルクセンブルクの共同で、多くのオーストリア、ドイツ出身の俳優やスタッフが制作に携わっています。注目は、エゴン・シーレ役を務めたノア・サーベトラ。モデル出身の新人ながら、主役に抜擢されました。
野心的で、非情かつプレイボーイなエゴン・シーレを熱演したノア・サーベトラは、モデル出身という端整な顔立ちに、エゴン・シーレの怪しく深く沈んだ空気を見事にマッチさせ、作品世界を引き立てます。独特な表現でエロスを表現し、後世にて確かな評価と支持を得ているエゴン・シーレは、私生活における問題行動が多い人物でもありました。
映画では、エゴン・シーレが特に強い執着と愛情を示した妹のゲルティと、少女ヴァリにスポットを当てながら、エゴン・シーレの人生を追っていきます。妹のゲルティは、16歳で兄のヌードモデルを務め、献身的に兄を支えました。「腕を組んで立つ少女の裸像」のほか、エゴン・シーレ初期の作品のモデルの多くはゲルティが務めています。
ヴァリは、クリムトに紹介されたといわれており、出会った当時は17歳だった少女です。ヴァリは、エゴン・シーレの絵のモデルを務める傍ら、絵を売るために本屋を開いたり、別のモデルを探してきたりと、公私にわたってサポート。後にエゴン・シーレが結婚することになるエーディトという存在が現れても、変わらなかったといいます。
映画「エゴン・シーレ 死と乙女」は、エゴン・シーレを支えた2人の女性との生活を中心に、最高傑作と言われる作品「死と乙女」に秘められた愛の物語を映し出します。映画の公開に先立ち披露されている劇中の写真から伝わってくるのは、絵のモデルをしている時のエロティックなポージングとともに、エゴン・シーレをとりまく退廃的な空気感。2018年には没後100年を迎えるエゴン・シーレの、人生と作品の魅力に触れられる作品です。