篠塚和典が篠塚利夫から改名した理由は?バッティングの天才の現役時代の成績は?
篠塚和典が篠塚利夫から改名した理由は心機一転?
1980年代のプロ野球界において、芸術的なバッティングと華麗な守備で魅せた篠塚利夫改め、篠塚和典(しのづかかずのり)。腰を引いた独特の流し打ちが多くのファンを魅了しただけでなく、後進のプロ野球選手から憧れの選手として名前が挙がるほどの人気でした。まさに、一時代を築いた名選手と言わねばなりません。
篠塚和典は、銚子商業高校時代に4番を打ち、春夏連続で甲子園出場。肋膜炎を患ったものの、野球センスに惚れ込んだ長嶋茂雄監督の強い要望もあり、1975年のドラフト会議で巨人の1位指名でプロ入りしました。セカンド次期レギュラーと位置付けられた篠塚和典は、入団5年目の1980年から1軍に定着します。以降、3割を打てるヒットメーカーとして活躍し、守備でも大胆かつ華麗なプレーを披露しました。
1992年のシーズン途中、篠塚利夫から篠塚和典に改名した際には、ファンの間から戸惑う声が聞かれたものです。この頃の篠塚和典は、腰痛の影響で出場機会が減り、トレード志願と取れる発言をするなど逆境にありました。そうした中、座禅で知り合った寺の住職から「名前がよくないからだ」と指摘されたため、改名に踏み切ったと言います。
しかし、心機一転という意味合いが強かった改名ですが、やはり腰痛で常時出場がかなわなくなった影響は大きく、そこまでの効果はなかったと言わざるをえませんでした。
篠塚和典はバッティングの天才!現役時代は通算打率3割クリアの成績を残すも運に恵まれず……
篠塚和典の現役時代の成績を振り返ってみましょう。生涯成績は、実働18年で1651試合に出場。5572打数1696安打92本塁打628打点、通算打率3割4厘を残しています。現役通算で3割をクリアしている成績は、彼の抜きん出たバッティング力を証明する何よりの材料です。
主な打撃タイトルは、首位打者が2回。他にも、ベストナイン5回とゴールデングラブ賞4回に選ばれました。シーズン打率3割以上を7回記録(うち5年連続)するなど首位打者争いの常連だった篠塚和典ですが、卓越したバッティングセンスから考えると、首位打者のタイトル獲得2回は少なすぎるとも言えます。
もっとタイトルを獲っていてもおかしくない印象がありますが、運に恵まれなかった面もあったのでしょう。一方で、持病の腰痛に苦しめられた点も見逃せません。腰痛によりデッドヒートの夏場に欠場することが多く、現役時代を通じて年間フル出場したシーズンが1回もなかった篠塚和典。2000本安打達成も夢ではありませんでしたが、腰痛による出場機会激減と成績下降で棒に振ってしまったことは大変惜しまれます。
篠塚和典の女性問題、車庫飛ばし事件とは?息子は社会人野球で活躍中!
篠塚和典は女性問題に事欠かないモテモテぶり!車庫飛ばし事件で裏社会との交友が?
篠塚和典は、天才的な打撃もさることながら、女性人気が絶大だったことでも知られています。優し気で細身なルックスの篠塚和典は、女性ファンにモテモテ。当時のプロ野球選手としては洗練されたファッションに身を包み、プロ野球界きってのプレイボーイとして名指しされたこともありました。
女性問題に事欠かず、「女性関係は相当派手」という噂もよく聞かれたものです。とはいえ、女性問題が積み重なり、離婚を繰り返した等と言われているものの、実際の離婚はわずか1回。「遊びっぷりは相当だった」、というイメージばかりが増大していた面も否めません。
むしろ、現役引退後の「車庫飛ばし」事件のほうが気になるところです。巨人コーチ時代の1999年のこと、所有者を偽ってナンバーを登録する「車庫飛ばし」容疑で自動車販売会社の経営者が逮捕されました。その会社の役員に名を連ねていた篠塚和典も、家宅捜索を受けることとなります。しかも、その会社には反社会的勢力の息がかかっていたため、裏社会との交友関係も疑われた篠塚和典。結局は、名義を貸していただけで、年内謹慎で落ち着いたことから、裏社会とのつながりはなかったという結論に至りました。
篠塚和典の息子は社会人野球Hondaに所属!父親譲りの巧みなバットコントロールに定評!
現在、社会人野球の強豪Hondaでプレーしている篠塚宜政(しのづかよしまさ)は、篠塚和典の息子です。父親譲りの巧みなバットコントロールで広角に打ち分ける巧打者との定評があります。しかもポジションは、父親の現役時代と同じセカンドを守る内野手。「篠塚二世」という目で見られてしまうのは仕方ないと言えそうです。
東京都目黒区生まれの篠塚宜政は、小学1年から内野手として野球を始め、中学時代はシニアリーグに所属。桐蔭学園高でセカンドのレギュラーに定着したものの、甲子園出場には手が届きませんでした。青山学院大学では、2年春に、打率3割7分3厘を打ってベストナインを受賞したものの、以降は低打率にあえぎます。
その後、2012年にHondaへ入社。社会人野球のルーキー時代に代打で起用され、初本塁打を放ちました。身長170cmと小柄で、体重は64kgの篠塚宜政。プロでプレーするにはかなりハンディがある体格ですが、細身ながら、優れた打撃技術と守備力を売りにする姿を、父親の現役時代と重ね合わせて見る人も多いのではないでしょうか。
篠塚和典が明かしたバッティング秘話とは?イチローとの共通点は「泳いでも的確にボールをとらえる」こと!
芸術的なバッティングが語り草となっている篠塚和典は、実はあのイチローとほとんど同じモデルのバットを愛用していたそうです。日本球界が生んだヒットメーカー2人がほぼ同じモデルのバットを使用しているとは、単なる偶然の一致とは考えられません。篠塚和典が使っていたバットは、全体に細く、ヘッドが効きやすいタイプでした。
そうしたモデルを好んだ理由は、彼のバッティングが「コースや球速によって、振り幅を落としていく」タイプだったから。対戦するピッチャーの一番速いボールをイメージし、それに合わせていくという実に驚異的なバッティング方法によるものでした。
その打ち方に習熟すると、遅いボールで泳がされても、半分の力でバットを出すだけでボールを捉えやすくなると、芸術的なバッティングの秘訣を明かしています。実際、年間を通して打席に立ち続けるためには、崩れた体勢で打つ練習も必要です。その考え方を突き詰めて行き着いたのが、「細くヘッドが効く」バット。実際、「細くヘッドが効く」を好んだ巧打者・篠塚和典とイチローの共通点は、泳いでも的確にボールを捉えられることにあると言えます。
「イチローも泳いでも詰まってもいいという感覚だから、すごくバッティングの幅が広い」と指摘している篠塚和典。つまり、両者が心がけているのは、きれいな形で打つことにこだわらず、的確にボールを捉えることに集中するというスタンス。……言うは簡単ですが、抜群の対応力あってはじめて可能になることです。
篠塚和典の志向したバッティングは、イチローによって受け継がれ開花したとも言えます。イチローに匹敵するバッターがなかなか現れないという事実が、篠塚和典のバッティング技術の高度さを裏付ける何よりの証拠とも言えるでしょう。