ジーコジャパンの評価や戦績は?ドイツワールドカップで惨敗した真相とは?

ジーコジャパンの評価や戦績は?ドイツワールドカップで惨敗した真相とは?

ジーコジャパンの評価や戦績は?ジーコは、歴代で任期が一番長い監督!

ジーコジャパンといえば、ドイツワールドカップの惨敗のイメージが強いかもしれません。実際のところのジーコジャパンの戦績はというと、2002年9月から2006年6月までの間に60戦33勝12敗15引き分けという結果でした。歴代日本代表監督の中で、一番任期が長く、多くの国際試合をしていたジーコ監督率いたジーコジャパン。トルシエジャパンは2年弱の任期で、52戦24勝11敗17引き分け、岡田ジャパンは2007年12月から2010年6月までの任期で、50戦26勝11敗13引き分けという戦績です。

ジーコは、それまで監督業をしたことがなく、いきなりの日本代表監督就任。監督としての経験がなかったことが、そのまま結果に繋がってしまいました。一言で言うならば、名選手名監督にあらずというのが妥当な評価。日本サッカー協会もそれを考えていたのか、国際試合を多く組んでいることが、試合数で分かります。

ジーコジャパンは歴代の日本代表の中でも、アトランタ五輪世代や黄金世代と言われる成熟期を迎えた選手が多く、海外経験のある選手も多くいました。このことから、ベスト16を超える成績を期待され、ジーコ監督自身も「ベスト4に入りたい」と語っていました。しかしその結果は、1勝もできず、まさかのグループリーグ敗退。ジーコジャパンの評価について、ニューヨークポスト紙では、「ワースト4位のチーム」と酷評されてしまいました。

ジーコジャパンがドイツワールドカップで惨敗した真相とは?「自主性」と「無責任」のはざまで

ジーコジャパンが期待の高さとは裏腹に、ドイツワールドカップで惨敗してしまった理由はどこにあったのでしょうか?試合後のジーコ監督によると、「チームの中に腐ったミカンがあり、それをどうにもできなかった」と、残念な言葉を口にしていました。本来なら、それをどうにかするのも監督の仕事であったかもしれません。しかもジーコ監督は、チームに対して細かいプランは与えず、選手間で協議させるという「自主性」を掲げていました。

そんな状態ですから、個性の強い選手と控えの選手との間に軋轢などが生まれ、大会前からチームの分裂状況はメディアで取り立たされる始末。携帯ゲームに熱中する控え選手に、中村俊輔が注意しても止めなかったと報道されたことすらありました。チームをファミリーだと思っていたジーコは、ファミリーであることを優先し、選手たちを甘やかした結果で少。真に勝ちたいという選手がチームから浮き、フィールドで点と点になってしまい、線が繋がらないという最悪の結果を招いてしまったのです。

世界レベルの審判を務める上川徹主審と広嶋禎数副審は、ドイツワールドカップ日本代表チームについて、出場チームで一番戦っていなかったと評価でした。

ジーコ監督の今現在は?国際サッカー連盟(FIFA)会長選挙を断念した理由とは?

ジーコ監督の今現在は?各リーグを渡り歩く!

ジーコ監督は、現在、インドのプロサッカーリーグであるインド・スーパーリーグFCゴアの監督に就任しています。ジーコ監督は日本代表監督を退任後、トルコの名門フェネルバフチェの監督に就任し、リーグ戦で優勝。UEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントへチームを初めて導き、ベスト8という結果を残しました。その後もジーコ監督はフェネルバフチェで指揮を続けますが、2008年に条件が合わず退任。その後2009年1月には、CSKAモスクワ監督に3年契約で就任。国内カップで優勝したものの、リーグ戦では首位に溝を大きく開けられ4位という結果になりました。

ジーコ就任前の6シーズンで、CSKAモスクワは、優勝3回、準優勝2回。ロシアリーグの強豪チームとして知られていたため、チームは、成績不振を理由にジーコ監督を1年未満で解任しました。2009年9月には、ギリシャ・スーパーリーグのオリンピアコスの監督に就任したジーコ監督。ここでも思うような成績を残せませんでした。CSKAモスクワ同様、オリンビアコスも国内最強チームであったため、ジーコ監督の出した結果にサポーターは激怒し、暴動まで起きてしまいます。結果、ジーコ監督は4カ月で解任されました。その後2011年8月に、ジーコ監督はイラク代表監督に就任。

しかし2012年11月に給料問題で辞任して、2013年8月にカタールのアル・ガラファ監督に就任するも、またしても半年持たずに成績不振を理由に解任。そして2014年9月からは、インド・スーパーリーグFCゴアの監督に就任したのでした。

ジーコ監督が国際サッカー連盟(FIFA)会長選挙を断念した理由とは?日本サッカー協会は返事なし!

ジーコ監督ほど著名で、華々しいサッカー人生を持つ方が、なぜ、国際サッカー連盟(FIFA)の要職につかないのでしょうか。実はジーコは、国際サッカー連盟(FIFA)会長選挙に向けて、これまでに仕事をした国のサッカー協会に支持を求めるメールを送っていたのだそうです。

さらに、200以上の全ての国のサッカー協会に、改革案も提出。しかし、芳しい返事を貰えず、中でも日本から返事は一切なかったことから、国際サッカー連盟(FIFA)会長選挙を断念したと言われています。ジーコは、Jリーグ成功の立役者の一人。そのため、日本サッカー協会とジーコの関係は、監督就任前は良好でした。

だからこそ、返事が来なかったことに対し、ジーコ自身もものすごく悲しかったと語っています。当面、ジーコ監督がFIFA会長になることはないかもしれませんが、協会長としてサッカーの発展に寄与してくれるかもしれない人物であることは確か。今後、ジーコがFIFA会長に就任する可能性がないわけではないでしょう。

ジーコ監督の今後は!?監督よりサッカー協会会長へ!

ジーコ監督は、今の日本代表について「自分が監督時代の中心選手である中田英寿や中村俊輔、中澤、宮本は闘う魂を持っていた。そういう選手が今はいない」と語っています。そんなジーコ監督の気になる今後ですが、監督としての手腕は、フランツ・ベッケンバウワーやヨハン・クライフとは違うと理解し、FIFAの会長就任へ意欲的に動き、サッカーの普及に励んでほしいと思います。ジーコが名選手であることは、世界中が認めています。

ぜひその知名度を生かして、世界中のサッカー協会を統括し、サッカーの未来について思いをはせて欲しいです。そして日本代表についても、選手目線でアドバイスして欲しいと考えます。ジーコが選手目線で語れば、名選手であったジーコの話を聞く選手は多いはずです。輝いていた時代のジーコのプレーは、どの選手にも引けを取らない素晴らしいものでした。ジーコ監督のキャリアが今ひとつなのは、チームに恵まれなかったというよりは、いつまでも現役の気持ちが手放せないことが要因ではないでしょうか。それを悪く捉えずに、選手目線をいつまでも大事にし、閉塞感のあるサッカー協会を開放して欲しいものです。選手にとって必要不可欠で頼りがいのあるサッカー協会を確立する未来へと。

現在ジーコ監督は、インド・スーパーリーグで監督を務めていますが、いっそ日本のサッカー協会の会長になってもらうのも手かもしれません。日本のサッカー協会も、監督選びで失敗するほど手腕が落ちています。宮本も技術委員長へ就任していますから、タイミングとしてもちょうど良いのではないでしょうか。

ジーコは名選手でした。名監督フランツ・ベッケンバウアーやヨハン・クライフにはなれませんでしたが、政治面での手腕は二人より上かもしれません。これからも注目したいですね。

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