2022年12月7日 更新
三山ひろし紅白出場決定!紅白ステージでもけん玉を披露?!
三山ひろしが紅白出場決定!
三山ひろしは、今までにない、斬新なタイプの演歌歌手。何が斬新かというと、三山ひろしの歌唱スタイルはなんと「けん玉を使いながら歌うこと」なのです。今年に入って、NHKを中心に、断然露出の増えた三山ひろし。夏ごろから噂されていた「紅白出場」は、予想通りで、出場歌手の中には、三山ひろしの名前がしっかりありました。
実は、この紅白出場には、あの芸能界のドン、バーニングが動いているとか。バーニングの社長の猛プッシュで、今年の夏ごろから「話題の演歌歌手」として、三山ひろしをガンガン露出させ、紅白出場にこぎつける、というシナリオがあった、というのが三山ひろし紅白出場のの真相のようです。
三山ひろしは紅白ステージでもけん玉を披露?!
三山ひろしの紅白出場が現実的となったのは、「お岩木山」がデビュー曲以来7年ぶりに、総出荷枚数10万枚を超えたということ。演歌・歌謡曲のジャンルで、今年初のゴールド認定となった、この「お岩木山」のシングルCDジャケット。なんと、紋付きをまとった三山ひろしが、青空を背にけん玉を構えて写真に写っている、というものなのです。
三山ひろし本人も「紅白に出たら、お岩木山を歌いたい」と語っていたことから、紅白のステージで歌われるのはこの「お岩木山」で間違いなさそう。ということは、やはり紅白のステージでも、三山ひろしがけん玉3段の腕前を披露することは確実?紅白二刀流のけん玉披露とでもなるでしょうか。
三山ひろしのどん底修業時代!ビタミンボイスで花開く!
三山ひろしのどん底修業時代!
けん玉歌手、なんて言葉を聞くと、ぽっと出の新人歌手のような気がしますが、三山ひろしの修行時代は大変なものだったのです。2003年、25歳の時に、歌手になりたいと仕事を辞めて上京するも、歌手になるあてもないまま仕事を探す日々だった三山ひろし。ある日、現在の師匠である、前ひろこがオープンする「ライブレストラン青山」のウェイターの求人に応募。ここから三山ひろしの演歌歌手としての修行が始まります。
夜はレストランのウェイター、昼は師匠の身の回りの仕事で、寝る間もないまま働きつづけた3年間。何もかもが初めてだったため、三山ひろしは、師匠から雷を落とされたこともしばしば。しかし、この厳しい3年間のおかげで「歌い手というのはいろいろな人の支えがあって成り立っている」というのを肌で感じることができたのだそうです。
三山ひろし、ビタミンボイスで花開く!
三山ひろしといえば、キャッチコピーは『聴く人を元気にする「ビタミンボイス」』というもの。人々に元気を与える三山ひろしの歌声は、デビューするとたちまち話題となり、デビュー曲『人恋酒場』がいきなり10万枚のヒットを飛ばす、という華々しいデビューを遂げます。ちなみにこのデビュー当時は、けん玉はしていませんでした。
その後、けん玉という強力な相方(?)を手に入れ、ますます突き進んでいく三山ひろし。紅白出場もさることながら、ロックバンドthis is not a businessとのコラボレーションや、数々のバラエティ番組への出演など、常に話題性のある演歌歌手として、歌声だけでなく、そのバイタリティーから元気をもらえそうな活躍を続けています。
三山ひろしはけん玉だけじゃない!努力の積み重ねで今の活躍がある!
けん玉歌手として、今年に入ってメディアへの露出も増え、バーニングの周防社長の猛プッシュもあり、紅白出場へとこぎつけた三山ひろし。これだけみると、変わり種の「一発屋」的なにおいがしてしまいますが、実は三山ひろしは、子供のころからの苦労人。小さい時に両親が離婚し、貧しい母子家庭の家計を支えるため、中学1年のころから新聞配達をしていたのだそうです。
そんな三山ひろしと演歌との出会いは3歳のころ。五木ひろしの「ふたりの夜明け」を歌っていた三山ひろしの歌声に、横で聞いていた三山ひろしの祖母が「この子は普通の3歳児にないものを持っている!」と感動し、そこから、三山ひろし本人も演歌歌手を夢見るようになったのだとか。大人になり、一度はあきらめかけたその夢でしたが、祖母が最後にチャンスをと『NHKのど自慢』に応募。見事その週のチャンピオンに輝いた三山ひろしは、そこから「やっぱりもう一度演歌歌手を目指そう!」と一念発起して上京したのです。
そして3年。厳しい修業時代を経て、ようやくデビューにこぎつけたのが『人恋酒場』でした。こうしてみると、大変な苦難を幾度となく乗り越えてきた三山ひろし。しかも、けん玉3段というのはかなりの超難関。三山ひろしは、何事にも一生懸命ひたむきに努力してきたのでしょう。
そんな三山ひろしには、今後もずっとそのビタミンボイスとけん玉で日本中に元気を与え続けてほしいものでね!