浜村淳を北川景子が大激怒させた事件とは?ラジオ「ありがとう浜村淳」人気と長寿の秘訣!

浜村淳を北川景子が大激怒させた事件とは?ラジオ「ありがとう浜村淳」人気と長寿の秘訣!

浜村淳を激怒させた、北川景子との世代間コミュニケーションロス

浜村淳といえば、人気冠番組であるラジオ「ありがとう浜村淳です」。関西で不動の地位を築く人気番組であるため、映画俳優や歌手が、大阪でキャンペーンを行う場合は、「ありがとう浜村淳です」に出演することが多くあります。これは最近の黒柳徹子にも言えることですが、さすがにお年なのか、浜村淳であっても、若い俳優やタレント・歌手がゲストの場合は、すでに知られたプロフィールやデータを問いかけるだけ。

そのため、相手もオウム返しに答えるしかなく、盛り上がらないトークになることもあるようです。かつて、女優の北川景子が、自らの主演映画「花のあと」のPRで来阪した時も、このようなことがありました。なまじ北川景子が綺麗な若い女性だったのがいけなかったか、北川景子のそっけない態度に、浜村淳のプライドが傷つき、激怒したという話があります。

しかし、北川景子にすれば、初対面の妙にハッスルしたおじいちゃんに矢継ぎ早に質問されても、紋きりでしか答えようがないのも確か。世代間コミュニケーションは、浜村淳のようなプロであってもやはり難しいようです。

浜村淳は、「ありがとう浜村淳」を40年間続けるギネス級超ローカルタレント

全国各地には、今も活躍しているベテランローカルタレントがいます。例えば東北には伊奈かっぺい、関東には毒蝮三太夫やヨネスケ、中部にはツボイノリオ、九州には、すでに亡くなりましたが、ばってん荒川など。そして関西には日本有線大賞の司会などでメジャーでも知られている、浜村淳がいます。

浜村淳は1935年生まれの御年80歳。浪速のモーツァルト、キダタローとともに、戦後の関西の芸能・音楽界を語ることができる数少ない人物です。浜村淳の名を関西で不動のものにしたのは、月曜から土曜までの朝の帯番組、毎日放送ラジオの「ありがとう浜村淳です」。

なんと1974から現在まで、40年間も続いているギネス級の長寿番組で「ありがとう浜村淳です」という、浜村淳のタイトルコール自体がものまねされるほど。上品ではありながらも、あくの強い大阪弁の語りが、今も圧倒的人気を誇っています。

浜村淳の映画解説はネタバレ99.9%の面白さ!名台詞、名言集!

浜村淳の映画解説は、もはや映画を元ネタにした至極の話芸

浜村淳の名調子は、「さて、みなさん聞いてください」で始まる映画解説で特に発揮されます。ただし、注意が必要です。浜村淳は、映画内容をまるまる1本を語ってしまうため、映画解説がほとんどネタバレ。かつて、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」を解説した時は、アクションシーン全てを、独自の擬音で表現。

おまけに、そんな技などないのに、「必殺飛燕一文字五段蹴り!」と言い放ってからは、アクション映画のクライマックスシーンでは、かならずこの名台詞が登場しています。おまけに出演者たちの台詞は全て、こてこての大阪弁に置き換えられて、浜村淳の一人芝居として演じられるので、実際の作品とはかなりかけ離れたイメージになるのです。

しかし、リスナーは、浜村淳の名台詞・名言を聞いていると、いかにもその映画を見たような気になるから不思議です。なにせ、浜村淳が語る映画紹介は、本編よりずっとおもろいと、笑福亭鶴瓶が賞賛しているほどですから。これはもう映画を元ネタにした、浜村淳独自の名言づくめの話芸といってもよいでしょう。

浜村淳のパワーの源は、はるかな昭和世代の気概か

浜村淳は今も、早朝にスタジオ入りして、主要な新聞や週刊誌全にて目を通し、番組が終われば、映画の試写会に出かけるという生活を40年間ずっと続けているそうです。これは、とても並の人間にはできるものではありません。浜村淳80歳、彼のパワーの源はいったい何なのか。もはや、はるか遠くとなった昭和世代の気概というものなのでしょうか。

浜村淳が、シネマズエキスポシティの名誉支配人に

浜村淳は、大阪千里山にかつてあったエキスポランドの跡地に2015年11月15日オープンした、日本最大級の複合施設「EXPOCITY」109シネマズエキスポシティの名誉支配人に就任しました。同映画館は、世界初の「IMAX®次世代レーザー」と「4DX」を同時導入した最新鋭のシネコンです。

関西を代表する映画館として、地域に愛されたいという運営サイドが、関西で愛され続けてきた映画人で、吹田市に在住の浜村淳こそ名誉支配人にふさわしいと、任命を願っての今回の起用。浜村淳は、戦後の関西で、盛んに催されるようになったジャズやビッグバンドの音楽ショーの司会を、学生時代から務め、当時、破竹の勢いだった渡辺プロダクションの専属司会者となります。その後、地元に戻った浜村淳は、吉本興業に所属。

やがて独立して、1974年、毎日放送ラジオ「ありがとう浜村淳」で、ラジオパーソナリティとなることで、独立無比のローカルタレントとなりました。和田アキ子を呼び捨てにし、石田あゆみを本名のヨシコちゃんと呼べるのは、今では浜村淳しかいないでしょう。浜村淳のバイオグラフィーは、戦後関西の芸能史ともいえます。

しかし、そんな浜村淳でさえ、ネットやSNSなどが主流の現代の若者文化は全くお手上げのようです。芸能界やメディアも世紀をまたいで、いよいよ大きな変革期に入ったということでしょうか。「さて、みなさんはどう思いはりますか」。

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