プリンス(ミュージシャン)死因の謎!「パープルレイン」は自伝映画だった!
プリンス(ミュージシャン)、死因には多くの謎!鎮痛剤の過剰摂取の痕跡も?
プリンスは、全世界でカリスマ的な人気を獲得していたミュージシャン。突然飛び込んできた訃報に衝撃を受けたファンは数多くいることでしょう。プリンス(ミュージシャン)は、1958年6月7日生まれで、2016年4月21日に57歳で死去しました。アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス出身で、本名はプリンス・ロジャーズ・ネルソンです。
ジャズミュージシャンの両親の間に生まれたプリンス(ミュージシャン)は、ジュニアハイスクール時代にバンドを結成するなど、その音楽的才能をめきめきと発揮。メジャーレーベルがその才能を放っておくはずがなく、数社の入札の結果、ワーナー・ブラザーズと1977年に契約して、1978年デビュー。特定のジャンルにこだわることなく、ロック、R&B、ジャズなど幅広く活動し、数多くの信奉者を生んできました。プリンス(ミュージシャン)の代表作には『パープルレイン』、『サイン・オブ・ザ・タイムス』、『1999』などが挙げられます。
そんなプリンス(ミュージシャン)の突然の死の原因については、いまだに多くの謎が残されています。ミネソタ州の自宅での死去が判明した際、鎮痛剤の過剰摂取の痕跡が指摘されていたり、死の直前に154時間連続で作業していたことも証言されたりするなど、謎は深まるばかり。検死作業はすでに終わっており、警察は、自殺の可能性はないという見解を示していますが、死因に関する全容が明らかになるまで数週間はかかる見込みです。
プリンス(ミュージシャン)、『パープルレイン』は自伝映画だった!サウンドトラックも大ヒット!
プリンス(ミュージシャン)が主演を飾った、1984年制作の映画『パープルレイン』。これは、プリンス(ミュージシャン)の自伝映画ともいえるものです。この映画でのプリンス(ミュージシャン)の役は、ミネアポリスでトップの人気を誇るバンド『ザ・レヴォリューション』のリーダー・キッド。「父親は黒人で、母親が白人」という生い立ちのキッドが、恋人やバンドのメンバー、さらに家族との関係に悩みながらも、ハッピーエンドに至るという、これまでのプリンス(ミュージシャン)の経歴を踏まえた自伝的なストーリーになっています。
タイトル通り、パープルの衣装で統一された、キッドの圧倒的な存在感に度肝を抜かれた人は数知れないことでしょう。興業収入は6800万ドルという堂々たる成績を収めたことも評価され、プリンス(ミュージシャン)は、アカデミー賞歌曲・編曲賞を受賞し、映画界にも大きな足跡を残しました。同タイトル『パープルレイン』のサウンドトラックアルバムも大ヒットし、プリンス(ミュージシャン)の代表作の1つとして認知されています。
売上枚数は全米で1300万枚、全世界では1500万枚といわれており、ヒットの規模は桁違い。発表初週には100万枚を売り上げ、チャートのトップを24週間も独占し続けたのですから驚きですね。『パープルレイン』以外にも、『レッツ・ゴー・クレイジー』など、プリンス(ミュージシャン)の往年のヒットソングを収録した本アルバムは、間違いなく彼の代表作として位置づけられるものです。
プリンス(ミュージシャン)は天才ギタリスト!低身長、結婚歴は本当だった!
プリンス(ミュージシャン)、実は天才ギタリスト!オールラウンドさが過小評価に?
プリンス(ミュージシャン)は、天才的なギタリストとしても知られていました。しかし、その腕前に対して、妥当な評価がされているかといえば、実はそうとはいえません。米音楽誌ローリング・ストーンが、2007年11月号で公開した「最も過小評価されているギタリスト25人」で第1位に挙げられているのが他ならぬプリンス(ミュージシャン)。手先が器用なプリンス(ミュージシャン)が繰り出すギタープレイは超絶的で、多彩を極めています。
そのギタリストとしての実力は、大御所ジェフ・ベックが絶賛するほどなのです。しかし、「プリンスって、そんなに凄いの?」という認識が多数派なこともまた事実。プリンス(ミュージシャン)は、ヴォーカリストやソングライターとしての評価がハイレベル過ぎたがゆえ、ギタリストとしては、まっとうな評価をされにくかったのかも知れません。
加えて、「ほぼ全楽器の演奏ができる」というオールラウンドな点も、ギタリストとしての印象を薄めてしまっていたのでしょう。しかし、ギターを含めた主要楽器のすべてを、超一流レベルで演奏してしまえるのが、プリンス(ミュージシャン)の天才たるゆえんと言えます。
プリンス(ミュージシャン)、160cm未満の低身長は本当だった?結婚歴2回あり!
プリンス(ミュージシャン)が低身長ということはよく知られており、本当の話です。身長は公表されていませんが、160cm未満であることは間違いないでしょう。157cm~158cmくらいというのが、有力な説です。男性で身長160cm未満といえば、日本でも低身長の部類ですが、大柄な人が多いアメリカになると、この低身長がよけいに目立ちます。昔から身長のことを周囲にからかわれ、コンプレックスになっていたといわれているプリンス(ミュージシャン)。
そのためか、普段から必ずハイヒールを履いていたため、テレビ画面や写真で見る限り、低身長には見えません。映画『パープルレイン』のパンフレット写真も、乗っているハーレー風のバイクは、実はホンダ製の小さいバイクにハーレー風のカウルを取り付けただけのようです。本物のハーレーでは、プリンス(ミュージシャン)の小柄さが際立って見えてしまうという配慮からと思われます。
ところで、プリンス(ミュージシャン)の結婚歴は2回あります。1996年に、バックダンサーのマイテ・ガルシアと電撃結婚。長男をもうけましたが、彼は難病により亡くなってしまいました。その後、2000年、プリンス(ミュージシャン)とマイテは離婚。翌2001年に、プリンス(ミュージシャン)は、18歳年下のマヌエラ・テストリーニと再婚を果たしました。
お相手の女性は、プリンス(ミュージシャン)が所有するスタジオの元従業員といわれ、おしどり夫婦ともいわれていましたが、2006年に円満離婚。それ以降、プリンス(ミュージシャン)は独身を貫いていたようです。
プリンス(ミュージシャン)、YOSHIKIら日本のミュージシャンから追悼の声! ビギナー向け情報にファンサイトも!
プリンス(ミュージシャン)の突然の訃報について、日本国内のミュージシャンたちが続々と追悼のコメントを発信する動きを見せています。まず、YOSHIKIが「あなたの音楽は世界中の人々に影響を与えた」とツイート。作家でありながら自身の音楽活動も展開している辻仁成は「どこか遠くにやすらかな世界があり そこへ君も 帰っていくのかな」と追悼の詩を掲載。西川貴教は、T.M.Revolution生みの親として、先日世を去ったデビッド・ボウイと並んでプリンス(ミュージシャン)の名を挙げ、今年に入ってその2人が次々と世を去っていくことに哀悼の意を表明しています。
IZAMが「これでまた、音楽の歴史の幕がまた一つ閉じた」と、ブログで感慨深いコメントを発信するなど、彼ら熱烈なプリンス(ミュージシャン)信奉者たちは、偉大な先駆者を失ったことによる喪失感を隠せないようです。しかし、プリンス(ミュージシャン)に疎い人が意外と多いのもまた事実。
ひとくくりに「孤高の天才」と称されることの多いプリンス(ミュージシャン)は、実像をとらえきれないという面もあるかもしれません。「どんな活動をしているか知りたい」という人向けに、プリンス(ミュージシャン)に関する情報を発信しているファンサイトもありますので、一度参考にしてみるとよいかと思います。
「プリンスって何者?」、「どんなジャンルを手がけているの?」といった具合に分かりやすくレクチャーされていますので、ビギナーにはうってつけです。プリンス(ミュージシャン)を知らない若い方も、これらの情報を入門編として、彼の音楽に触れてみるのもいいでしょう。いずれにしても、ポップス界に歴史を残したプリンス(ミュージシャン)の名声は、今後も不朽のものとして輝き続けることは間違いありません。