浅田次郎おすすめ作品一覧!直木賞作家の経歴は?
浅田次郎「泣ける」おすすめ作品一覧!
浅田次郎は、作品が次々と映像化される人気の直木賞作家です。ユーモアを交えて描かれる人情味あふれる作品で「平成の泣かせ屋」と呼ばれることも。そこで、浅田次郎作「泣ける」おすすめ作品を一覧でご紹介します。
まずは、「プリズンホテル」。ヤクザが経営するというおかしなリゾートホテルを舞台に、笑いを交えて人間模様を描いた作品です。悪漢小説とはいえ、読後感にじんわりあたたかいものが残る作品となっています。続いて「地下鉄に乗って」。過去と現在を生き来できる不思議な地下鉄に乗ることになった男。
やがて、今は亡き兄の思いや、対立していた父の生き方を知ることになって……。主人公とともにタイムスリップした感覚さえ覚える、浅田次郎の文章のうまさも光る作品になっています。最後は、高倉健主演で映画化された感動作「鉄道員」です。自身も定年を控えている、廃線間近の北海道のローカル線の駅長。娘を幼い頃に失い、妻にも先立たれた孤独な駅長のもとに、小さな奇跡が訪れます。涙なしに読み切るのは難しい「泣ける」作品の代表格といってもいいでしょう。
浅田次郎、直木賞作家の経歴は?長すぎる下積み生活!
浅田次郎といえば、ベストセラー作家というイメージをもっている人も多いと思いますが、現在の地位を確立するまでには、紆余曲折がありました。1970年に作家・三島由紀夫が割腹自殺をとげた「三島事件」に衝撃を受け、高校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。
しかし、少年時代から小説家になるという夢をもっていた浅田次郎は、自衛隊を2年で除隊。執筆活動の傍ら、さまざまな職を転々とします。その後、婦人服販売会社を経営しながら、ライターとして活動し、1991年に「とられてたまるか!」、1992年に「きんぴか」が単行本化され、以降少しずつ依頼が舞い込むようになります。浅田次郎は、40歳にしてようやく作家活動が軌道に乗り始めたのです。
浅田次郎は競馬の達人!?原作ドラマ「きんぴか」あらすじキャスト
浅田次郎は競馬の達人!?馬主にまで登りつめた!
浅田次郎は、ベストセラー作家であるだけでなく、実は大の競馬好きで有名です。競馬予想家として収入を得ていたこともあるほどなので、その腕前はかなり本格派。「競馬どんぶり」「勝負の極意」といった競馬に関するエッセイも多くあり、内容の深さから、競馬愛好家らも熱い支持を受けています。特に自衛隊除隊後は、近親者の不幸でもない限り、ほぼ毎週競馬場に通っているのだとか。
しかも、馬券は、全国の競馬場の全レース分を買うそうです。一時期は馬主にもなったこともあるそうですから、浅田次郎の競馬道の突き詰め方は達人といって間違いありません。
浅田次郎の原作ドラマ「きんぴか」あらすじキャスト
浅田次郎の初期作品「きんぴか」が、WOWOWでドラマ化されることが決定しました。登場人物は、昔ながらのヤクザの阪口(中井貴一)、屈強な自衛官・大河原(ピエール瀧)、政治家の収賄容疑の濡れ衣で逮捕された政治家秘書・広橋(ユースケ・サンタマリア)。
この曲者の3人が、老刑事・向井(綿引勝彦)によって手を組んで、自分たちを陥れた人間たちに落とし前をつけるべく活躍します。「きんぴか」は、初期浅田次郎作品の特徴といえる、胸のすくようなピカレスク小説。映像化には、新旧のファンたちから大きな期待が集まっています。
浅田次郎が売れない小説家からベストセラー作家になるまで
浅田次郎は、1951年生まれの64歳。2011年からは日本ペンクラブ会長に就任し、直木賞、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞といった名だたる文学賞の選考委員も務めています。もはや、文学界の重鎮といった趣きさえある浅田次郎ですが、家族には長い間「売れない小説家」だと思われていたといいます。
浅田次郎がその汚名を返上したのは、1995年。「地下鉄に乗って」で、吉川英治文学新人賞を受賞し、初めて自分の本の広告が新聞に載った時だそうです。その時すでに、浅田次郎は44歳。その後は、ヒット作を連発して、順調にベストセラー作家となっていくわけですが、その下積み生活は長いものでした。
浅田次郎が小説家を志したのは、少年時代。13歳で、集英社の『小説ジュニア』に初めて投稿をして以来、さまざまな小説誌や新人賞に投稿を続けていきます。しかし、結果は芳しくなく、なかなか華々しいデビューとはなりませんでした。
小説を書く傍ら、高校を卒業した浅田次郎は、自衛隊へ入隊。自衛隊除隊後は、小説執筆をしながら、雑誌ライターとして活動を続けていきます。得意の競馬だけでなく、インタビュー、書評、風俗ルポと、どんな依頼でもこなす日々。しかし、そんな日々の中に、小説家・浅田次郎としてのチャンスが隠れていました。
当時、ヤクザの抗争事件が多く発生していたことから、読者の興味をひくだろうと、浅田次郎の元には、ヤクザの日常生活や抗争事件の裏側について描く「極道エッセイ」の連載依頼がまいこみます。ヤクザになりきって書いたその連載を「浅田次郎」のペンネームで発表。するとその後、「極道小説」という枠内ではありますが、小説の依頼も入るようになっていき、これが、小説家・浅田次郎の誕生の瞬間でした。
「とられてたまるか!」「きんぴか」で編集者から注目を集めた後、浅田次郎は、極道小説からの脱却をはかって1993年「プリズンホテル」を発表。同作は好評で、広く知られる最初の作品となります。
1996年「蒼穹の昴」で、念願だった直木賞候補にあがりますが、浅田次郎は、惜しくも落選。「もう書けない」とひどく落ち込みますが、編集者の励ましを受けて執筆した「鉄道員」で翌年1997年に直木賞を受賞しました。「鉄道員」は映画化もされ大ヒットし、映画賞を総なめに。
その後も数多くの作品が映像化され、名実ともに有名作家となった浅田次郎。その裏には、少年時代に小説家を志してからの長い闘いがあったのです。そして、その経験が小説家浅田次郎を作ったともいえるでしょう。