藤子不二雄Aは笑ゥせぇるすまんや忍者ハットリくんの原作者!藤子・F・不二雄との関係性は?現在も活動している?

藤子不二雄Aは笑ゥせぇるすまんや忍者ハットリくんの原作者!藤子・F・不二雄との関係性は?現在も活動している?出典:https://www.cinemacafe.net/article/2016/03/30/39270.html

藤子不二雄Aは日本を代表する漫画家!あの有名なトキワ荘の住人だった

藤子不二雄Aは日本を代表する漫画家です。本名は我孫子素雄で、1934年生まれですから、もう80歳を超える漫画界の御大です。曹洞宗49代目の住職の息子として生まれた藤子不二雄Aは、小学校時代から漫画家を志していたそうです。しかし、高校卒業後は新聞社に入社し、インタビュー記事などを担当していました。

ところが、入社から2年後に退社。これは小学校の同級生である藤本弘に誘われる形で漫画家を志したためです。そしてこの藤本弘は「ドラえもん」の作者として有名な藤子・F・不二雄です。共に日本を代表する漫画家として並び称される2人が小学校の同級生であったというのは、何か運命的なものを感じさせますね。

彼らは共同で漫画を描き、「藤子不二雄」というペンネームで活動しました。共同作品として最も有名な作品は「オバケのQ太郎」。説明するまでもない有名な作品で、1964年に発表された翌年には「オバQブーム」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。

また、藤子不二雄Aは著名な漫画が数多く集まっていたことで「漫画の原点」と称されるトキワ荘に住んでいたことでも知られています。トキワ荘の主なメンバーには、手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫等が挙げられます。藤子不二雄Aは若手時代に、このトキワ荘で才能ある仲間たちと切磋琢磨することによって、さまざまな名作を生んでいったのです。

藤子不二雄Aの代表作は?

藤子・F・不二雄と共同で漫画を描いていた藤子不二雄Aですが、「オバケのQ太郎」を最後に、共同での活動は停止してしまいました。その後、個人で活動するようになった藤子不二雄Aは、「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」など、後世に残る名作を次々に発表します。

これらの代表作を見てもらえば分かるように、藤子不二雄Aはひとつのジャンルに偏らず、ギャグからブラックユーモアまで幅広い作風をこなすことで知られています。ちなみに自身の半生を振り返った漫画「まんが道」は、漫画界のレジェンドたちが当時どのようにして漫画を描いていたかを知ることができる作品として、漫画ファンの間で非常に有名です。

また、藤子不二雄Aは漫画だけでなくエッセイも数多く執筆しており、トキワ荘下宿時の思い出を書いた「トキワ荘青春日記ーいつも隣に仲間がいた…」などの作品があります。このように、藤子不二雄Aは世に広く知られた作品からファンの間で有名なものまで、数多くの作品を残しているのです。

日本を代表する漫画家として最も有名な手塚治虫や、パートナーであった藤子・F・不二雄も、それぞれ数多くの作品を世に遺しています。たくさんの代表作があるということは、漫画界のレジェンドとして呼ばれるための一つの条件なのかもしれませんね。

藤子・F・不二雄とは喧嘩別れだった!?その理由はドラえもん?

「オバケのQ太郎」を最後に、共同での活動は見られなくなった藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄。しかし藤子不二雄というペンネームはしばらく残っており、正式に解散が発表されたのは1987年。オバケのQ太郎が発表されてから約20年後のことでした。

解散の理由は「長く別々の執筆活動を続けるうちに、それぞれがやりたいことをやってみたくなった」と述べており、決して喧嘩別れなどではなく、発展的な解散であることを印象付けていました。しかし、「オバケのQ太郎」を発表後、20年以上別々に執筆を続けていた2人が、なぜ改めて解散を宣言するに至ったのでしょうか?その背景には「ドラえもん」が関係しているとされています。

1980年代、「ドラえもん」はアニメ化の影響もあり、爆発的にヒットしました。そしてそのヒットによる印税は名義が藤子不二雄であったために、藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄の両者に折半されていました。これに対して、藤子・F・不二雄自身が問題視するようになったのです。

藤子・F・不二雄は当時胃潰瘍を手術、肝臓を悪くして通院など、体調面に問題を抱えていました。もしかすると自分の寿命はそう長くないかもしれないと考えた際、残された家族が「ドラえもん」は藤子・F・不二雄が手がけた作品であるにも関わらず、印税が折半という状況に不服を覚えるようになる可能性があるとの思いから、トラブルを避けるために、藤子不二雄を解散するに至ったのです。

しかし、藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄は、決して不仲になったわけではありません。印税を分けるために解散したと言っても、収入の折半に対して不満があったというわけではなく、あくまで藤子・F・不二雄の家族のためでした。これについては、後のインタビューで藤子不二雄Aが「収入によるトラブルは一切なかった」と明言するなど、喧嘩別れでないことを改めて述べています。藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄の素晴らしい関係によって生み出された数々の作品は、これからも後世に語り継がれていくことでしょう。

藤子不二雄Aは今も現役で活動中?最近の作品は?

1950年から長きに渡って活動を様々な作品を残して来た藤子不二雄A。2014年には第18回手塚治虫文化特別賞を受賞するなど、近年も精力的に活動を続けていましたが、2007年からジャンプスクエアで連載していた「PARマンの情熱的な日々」を2015年に休載して以来、目立った活動はありません。

しかし、今も存命で、現在開催中の藤子不二雄A展にコメントを寄せています。しばらくすれば、現在休載中の「PARマンの情熱的な日々」の連載を再開することもあるかもしれません。日本漫画界の生き字引とも言われる藤子不二雄Aの新作に、是非ともお目にかかりたいものですね。

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