長江健次が犯した萩本欽一への不義理!いつの間にか結婚していた!

長江健次が犯した萩本欽一への不義理!いつの間にか結婚していた!

長江健次が犯した萩本欽一への不義理とはなにか!

長江健次が犯した萩本欽一への不義理とはなんでしょうか。2016年8月に放送された朝日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな」に出演した長江健次は、自身が犯した萩本欽一への不義理を告白しました。不義理の原因となったのは、バラエティ番組「欽ドン」で人気絶頂だった1982年9月、大学進学を理由に長江健次が同番組を卒業、その後わずか2カ月で、地元大阪で芸能活動を再開してしまったことにあります。

長江健次が申し出た大学進学という理由が嘘だったため、欽ちゃんこと萩本欽一の逆鱗に触れることになり破門、フジテレビにも出入り禁止となりました。しかし、当時の長江健次は、「欽ドン!」人気のままに、大阪での仕事が波に乗っていたため、天狗状態。とうとう、萩本欽一への不義理を謝罪することもなく、また、そうした機会が訪れることなく時が経ってしまいました。長江健次が犯した萩本欽一への不義理は、最近になってようやく許されたようです。

長江健次がいつの間にか結婚していた!お相手は?

長江健次といえば、「欽ドン!」で学生服を着ていたフツオ役のイメージがいつまでも色濃く残っています。しかし、いつの間にか結婚していたようです。気になるそのお相手は、どうやら一般人のようで、長江健次の結婚相手に関する確たる情報は出回っていません。また、1999年頃に最初の妻とは離婚していて、2003年に再婚したとの情報も。

しかも、長江健次の2度目の結婚は、いわゆるできちゃった結婚で、双子の男子を授かったのだとか。情報が確かであれば、長江健次の子供は2003年に生まれていますので、2016年では中学生くらいでしょうか。現在は、活動拠点が大阪であり、自宅も大阪に構えている長江健次は、幸せなマイホームパパのようです。

長江健次の現在は?「ハイスクールララバイ」大ヒットのイモ欽トリオ時代!

長江健次の現在は?何をしているの?

長江健次の現在はどうなっているのでしょうか。萩本欽一と絶縁状態になった後、大阪を拠点に芸能活動を続けていましたが、さまざまな事情で仕事が減り、一時はアルバイトをせざるを得ない状態になったこともあるようです。しかし、意外と多彩な才能を持つ長江健次は、スノーボードで長野オリンピック代表候補になるほどの腕前があったこともあり、トリノオリンピックではコーチを務めていたというから驚きです。

加えて、長江健次は、ライブハウスをメインに音楽活動もしているため、これらがそれなりの収入につながったといいます。現在では、クラウドファウンティングで集めた資金によってアルバムをリリースするなど精力的に活動を行っている長江健次。欽ちゃんへの不義理も精算された今、もしかしたらヒット曲が生まれるかもしれませんね。

長江健次が歌う「ハイスクールララバイ」が大ヒット!イモ欽トリオ時代!

長江健次は、「ハイスクールララバイ」で大ヒットしたイモ欽トリオに所属しています。イモ欽トリオとは、1970年代に人気だったバラエティ番組の「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の1コーナーのために、「良い子悪い子普通の子」の3人で結成されたユニットです。

イモ欽トリオは、1981年に、件の「ハイスクールララバイ」を発表し、160万枚のセールスを記録しています。この大ヒット作品「ハイスクールララバイ」では、イモ欽トリオの中で長江健次がメインボーカルを務めていました。あまり表立った活動はないので見逃されがちですが、実は、現在でもイモ欽トリオ名義で活動しており、2015年には、神戸チキンジョージで初めて有料のライブも行っています。

長江健次が、音楽の才能を活かして、「ハイスクールララバイ20xxバージョン」でも考案して、新生イモ欽トリオが見られたら面白い展開になりそうです。

長江健次は萩本欽一と30年間絶縁!TVしくじり先生で懺悔

長江健次は、一躍売れっ子になったことで、天狗状態になり、芸能界の大恩人である萩本欽一への不義理を犯したことによって、一時期、東京のテレビ番組から干される状態になりました。その後も、明石家さんまらに不義理をしたことが原因となり、完全に芸能活動を停止していたこともあります。しかし、幸いなことに、長江健次は多才でした。

スノーボードではプロ顔負けの実力を持っていたことから、長野オリンピックの代表候補に選ばれたり、トリノオリンピックでコーチを務めたりするなどしています。その他にも、コンスタントにライブ活動をしていて、2015年には、「ハイスクールララバイ」の作詞者である松本隆の活動45周年記念コンサートにも参加しているほどです。

超大物相手に不義理を重ねてしまいましたが、元来の人柄の良さなのか、最近になって、ようやく萩本欽一から不義理を許された長江健次は、「しくじり先生 俺みたいになるな」で、事の顛末を告白。これで禊は済んだといきたいところでしょう。

萩本欽一最後の舞台に駆け付けた時は、「フツオは空いているの?」と食事にも誘われ、欽ドン当時の呼び名で呼ばれたという長江健次。隣の席に座ったときには、涙が止まらなかったとコメントしています。これで本格的に芸能活動に復帰できると思われますので、長江健次の新たな一面を見ることができるでしょう。

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