中山功太がR-1を制しても売れなかった理由とは?バイトでホスト、改名など紆余曲折の芸人人生!

中山功太がR-1を制しても売れなかった理由とは?改名のきっかけ、バイトでホスト経験も

中山功太は「R-1グランプリ2009」で優勝したお笑い芸人!東京進出に失敗した理由について知りたい!

音響を効果的に使ったネタや、スケッチブックを使用した「あるあるネタ」で知られる中山功太は、「R-1グランプリ2009」を制したお笑い芸人です。出場7度目にしてR-1で優勝した中山功太は、その勢いで全国的に活躍するに違いないと誰もが思っていましたが、実際はほど遠いものとなっています。

R-1優勝者となった中山功太を待ち受けていたのは、どんどん舞い込んでくる東京のテレビ番組出演オファーを断らざるを得ないという現実でした。R-1を制した当時は、大阪の帯番組「あほやねん!すきやねん!」の司会や舞台稽古を抱えていた中山功太。2010年に大阪の帯番組を卒業し、活動拠点をようやく東京へ移したものの、完全に流行の波に乗り遅れてしまいました。こうして中山功太は、R-1を制したのに売れないという状況に追い込まれてしまいます。

中山功太がコウタ・シャイニングに改名したきっかけは!?ホストに転身も生活苦は改善せず

2012年9月、紆余曲折の芸人人生を送る中山功太は、「負ければ芸人引退」という条件で、お笑いコンビ麒麟の川島明と大喜利対決をしました。R-1を制しても売れなかった中山功太にとっては一か八かの大きな賭けでしたが、結果は惨敗。本当にお笑い芸人を引退しなくてはならない事態に追い込まれます。そこで中山功太は、タレント「コウタ・シャイニング」に改名して再起を計ることに。

同年には、中山功太が夜の繁華街である歌舞伎町でホストとして働いていたことも判明しました。お店のステージでもネタやトークを披露していた中山功太ですが、出演料は出ず、あくまでもホストとしてのアルバイト代のみという厳しさ。ホストとして激務に耐えながらも生活は苦しく、家では1玉30円のうどんでしのぐ日々を送っていました。

中山功太の父親の会社が倒産!母親が後輩芸人に?才能は南キャン山里亮太のお墨付き!

中山功太の父親の会社が倒産する前の生活がセレブ過ぎ!!幼少期に誘拐されかけた?

今、中山功太の波乱万丈な私生活に注目が集まっています。特に、デビュー当時に「お坊ちゃま芸人」とまで言われた、セレブ過ぎる私生活エピソードは強烈です。中山功太の父親は、ソファーベッド製造販売会社の社長をしており、その年商は西日本一と言われるほどでした。しかし裕福な家庭で育ったがゆえ、幼い中山功太は、結果的には未遂で終わったものの、誘拐されかけるという悲劇にも見舞われています。

誘拐未遂事件後は、さらに過保護に育てられるようになったという中山功太。しかし2006年、中山功太の父親の会社は、不況の波に逆らえず倒産してしまいました。ちなみに、父親の会社が倒産するまでの中山功太の住まいは27LDKKK。トイレが4つ、お風呂が2つ、中山功太専用のメディアルームやサウナも完備してあるという大豪邸で、高級外車であるベンツを4台も所有していたそうです。

中山功太の才能は南キャン山里亮太のお墨付き!母親は”アケミ・シャイニング”として芸人デビュー!

波乱万丈なプロフィールも注目されている中山功太ですが、母親もまた話題となっています。中山功太の父親の会社が倒産したことで社長夫人でなくなった母親は、慣れないパートタイムの仕事を掛け持ちする日々を送っていました。しかし、「人生は楽しく生きなければ」という持ち前の前向きな性格により、吉本興業の養成所であるNSCに36期生として入学。卒業後の気になる芸名は、中山功太の「コウタ・シャイニング」からとって「アケミ・シャイニング」です。

コウタ・シャイニンこと中山功太と母親のアケミ・シャイニングは、2016年9月11日に、フジテレビ系で放送されたバラエティ番組「アウト×デラックス」にて親子共演を果たしました。番組では、自身が芸人になってもなお息子への心配が尽きない様子の母親が、「息子はどうやったら売れるのか?」と相談する一幕も。

それに対し、同期の南海キャンディーズ山里亮太は、「(中山功太は)才能は一番だけれど人間性が悪い」と一刀両断。芸人としての才能については、南キャン山里亮太からお墨付きをもらったものの、性格に難ありと耳の痛い評価となりました。

中山功太を襲った音源データ消失のアクシデント!公演3日前まで苦しんだネタ作りの成果は?

2017年10月1日、中山功太の単独ライブ「tokyo shining seventh raven heaven」がラスタ原宿にて開催されました。約5カ月ぶりの単独ライブで気合の入っていた中山功太でしたが、思いもよらないアクシデントに見舞われています。なんと、ネタで使用する音源のデータが飛んでしまい、開演時間が大幅に遅れてしまうという事態に。

波乱の幕開けとなった単独ライブでしたが、冒頭に「”raven heaven”は、天国を奪還するという意味。色々あり地獄へ落ちたけれど、よろしくお願いします」と挨拶した中山功太は、集まったファンへ感謝の言葉も述べています。そして、公演3日前まで粘って作り込んだというフリップ漫談「早口言葉」や新作コントを次々に披露。「職業別演歌」では、演歌に乗せて職業あるあるネタを紹介するなど、中山功太独特のワードセンスと切り口で、会場は大きな笑いに包まれました。

豪邸での裕福なお坊ちゃん暮らしを経てお笑い芸人になり、R-1も制覇した実力を持つ中山功太。東京進出が今ひとつうまくいかなかったことについては「実力不足」と冷静に分析しているものの、そこからなかなか抜け出せずにいるようです。しかし、10月の単独ライブ出演に向けた「ピン芸というバケモノに今一度立ち向かい、組み合い、投げ飛ばす、もしくは投げ飛ばされる覚悟」というコメントからも、再起にかける熱い想いがほとばしっています。もちろん、ファンたちも、中山功太がもう一度這い上がって東京で成功する姿が見られる日を待っているはずです。

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