根津甚八が11年ぶりに映画出演したワケ!俳優引退と晩年の病気とは?

根津甚八が11年ぶりに映画出演したワケ!俳優引退と晩年の病気とは?

根津甚八は病をおして出演した「GONINサーガ」が遺作に

俳優の根津甚八が、2016年12月29日に亡くなりました。享年69歳。21世紀に入って以降、病気や事故がたび重なり、俳優の仕事からは遠ざかっていた根津甚八は、2010年、とうとう俳優引退を発表しています。しかし、根津甚八が出演して話題を呼んだ、1995年のバイオレンスアクション映画「GONIN」の続編「GONINサーガ」の制作が決まると、石井隆監督の強い要望に応え、この作品に限り、11年ぶりに映画出演を果たしました。

2015年、映画「GONINサーガ」で、不自由な体ながらも鬼気迫る演技を見せた根津甚八は、翌年の年末に逝去。晩年における不遇が惜しまれてならない俳優でした。

根津甚八を襲ったうつ病と車椅子生活!1980年代女性に大人気の俳優だった

根津甚八という奇矯な名前が、映画やドラマなどに登場する「真田十勇士」のうちの1人の名であることを知っている人も、今は少なくなってきました。俳優・根津甚八は、1970年代のアングラ演劇を代表する唐十郎主宰の「状況劇場」に入り、一世を風靡。その後は、映画やテレビドラマに進出しています。1980年代になると、根津甚八演じる無口で少し陰のある役柄が、女性に大人気に。さらに、黒澤明監督の「影武者」「乱」にも出演するなど、俳優として絶頂期を迎えます。

しかし、2002年頃から、目の下の筋肉が垂れ下がる難病・右眼下直筋肥大を患い、仕事ができなくなったばかりか、2004年には、交通事故で相手を死亡させてしまい、謹慎を余儀なくされる事態に。また、持病の椎間板ヘルニアが悪化し、車椅子生活となった根津甚八は、持ち前のナーバスな性格からうつ病まで発症してしまいます。そして、2016年12月29日、肺炎により、その生涯を閉じました。

根津甚八の学歴やプロフィール!レゲエアルバムを発売していた!?

根津甚八は1970年代を代表するアングラ芝居「状況劇場」の看板役者だった

根津甚八は、1947年、歯科医の三男として山梨に生まれました。やがて獨協大学フランス語学科に進学しますが、世は学園紛争真っ盛り。大学では、反体制を叫ぶアングラ演劇が大人気で、中でも、人気を二分していたのが、唐十郎の「状況劇場」と、寺山修司の「天井桟敷」でした。

当時、山梨から出てきたナイープで無口な根津甚八青年は、東京での暮らしで、対人恐怖症に陥っていたといいます。そんなときに見たのが「状況劇場」の芝居でした。今までの自分を変えようと思い立った根津甚八は、1969年、22歳のときに「状況劇場」に入団します。

すると、根津甚八の持ち前のナイーブな性格が、逆に役者としての魅力となって人気が爆発。一座の看板スターとなりました。やがて一般の映画やテレにドラマの引き合いが多くなると、座長である唐十郎や、その妻で劇団のヒロイン李礼仙との軋轢が生まれ、1979年、根津甚八は、「状況劇場」を退団します。

ちなみに、根津甚八に変わって、その後「状況劇場」の看板俳優となったのが小林薫です。30歳を過ぎて、役者としてもっとも脂の乗った根津甚八は、映画やテレビドラマで大活躍。1978年のNHK大河ドラマ「黄金の日日」では、石川五右衛門役で鮮烈な印象を残し、映画では、1980年の「影武者」や、1985年の「乱」で、黒澤明監督作品に出演。また、遺作となった「GONINサーガ」の石井隆監督作品には、「ヌードの夜」をはじめ、数多くの作品に出演しました。

根津甚八が出した全曲レゲエの超お宝アルバム「火男」がCDで復刻

根津甚八は、歌手としても、数枚のアルバムや、シングル曲をリリースしてきました。中でも有名なのが、1982年に出された「火男」。当時はまだ珍しかった、アルバム全曲がレゲエミュージックというこのアルバムには、泉谷しげる作の楽曲や、上田正樹のカバー曲などが収録されています。

現代のDJたちの間でも評価が高いこのお宝アルバムが、2012年に復刻版CDとしてリリースされるや、コアな音楽ファンからの「待ってました!」との声が続出。できれば、1979年にリリースされた根津甚八のアルバム「ル・ピエロ」も復刻してほしいという声も相次いでいます。

根津甚八が息子に託したフランクミュラーの腕時計

根津甚八の結婚は遅く、1994年でした。このとき、根津甚八は45歳で、新婦は30歳。結婚相手は、医者の娘だった仁香さんで、15歳も年の離れた夫婦でした。結婚当時、根津甚八の俳優としての最盛期はすでに過ぎており、その後に根津甚八を襲った病気の介護や、自動車事故の後始末など、晩年の苦労を、妻は一身に背負うことになります。だからこそ、仁香さんは、根津甚八の役者としての輝かしい前半生を知るために、自ら取材を敢行しました。

その取材過程に、根津甚八による回想を加えたドキュメンタリー本が、2010年に出版された「根津甚八」です。根津甚八は、プライベートでは、時計やバイク、釣竿などに通じた趣味人だったそう。お気に入りのフランクミュラーの時計を、息子が20歳になった時にプレゼントするのだと、仁香さんに常に話していたそうです。その時計は、先日20歳になったばかりの息子・甲斐太君に手渡されました。

今、根津甚八の息子は、医大への入学を果たし、医者の道を歩み始めています。根津甚八が生きていれば、69歳。まだまだ役者として活躍できる歳でした。映画界や新劇出身者の役者や、モデル・アイドル出身の俳優とは、一味も二味も違う存在感を放ち、原田芳雄などとともに、1970年代を駆け抜けた根津甚八。荒々しさを内に秘めた、無口でシャイな青年のイメージは永遠です。

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