仁支川峰子が若い頃に出演した映画「吉原炎上」が鮮烈!改名したワケとは
仁支川峰子が若い頃に出演した映画「吉原炎上」が鮮烈!ヌードにも辞さない体当たり演技
かつて西川峰子名義で「あなたにあげる」という曲でデビューするや大ヒットし、瞬く間に人気歌手になり、現在は女優としても活動している仁支川峰子。映画「吉原炎上」は、女優・仁支川峰子の代名詞と言えるほどの作品です。
1987年に公開された映画「吉原炎上」は、吉原で働く5人の花魁の波乱万丈な人生を描いた五社英雄監督作品。29歳だった仁支川峰子は、秋の章ヒロインとして、かつては売れっ子女郎だったものの、肺を病んだことから心身ともにボロボロになっていく小花役で出演しました。ついに遊女の階級である御職の座を奪われ、布団部屋に閉じ込められた小花は、病と屈辱から半狂乱になってしまいます。
胸元もあらわに血を吐いてこと切れる仁支川峰子の壮絶なヌードシーンは、花魁役の名取裕子や藤真利子、かたせ梨乃らの演技もかすむと話題に。今もなお、その鮮烈さで語り草となっています。仁支川峰子は、映画「吉原炎上」以降もヌードシーンのある役に挑戦しており、1993年には、ヘアヌード写真集「PRIVATE」を発表。1997年に発売された「Private〈2〉東京情事」は、5万部を超える売り上げを記録しました。
仁支川峰子が改名したワケ!出会って16日の電撃結婚するも……
波乱万丈な人生を送ってきた彼女は、2009年に、「くちこみっ!大捜索2!!」という番組に出演した際、姓名判断を得意とする占い師・幻遥のアドバイスにより、西川峰子から仁支川峰子に改名しています。仁支川峰子の結婚生活もまた波乱万丈なものでした。
2001年、43歳の時に電撃結婚。お相手は、2000年頃に仕事で訪れた島根県隠岐島で出会った観光協会の職員。電撃結婚と言われた由縁は、結婚までのスピードにありました。なんと出会ってからわずか16日で結婚を決意し、入籍してしまったとか。
後に、「まだ相手がどんな人か分からず結婚してしまった」と語った通り、残念ながら結婚生活は長くは続かず、8年後の2009年に正式に離婚しています。なお、2人の間には子供はいません。不妊治療までして努力したようですが、残念ながら子宝に恵まれることはありませんでした。
仁支川峰子が甲状腺の乳頭がんで2度の手術を受けていた!爆弾発言に共演者も騒然
仁支川峰子が甲状腺の乳頭がんで2度の手術を受けていた
仁支川峰子は、2010年に甲状腺の乳頭がんが見つかり、その後2度にわたる摘出手術を受けています。異変には同年1月の段階で気が付いていたそうですが、福岡・博多座の公演中であったことと、その後も仕事が続いたことで、結局検査を受けたのは4月。のどにできた腫れ物を大学病院で診てもらったところ、甲状腺の乳頭がんと診断されました。
医師からはすぐに手術を勧められましたが、直後に劇団若獅子公演に出演することが決まっていたため、公演終了後に手術することを決意。5月14日に、4時間に及ぶ摘出手術を受けるも、その後出血が止まらず、再度2度目の手術を受けました。乳頭がんは、進行速度が極めてゆっくりなことが多いことから、仁支川峰子の場合は、仕事を優先しながらの治療が可能だったようです。演歌歌手という何よりも声が大切な仕事をしている仁支川峰子。無事にがん部分を摘出できたようで本当によかったです。
仁支川峰子の爆弾発言に共演者も騒然!
仁支川峰子は、歯に衣着せぬ物言いで、テレビ番組の共演者もびっくりするような爆弾発言をして話題になることもたびたびです。2016年7月に放送された「快傑えみちゃんねる」に仁支川峰子が出演した時のトークテーマは、「気い悪いシチュエーション」。仁支川峰子は、ある人気女優の挨拶のしかたについて物申しました。
テレビ局である人気女優とすれ違い、目が合ったため挨拶しようとしたところ、後輩であるその人気女優は、挨拶するどころか「あごをあげて『ふん』という感じだった」と暴露。共演者だけに分かる形で名前を明かすと、スタジオ中が驚きを隠せない様子でした。
当然、ネット上では、その人気女優が誰なのかについて、さまざまな憶測が飛び交うことに。ヒントは、「いけずな顔」で「ツーンとしたイメージ」だそうです。本人は素直にしゃべっているだけかもしれませんが、何かとお騒がせな一面があることは否めません。
仁支川峰子がかつてのヘアヌード写真集を振りえる
仁支川峰子が、1993年に発表した初ヘアヌード写真集「PRIVATE」の撮影秘話を明かしました。自身初となるヘアヌード写真集制作にあたっては、ハワイやバリ島、日本の佐渡や山梨などを、1年間をかけて訪れて撮影したそうです。「自分の作品を撮る」と強く意識していた仁支川峰子は、自分でネガフィルムも確認し、気に入ったものだけを厳選して、納得のいく写真集に仕上げました。
そのため、本人にとっては、ヘアヌードかどうかという点は意識の外で、非常に思い入れのある写真集となったそうです。しかし、そこまでこだわりぬいて制作した写真集にまつわる衣装などは、仁支川峰子が所有する那須高原の別荘が台風で流される被害に見舞われたことにより、すべて失ってしまいました。よほどショックだったのか、それ以降は、一度も写真集の中身は見ておらず、手にしたことすらないと明かしています。
当初から「脱ぐのは35歳まで」と決めていたという仁支川峰子は、この「PRIVATE」にて裸体を封印。未公開写真などを中心に構成された「Private〈2〉東京情事」などはその後にも出版されたものの、何十回と来たという新しいオファーは全て断りました。
歌手として一気にトップの階段を駆け上がり、ヌードも辞さない迫真演技で女優としても成功を収めてきた仁支川峰子。最近は、暴露系のテレビ番組に出演しておてんばぶりを発揮する一面も見られますが、これからも元気なままお茶の間を楽しませてほしいものです。