竜雷太はドラマ「SPEC(スペック)」「太陽にほえろ!」で幅広い年齢層に人気のベテラン俳優!

竜雷太はドラマ「SPEC(スペック)」「太陽にほえろ!」で幅広い年齢層に人気のベテラン俳優!

竜雷太ドラマ「スペック」で若者にもお馴染みのベテラン俳優!大人世代にとっては「ゴリさん」

竜雷太(りゅうらいた)という俳優を思い浮かべたとき、若い人たちが思い出すのはドラマ「SPEC(スペック)」でしょう。そして、その上の年代の方々にとっては、「太陽にほえろ!」のゴリさんではないでしょうか。

ドラマ「SPEC(スペック)」は、2010年の10月~12月に放送された刑事ドラマ。特殊な事件を捜査する、警視庁公安部の未詳事件特別対策係を舞台にしたドラマです。通称「未詳」に配属されてきたのは、戸田恵梨香演じるIQ201の天才かつ変人・当麻紗綾。当麻紗綾とタッグを組むのは、加瀬亮が演じる叩き上げの捜査官・瀬文焚流です。竜雷太の役どころは、もともとは捜査一課弐係(通称ケイゾク)の係長で、未詳の嘱託係長となった野々村光太郎。
「SPEC(スペック)」放送当時の平均視聴率は10.5%と、あまり高くない数字でした。しかしその後、有料配信やDVD販売が好調で、後からじわじわ人気が広がりました。映画化もされ、2012年の「劇場版 SPEC~天~」の最終興行収入は、23.9億円にもなりました。

竜雷太の本名や経歴は?伝説的テレビシリーズ「太陽にほえろ!」やNHK大河ドラマに出演

竜雷太の「雷太」という名前は、彼が主演した青春ドラマ「これが青春だ」の役名「大岩雷太」から取りました。新人俳優は、人気に火がついた作品の役名を、そのまま芸名にすることがあったそうです。とはいえ、親からもらった名前も捨てたくなかった竜雷太。そこで、全てを役名と同じにするのではなく、本名の長谷川龍男から1文字を取って「竜」とし、現在の芸名に落ち着いたといいます。
竜雷太は、大阪府出身の京都府育ち。京都に移った理由は、疎開です。1940年生まれですから、現在の日本では数少なくなりつつある戦争を知る世代。竜雷太は日本大学芸術学部に入学したものの退学し、アメリカへ渡って、本格的に芝居を学び帰国。その後、主演した青春ドラマ「これが青春だ」大岩雷太役で一躍スターとなりました。

竜雷太の代表作は、まずは伝説的テレビシリーズの「太陽にほえろ!」でしょう。竜雷太は、1972年から10年にわたって、ゴリさんとして親しまれた石塚刑事役を務めました。1983年以降の主要出演作品としては、「徳川家康」や「風林火山」などを含むNHK大河ドラマ8作品、「ちりとてちん」や「てっぱん」などのNHKの連続テレビ小説5作品、1985年~1989年に毎年出演した年末時代劇スペシャルなどがあげられます。

竜雷太と島田洋七の確執の真相!息子・長谷川陽平とは?

竜雷太と島田洋七の確執の真相!土地売買の問題から裁判へ

竜雷太はベテランの俳優ですが、その長い経歴の中で、他のタレントと裁判沙汰になったことがありました。その相手は、「佐賀のがばいばあちゃん」でも知られる漫才師のB&B島田洋七です。2人の確執のきっかけは、島田洋七が、竜雷太の紹介で、東伊豆に800坪の土地を購入したことからでした。

東伊豆は温泉も有名ですから、そこに民宿を開こうと考えてのことでした。ところが、いざ土地を購入してみると温泉が出ません。それどころか、水道を引くことすら困難でした。ワイドショーに出演した島田洋七は、「原野商法じゃないか!」と竜雷太を罵倒。これに対して、竜雷太も反撃に出て、2人は法廷で争うことに。

島田洋七は4900万円の賠償を求めました。判決は、島田洋七の勝訴という結果に終わりましたが、賠償額は到底4900万円には届かず、島田洋七は「裁判で勝っても、金は取れず、会社も潰れて」と散々な結果に終わっています。

竜雷太の息子・長谷川陽平とは?韓国の国民的バンドのメンバーにも抜擢

竜雷太には、芸能界で活躍している息子がいます。しかし、その存在を知る人は少ないかもしれません。というのも、竜雷太の息子・長谷川陽平の主な活動地域は韓国だからです。長谷川陽平は、1971年に東京で生まれました。1970年代の韓国ロックの魅力にはまり、韓国でのライブハウス巡りや、CD・レコード屋巡りに明け暮れていました。あまりに頻繁に顔を見せるので、あちらこちらで「変わった日本人がよく来てる」と噂にもなっていたとか。
もともとは日本で、バンド「コプチャンチョンゴル」を結成し活動していた長谷川陽平ですが、1999年に韓国でデビュー。これをきっかけに、韓国の他のバンドにもギタリストとして参加するようになりました。2000年に、キムC率いるロックバンド「トゥゴウンカムジャ」に加入。さらに、2005年には、韓国の国民的バンドである「サヌリム」の4人目のメンバーにも抜擢されています。

「サヌリム」加入のきっかけは、サヌリムのマネージャーが長谷川陽平の音楽活動をみて、「サヌリムの音を出せるのは長谷川だろう」と感じたからだとか。以後も、インディーの人気バンド「チャン・ギハと顔たち」でギタリスト&プロデューサーとして活躍し、「大韓ロック探訪記 海を渡って、ギターを仕事にした男」を出版するなど、韓国音楽界で確固たる地位を築いています。

竜雷太が現場で新人指導!演技の基礎から役者としての生き方まで

竜雷太という名前を耳にしたとき、「雷竜太?」「峰竜太?」と混乱している人も多い様子。ベテラン俳優の竜雷太は、長い役者人生の中で、多くの新人俳優に指導を行ってきました。指導を受けた1人に、俳優の勝野洋がいます。

演技の右も左もわからないまま、大人気テレビシリーズ「太陽にほえろ!」にテキサス役で出演が決まったという勝野洋。最初は、石原裕次郎演じるボスに対して、「はい」と言うだけの演技すら満足にできませんでした。そのたび、勝野洋を外に呼び出して演技指導を行ったのが竜雷太でした。演技の基礎の基礎だけでなく、カメラと演技の関係も教えてくれたそうです。

現在は複数のカメラで異なる角度から撮影していますが、「太陽にほえろ!」が撮影された時代は、カメラは1台。役者には、それを考慮した演技が求められました。殴り合いのシーンでは、カメラで捉えたとき、きちんと相手の顔に拳が被るように殴らなければなりません。なぜなら、視聴者には殴ったように見えないからです。

こうした経験を重ねて、「太陽にほえろ!」でスターの1人となった勝野洋に竜雷太がかけた言葉は、「必ず勘違いするからな。いいか。お前は絶対変わるなよ」でした。有名になり、人気が出れば出るほど、知らない人たちさえも声をかけてきてチヤホヤしてきます。スター俳優の1人として、竜雷太にもそのような経験があったのでしょう。竜雷太は、スターとなって大きく活躍し始めた勝野洋が転ばないよう、しっかりと釘を刺しました。

新人たちに演技を教えると同時に、役者としての生き方も伝えてきた竜雷太。自身もテレビや映画で活躍を続け、安定した存在感を放ち続けています。これからも竜雷太には、大先輩として、若い役者たちに背中を見せる存在で有り続けて欲しいですね。

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