斎藤隆の現役時代の成績、メジャーでの評価は?野球解説が面白い!

斎藤隆の現役時代の球速や成績、年俸は?メジャーに挑戦した経緯とは

斎藤隆はメジャーでクローザーとして開花!日本時代より球速がアップしていた!

元メジャーリーガーの斎藤隆は、横浜ベイスターズの主力ピッチャーでした。1998年の日本一獲得に貢献した後、36歳という遅い年齢でメジャーリーグへ挑戦。周囲の懸念をよそにリリーバーとして成功しています。

1970年2月14日生まれで、宮城県仙台市若林区出身の斎藤隆の日本での通算成績は、実働16年間で403試合に登板し、91勝81敗55セーブ14ホールド、防御率3.75。1575回を投げて、先発208試合中30完投、1331奪三振を記録しました。獲得タイトルは、最多奪三振1回、カムバック賞1回。一方、メジャーリーガーとしての斎藤隆の成績は、338試合において、21勝15敗84セーブ40ホールド、防御率2.34です。

東北高校時代に一塁手として甲子園出場した斎藤隆は、東北福祉大学に進学してピッチャーに転向。日米大学選抜に選出されるレベルの選手に成長します。1991年のドラフト会議で、横浜大洋ホエールズから1位指名を受けてプロ入りし、2年目から戦力として徐々に定着していきました。

1998年には13勝を挙げ、チーム日本一の原動力に。その後、クローザーと先発を交互に経験しますが、2006年2月に、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約して渡米。ケガ人が出たことからチャンスをつかみ、クローザーとして開花すると、リリーバーとして高い評価を受け、メジャー5球団でプレーし続けました。

2012年12月に東北楽天へ入団して日本球界復帰を果たすと、翌2013年にはリリーフとしてチーム悲願の日本一に貢献。2015年限りで現役引退を表明しますが、最後までリリーフに徹し切った現役人生でした。

斎藤隆が日本人選手としてメジャー最高の球速159kmを記録した事実は、意外に知られていません。日本時代に比べて実に10km近くも球速がアップし、メジャー2年目となる2007年には平均球速150km、最高159㎞にまで達したと言います。40歳を越えてなお平均球速140km後半のボールを投げ、相手打者をきりきり舞いさせたとは実に驚くべきことです。

メジャーで活躍を重ねた結果、当初のマイナー契約での約3200万円から、3億円を超える最高年俸を手にするところまで上り詰めた斎藤隆。36歳で海を渡るという決断は、彼を成功へと導きました。

斎藤隆がメジャー挑戦した経緯は?「1回でいいから」と本気での挑戦だった!

斎藤隆がメジャーリーグ挑戦を表明したのは36歳の時のことでした。もともとメジャーリーグでプレーしたいという願望はあったようで、2002年オフにメジャー挑戦を模索した経緯があります。この時は横浜と3年契約を結んで残留したものの、3年間で11勝16敗という不本意な成績しか残せませんでした。

こうして3年契約が満了し、36歳になって現役人生の終わりが見え始めた斎藤隆には、「1回でいいからメジャーリーグで投げたい」という思いが再び芽生えます。それまでは自分の意思で進路を決めたことなどほとんどなかったそうですが、「この時ばかりは本気」でした。

野球選手としては高齢で、パッとしない成績だったため、獲得に動く球団がいるかどうか怪しい状況だったにもかかわらず、あえてメジャー挑戦を目指した斎藤隆は自由契約を選択。しかし、家族を説得して本気で臨んだメジャーリーグでは、やはり獲得に手を挙げる球団はありませんでした。

その中で、「マイナーでいいなら」と契約に合意したのがドジャースです。スプリングトレーニングも散々な内容に終わり、3A行きを言い渡された斎藤隆の開幕メジャー入りはなりませんでしたが、チームにケガ人が出たことからメジャー昇格のチャンスが巡ってきます。これをしっかりものにした斎藤隆は、瞬く間にドジャースのクローザーに定着。一躍、メジャーを代表するリリーバーへとのし上がっていきました。

斎藤隆の野球解説が面白い!妻、娘2人の現在は?

斎藤隆の野球解説が面白い!メジャーの内情を織り交ぜる点が評判に

現在の斎藤隆は、メジャー球団の1つであるサンディエゴ・パドレスで「ベースボールオペレーションアドバイザー兼パシフィックリムアドバイザー」という職務に就いています。舌を噛みそうな肩書ですが、若い選手の育成や、チームとしての戦略立案にかかわる編成的な立場です。

それまでは、パドレスで編成業務インターンとして経験を積みつつ、メジャー野球中継のゲスト解説にも登場していました。斎藤隆のメジャー野球解説は、編成に関わっているという立場上、メジャーリーグの球団経営の内情を解説に織り交ぜるという点が、「他の野球解説者にはない視点で面白い」と評判に。もちろん、メジャーリーガーとしてプレーした経験もある斎藤隆は、近年のメジャー野球の傾向も解説することができます。

しかし、何を言っているか要領を得ないという厳しい意見が目についたのも事実です。分かりやすくなるように解説しようとする努力は見えますが、まだ野球解説に慣れ切ってはいなかったのでしょう。シーズンが始まれば、再びゲスト解説に登場するでしょうが、経験を重ねるにつれて斎藤隆なりの味が出てくるに違いありません。

斎藤隆の妻、娘2人の現在は?

プライベートな情報はあまり公表していない斎藤隆ですが、引退セレモニーに登場した家族の姿を見ると、妻と娘2人がいるようです。上の娘は、父親の血を受け継いだのか長身で、身長が170cmくらいあるように見受けられました。2006年のインタビューで、「11歳と8歳になる娘がいる」と話していたので、娘たちは2人そろってすでに成人していることになるでしょう。

お年頃ということもあっていろいろと心配の種は尽きないでしょうが、メジャーでプレーしていた時も、家族の支えがあったからこそ成功できたのは紛れもない事実です。斎藤隆は、家族に感謝しきりなのではと思われます。

斎藤隆が勤務するパドレスは野茂英雄がアドバイザー!30代後半での挑戦で生きる道を見出した!

現在は、サンディエゴ・パドレスでチーム編成に従事している斎藤隆。2016年には、球団本部のオフィスで1年間、インターンとしてフロント業務を学んでいました。斎藤隆ほどの実績を残したピッチャーならば、コーチなど指導者としてのキャリアアップを目指すことが多いですから、チーム編成職務を選んだ点は異色だと言えます。1969年創立のパドレスは、2005から2年連続して地区連覇しながら、いまだにワールドシリーズ制覇には手が届いていません。

ここ数年はプレーオフ進出すら逃し続け、チーム強化が急務とされています。2004年から本拠地になったペトコ・パークは、日本が優勝した第1回WBC決勝トーナメントも行われた場所です。日本ハムでプレーした経験を持つアンディ・グリーン監督が2016年から指揮を執っており、野茂英雄がアドバイザーに就任するなど、日本とのつながりがある球団と言えるでしょう。

現役時代にパドレスでプレーした経験は皆無の斎藤隆ですが、実は、7年間の大リーグ生活で一番思い出深い試合の対戦相手がパドレスでした。それは、ドジャース時代のことです。地区優勝を賭けたゲームでマウンドに立っていた斎藤隆でしたが、失点により4点差をつけられており敗戦は決定的。

しかし、奇跡的な4者連続ホームランが飛び出したことから、タイスコアに追いついたという経験を持っています。そんな思い出深い球団でスタッフとして勤務することを選んだ斎藤隆は、「本場アメリカでの経験は、それまで僕が抱いていた野球への考え方を大きく変えてくれた」とコメント。

「それがなければ、今も野球を熱く語ることはなかったし、スタッフとして勤める道は選ばなかった」と、メジャーでの経験の影響がいかに大きかったかを明かしています。本来ならば引退してもおかしくなかった30代後半、捨て身で挑戦したメジャーで輝きを取り戻し、自分の生きる道を見出した斎藤隆の生きざまは、我々にも大きな希望を与えてくれることでしょう。

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