梅野隆太郎が新背番号でV宣言!監督批判にまさかの「いいね」!?日本記録はどこまで伸びる?

梅野隆太郎は中学校時代から逸材だった!高卒でのドラフト指名を辞退?


梅野隆太郎のプロフィール
◆生年月日:1991年6月17日
◆出身:福岡県
◆身長・体重:173cm・75kg
◆出身校:横浜隼人高校
◆ポジション:捕手
◆所属チーム:阪神タイガース

梅野隆太郎は高校時代にドラフト指名を固辞?

梅野隆太郎(うめのりゅうたろう)は、小学2年生の時に地元福岡の少年野球チーム・片縄ビクトリーに入団しました。

父親がコーチを務めるチームで野球人生が始まった梅野隆太郎。当初は外野手でしたが小学4年生で捕手に転向し、中学校へ進学後は那珂川シャークスに所属。春季ジャパンリーグを2005・2006年と連覇した同チームで4番を任されていた梅野隆太郎は、主軸としてチームを引っ張る存在でした。

捕手として、チームの主砲として、梅野隆太郎は他の多くの大会でもチームを優勝に導き、特待生として福岡工業大学附属城東高校に迎えられます。同校でも1年の夏からベンチ入りし、2年の夏まで外野手として活躍。同年の秋からは再び捕手としてエースを支えるとともに、チームをまとめる主将も務めました。

そんな梅野隆太郎は、高校時代の3年間で公式戦通算24本塁打を記録。プロ野球界からも注目され、2009年のドラフト会議で指名を受けるのではと言われていました。しかし梅野隆太郎はプロの世界には進まず、地元大学への進学を選択。しっかりと身体づくりができていない今の状態でプロ入りしても厳しい世界では勝負にならないと考え、プロ志望届けを出さなかったと後のインタビューで明かしています。

梅野隆太郎のキャプテン気質は折り紙つき!捕手の日本記録も更新

福岡大学へ進んだ梅野隆太郎は、1年の春から指名打者としてリーグ出場を果たすなど変わらぬ活躍を見せます。3年生になると主将に任命され、福大野球部の4季連続全国大会出場に貢献し、4年の夏には日本代表として「第39回日米大学野球選手権大会」に出場。高校、大学とチームをまとめてきたキャプテンの資質を買われ、日本代表チームでも主将を務めました。

2013年10月、ドラフト注目の選手として話題を集めた梅野隆太郎は阪神タイガースの4位指名を受け、推定契約金4000万円、推定年棒850万円で契約。父親と二人三脚で目指したプロ入りの夢を叶えます。プロ入り後はルーキーでただ一人開幕一軍入りを果たし、開幕戦でマスクをかぶるという大役も任されました。

2017年シーズンから4年連続で開幕戦のマスクをかぶるなど、ここ数年の安定ぶりが評価された梅野隆太郎は、2018年シーズンからタイガースの選手会長に就任。肩の強さを活かした守りには定評があり、2019年には捕手のシーズン捕殺の日本記録を65年ぶりに塗り替える快挙も成し遂げました。

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梅野隆太郎の背番号「2」に込める思いがアツい!東京五輪中に怒りの“いいね”!?

梅野隆太郎が城島健司の背番号継承で日本一宣言!

梅野隆太郎の鉄壁の守りは記者から「梅ちゃんウォール」と称され、投手陣から絶大な信頼を得ています。2019年シーズン終了後には生え抜き捕手としては球団初の年棒1億超えで話題に。また、2021年シーズンより背番号を「44」から「2」に変え、心機一転での活躍を誓いました。

梅野隆太郎にとって背番号「2」は、子供の頃から憧れの存在だったという城島健司(じょうじまけんじ)がホークス、マリナーズ、タイガースと現役時代に一貫して背負っていた重みのある番号です。あえて自らこの背番号を選んだ理由について、「チームの核としてやっていくという意味で決めた。この2番という数字でリーグ優勝、日本一になるためにやりたい」と明かした梅野隆太郎。今後も固い守りでタイガースの投手陣をリードし、リーグ屈指の女房役と言われる選手になっていく予感がします。

梅野隆太郎が稲葉監督への批判ツイートに「いいね」!?

東京オリンピックの開幕直後、侍ジャパンの初戦に注目が集まる中、梅野隆太郎は別の理由で話題の的になってしまいました。

2021年7月24日、楽天イーグルスとの強化試合に臨んだ日本代表チームは7回から救援で登板したソフトバンク・千賀滉大(せんがこうだい)が打ち込まれて2点を献上。逆転負けを喫し、千賀滉大が登板した7回からマスクをかぶった梅野隆太郎も、スタメン出場を監督にアピールできる見せ場とはなりませんでした。

大事な初戦を前にした逆転負けには、千賀滉大にマウンドを任せた稲葉篤紀監督が戦犯とする意見も。敗れたチームに批判的な声が上がることはありがちですが、このツイートに梅野隆太郎がまさかの「いいね」を押したことが分かり、周囲を騒然とさせます。

アピールできなかった不満で暴挙に出たわけではなく、間違えて「いいね」してしまったという梅野隆太郎は関係者からの知らせで慌てて取り消したものの、時すでに遅し。騒ぎは稲葉監督の耳にも届いていたのだとか。監督の采配批判疑惑は起用にも影響するのではと心配されましたが、梅野隆太郎は8月2日に行われたアメリカ戦にスタメン出場。ペナルティーが科されることもなく、稲葉監督の逆鱗に触れる危機は免れたようです。

初戦を目前に控えての逆転負けを物ともせず、侍ジャパンは東京オリンピックで見事な勝ち星を重ねて金メダルに輝きました。周囲の声に揺るがずチームを優勝に導いた稲葉監督の懐の深さに、梅野隆太郎はホッと胸をなでおろしたのではないでしょうか。

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梅野隆太郎に矢野監督からエール!

梅野隆太郎への言葉に込めた阪神・矢野監督の思いとは?

8月7日に行われた決勝トーナメント最終戦、侍ジャパンはヤクルト・村上宗隆(むらかみむねたか)のソロ本塁打で先制。この一点を先発の広島・森下暢仁(もりしたまさと)が5回まで守り抜き、8回でさらに追加点。6回からの継投もピンチを切り抜け、強豪アメリカを無失点に抑えて世界の頂点に立ちました。

日本中が見守る注目の決勝戦を前に、梅野隆太郎はタイガースの監督・矢野燿大(やのあきひろ)から激励の電話を受けていたのだそう。矢野監督は2008年の北京オリンピックに出場し、4位と悔しい結果に終わっています。また、現役時代は捕手として活躍したこともあり、緊張の一戦に臨む梅野隆太郎の胸の内がよく分かる部分もあったのかもしれません。

梅野隆太郎との電話ではオリンピック閉幕後に始まる公式戦後半の話に加え、「ここから、もう一戦、頑張ってくれよ」と伝えたという矢野監督。多くを語らなくとも、プロ入りから長年ともに戦ってきた指揮官の思いは、梅野隆太郎にしっかりと届いたことでしょう。

東京オリンピックでの試合出場は初戦のみに留まった梅野隆太郎ですが、日本の野球界を盛り立てるセパ各球団の精鋭が集まる中で過ごしたことは、現役生活の大きな糧になるはず。金メダルを胸にタイガースへ戻った後は今回の経験をチームでのプレーにも活かし、さらなる活躍を期待したいものです。

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