カルーセル麻紀のモロッコ手術談が壮絶!男時代もモテモテだった!?
カルーセル麻紀のモロッコ性転換手術は日本人初!オネエのパイオニアは命懸けの勇者だった!
カルーセル麻紀といえば、日本のオネエタレントのパイオニアとして知られていますが、日本で初めて性転換手術を受けた人物としても有名です。カルーセル麻紀がモロッコで性転換手術を受けたのは、30歳の時、1972年のこと。1950年代後半に性転換手術を確立したフランス人医師がモロッコに在住していたため、当時は、女性の身体を手に入れたいならば、モロッコに渡るしかありませんでした。
術後の死亡例も多く、カルーセル麻紀自身も二の足を踏んでいたそうですが、「究極の女になりたい」という願いは、恐れに勝るものだったのです。男性器の切除、女性器の成型など、手術は複数回に及びました。普通ならば1週間で退院できるところが、カルーセル麻紀の場合は、40度以上の高熱が続き、何も食べられない日々が続いたそうです。
傷口が化膿し、癒着できなかった組織は腐敗していきます。「生きたい!」と強く願ったカルーセル麻紀は、唯一言葉が通じた看護師を通じて手術道具を手に入れ、麻酔をせずに、自ら腐った部位を切除して応戦したというから、その壮絶さには驚かされます。
カルーセル麻紀は男時代も魔性全開でモテモテ!女性経験もあり!?
カルーセル麻紀は15歳で高校を中退して、家出し、全国各地のゲイバーを転々とした後、19歳の時に、大阪の闇医者による去勢手術を受けています。小学校の頃から心は女性だったそうですが、この時まで、身体は全く男のままでした。それにもかかわらず、初体験は14歳の時で、相手は学校の番長を張っていた男子だったそう。
アンチ同性愛派の石原裕次郎が、カルーセル麻紀だけは本物の女性と認め、妹のように可愛がったというエピソードからもうかがえる通り、その美貌は、性転換手術の賜物ではなく、天性のものだったのでしょう。「若い頃は、落とせない男はいなかった」と語るカルーセル麻紀には、複数の男性との同性愛歴や、フランス人男性との結婚経験もあります。
誰もがカルーセル麻紀は元男性と知りながら、女性としての美しさに堕ちていくわけですが、実は、男時代に、1度だけ女性経験もあるのだとか。カルーセル麻紀については、手術によって手に入れた肉体以前に、性別云々をいわせない魔性を認めざるを得ません。
カルーセル麻紀のブログは今も健在!病気・動脈硬化はかなり深刻だった?
カルーセル麻紀がブログでセクシーポーズ全開!今も美貌は健在だった!
カルーセル麻紀にテレビでお目にかかることも最近は少なくなりましたが、オフィシャルブログ「女は1日にしてならず」は、今も着々と更新されています。トップページでは、太もものタトゥを露わにした豹柄ボディコン姿のカルーセル麻紀がお出迎え。そのセクシーポーズに反して、ブログの内容は色気のあるものではなく、主に月曜レギュラーを務めるTOKYO MIX「バラいろダンディ」の日記と化しています。
しかし、キリンチューハイ「ビターズ」のCMでしかカルーセル麻紀を見なくなったと心配していた人々は、その美貌の健在ぶりに安堵するはずです。カルーセル麻紀は、2016年で74歳。若い頃から無謀な手術を繰り返しているだけに、メディアで少し見なくなると、後遺症による病気などを心配してしまいますよね。
カルーセル麻紀が病気を告白!閉塞性動脈硬化で足切断の危機に!
カルーセル麻紀は、実際に重篤な病気を患っています。2014年5月に出演した「徹子の部屋」で明かした内容によると、2011年に閉塞性動脈硬化症を発症し、右足の手術を行ったそうです。閉塞性動脈硬化症とは、動脈が詰まることでしびれや痛みを生じる病気ですが、カルーセル麻紀の場合は、右足切断寸前まで悪化していたとか。そして、2012年には同様の症状で、左足も手術しています。
部位が近いだけに、性転換手術との関連性を疑ってしまいますが、原因は、タバコの吸い過ぎとのことでした。当初はかなり怯えたというカルーセル麻紀ですが、手術が必要と診断された日に、豪快にも、タバコを1カートン購入したとか。この自由奔放さがカルーセル麻紀の原動力であることには違いありませんが、どうやら健康面は万全ではなさそうな様子。ブログでは、わずかながら温泉地で過ごす様子なども伝えられていますから、近年の活動減は、体力面を考慮する意味も含まれていそうですね。
カルーセル麻紀は命懸けで女性になったからこそ言える後輩オネエたちへのアドバイスとは?
カルーセル麻紀は、太平洋戦争の真っ只中、1942年11月26日の北海道釧路市に、9人兄弟の次男として生まれました。”戦争で徹底的に戦える男に”という父親の想いから、”平原徹男”と名付けられたカルーセル麻紀ですが、男らしい名前とは裏腹に、幼少期から女性性に目覚めてしまいます。美輪明宏に憧れてゲイボーイを目指すようになったカルーセル麻紀に、家族が拒否反応を示すのも当然のことでした。
そんな中、母親だけが「目指すなら一流に」と背中を押してくれたことで、全国のゲイバーを渡り歩く日々が始まります。店を転々とし、幾度も源氏名を変えながら、ヤクザに売り飛ばされそうになったり、借金まみれになったり、惚れた男の取り合いで喧嘩をしたりと、危ない橋を渡り続けたカルーセル麻紀。25歳で歌手デビューを果たした後も、命懸けの性転換手術を敢行するなど、まるで怖いものなしの人生を送っています。
生まれつきの美貌に恵まれ、恋人を欠くことのなかったカルーセル麻紀に関しては、性的マイノリティへの偏見などは、全く無縁のようにも思えてなりません。しかし、2001年に逮捕された時には、戸籍上が男であったことから女性とは認められず、男子房で男子用の下着を身に付けさせられるなど、社会制度上の弊害は確かにありました。
「怒るとオッサンになる」など、元男性であることをネタにしていますが、女性になりたいという執念は誰よりも強固だったカルーセル麻紀。2004年、戸籍の性別変更が認められ、本名も”平原麻紀”となって、ようやく目指す「究極の女」を実現したのです。
戸籍変更の申請には、”性同一性障害に悩む若者の光に”との想いがありましたが、性転換手術に関しては、後輩たちには安易には勧められないといいます。命懸けで未開の地を踏んできたカルーセル麻紀だからこそ、「何年も考えて、それでもやらずには死ねないと思うなら」との言葉には、ただならない重みを感じさせられます。