渡部陽一(戦場カメラマン)のイスラム国解説が超神レベル!昔は話し方が普通速度だった?

渡部陽一(戦場カメラマン)のイスラム国解説が超神レベル!

渡部陽一(戦場カメラマン)のイスラム国解説の重み!説得力が違う!

渡部陽一(戦場カメラマン)が、フジテレビ「とくダネ」で語ったイスラム国の解説がまさに超神レベルだと話題です。2015年1月21日、「イスラム国」による日本人誘拐、および身代金要求事件を受けて、渡部陽一が、「とくダネ」でイスラム国について解説しました。渡部陽一といえば、超スローでマイペースな語り口調でバラエティでも活躍していた戦場カメラマン。

あまりにテレビに出過ぎて「戦場に行ってないじゃん」とネタにされがちでしたが、渡部陽一が「とくダネ」のカメラに映った瞬間から空気は一変。ルワンダ、コソボ、チェチェン、ソマリア、イラクなど、約130カ国もの紛争地域を長年に渡って取材し、必ず生きて帰って来た実績を持つ渡部陽一は、存在感のみならず、その言葉の重みや説得力の深さで視聴者を惹きつけます。また、渡部陽一自身の取材を通した視線から語られた明確で丁寧な説明は、視聴者にとって非常に分かりやすいものだったのです。

渡部陽一(戦場カメラマン)のイスラム国日本人誘拐事件被害者への神コメント

渡部陽一(戦場カメラマン)も、イスラム国による日本人誘拐事件が発覚する直前まで、シリアとトルコの国境付近で取材していました。「安全優先。家族第一、仕事第二」を戦場取材のモットーとする渡部陽一は、過去には「ジャーナリストは生きて帰ることが前提。どれだけ活躍しても、捕まったり殺されたりしたら軽蔑する」という主旨の発言もしています。

今回も、入念な下準備と引き際の優れた判断力によって、自らはイスラム国の難を逃れた渡部陽一。誘拐された湯川陽菜やジャーナリストの後藤健二については、「イスラム国は国家の体制を持っていない組織。どれだけ経験があり、セキュリティを徹底しても、無法地帯だという現状が、このような結果を招いてしまったのかもしれない」と語りました。自らの主義や経験を声高に主張するのではない、渡部陽一の冷静で配慮のきいたコメントもまた神がかっているのです。

渡部陽一(戦場カメラマン)現在の年収、取材先は?昔は話し方が普通速度だった?

渡部陽一(戦場カメラマン)現在の年収は?戦場取材は続けている?

渡部陽一(戦場カメラマン)の現在の年収は不明ですが、一般的な戦場カメラマンの年収は、3万円~500万円と言われています。世界の戦場を経験した稀有な人材かつ特異なキャラクターが目を惹き、渡部陽一がバラエティに引っ張りだこになっていた頃は、テレビ出演1本のギャラが70万円にも上っていたといいます。

現在は、その頃ほどテレビでお目にかかることはありませんが、NHKEテレの「テレビでアラビア語講座」や、TBS「Nスタ」、テレビ東京やニッポン放送のレギュラー番組を抱えていますし、その他にも、書籍印税や全国各地で開催している講演会収入も見込まれますから、渡部陽一の年収が1000万円を下るということはないのではないでしょうか。

渡部陽一のようなフリーの戦場カメラマンは、年収が、現地に赴いて取材をするための資金に充てられます。今年に入り、ミャンマー情勢や米大統領選挙を取材していた渡部陽一でしたが、3月からは、混迷極めるトルコ情勢を再び取材中。ただし、渡部陽一の場合は、完全確保を兼ねた事前調査期間が非常に長いため、必ずしも現地入りしているというわけではありません。

渡部陽一(戦場カメラマン)の昔の話し方は普通速度?バラエティ用のキャラ作りなの?

渡部陽一(戦場カメラマン)について、旧友は「喋り方がオモシロい渡部くんとして、昔から人気者だった」と語っています。しかし、イラク戦争開戦時に、現地からのテレビ中継を担当した渡部陽一が、普通速度以上の早口で喋る様子が映像として残っていたことから、普通速度で話すことができるのがバレてしまいました。

しかし、渡部陽一がゆっくり話すようになったのは、バラエティ用のキャラづくりではありません。そこには「イラク戦争中継で、噛みまくって注意された」「戦場で、相手を刺激しないようにゆっくり喋っていたらクセになった」という、れっきとした理由が。ただし、バラエティに出るようになってから「もっと遅く話すように」という指示があったため、今の超スロー口調が完成したのも事実のようです。

現在でも、焦ったり緊張したりして普通速度で喋ることもあるそうですし、「とくダネ」のイスラム国解説も普通速度。渡部陽一の話すスピードは、感情やTPOによって、自然と元の姿に戻ってしまうことがあるようです。

渡部陽一(戦場カメラマン)のプロ意識が達観の域!あらゆる命への敬意

渡部陽一(戦場カメラマン)を「前線に赴かないヘタレ戦場カメラマン」と揶揄する声がありますが、命を失ってしまっては”真実を伝える”という、戦場カメラマンとしての責務が果たせません。渡部陽一は、戦場カメラマンの絶対条件を「必ず生きて戻って来ること」と位置付けています。また、「多種多様な世界の常識や人間を、カメラと通して伝えたい」という渡部陽一の思いは、他者の命への敬意のあらわれ。いついかなる取材でも、渡部陽一は相手への「リスペクト」を忘れないそうです。

渡部陽一が戦場カメラマンになったのは、アルバイトで貯めたお金をもって飛び込んだザイール(現コンゴ民主共和国)のジャングルで、少年ゲリラに出くわしたことがきっかけでした。この頃の渡部陽一は、現地調査などの技術もない興味本位の旅行者。偶然出くわしたトラックに乗せてもらって、ジャングルを進んでいたところ、少年ゲリラの追いはぎに遭ってしまいました。

容赦なく銃を乱射する少年らに生命を脅かされた渡部陽一は、死の恐怖から、赤ん坊のように失禁して地べたを這いずるしかできませんでした。現金を差し出すことで絶命を免れた渡部陽一は、当時の日本人では全く図り知れない”少年兵”の存在を世に伝えるべく、カメラを手にすることを決意したのです。

それ以来、数々の紛争地で銃撃戦に巻き込まれたり、状況を熟知しているはずのガイドや同僚が目の前で亡くなったりと、さまざまな壮絶体験をしてきた渡部陽一。ひょうひょうとしているように見える渡部陽一の根底には、ある種の達観があるのでしょう。そして取材よりも「命第一」。目の前の被写体に生命の危機が迫った時、渡部陽一は、撮影以前に救助を優先するそうです。このように全くブレない姿勢があるからこそ、渡部陽一の言葉が、重厚な説得力を帯びてくるのでしょう。

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