藤真利子は近藤真彦と結婚するはずだった?出身校やプロフィール!
藤真利子は近藤真彦と結婚するはずだった?あの熱愛報道は本当だったの?
藤真利子は、サスペンスドラマなどでもおなじみのベテラン女優です。微美杏里(びびあんり)というペンネームで、作詞作曲家としても活躍しています。そんな藤真利子は、これまで一度も結婚したことがありません。独身を貫いてきましたが、過去には年下男性との熱愛報道がいろいろあったため、「年下キラー」などとも言われてきました。
30歳の時に熱愛が噂されたのは、当時22歳だった歌手の近藤真彦です。藤真利子は、かねてより近藤真彦の大ファンでした。1986年5月に、念願が叶って女性誌の対談が実現したときには大喜び。それ以来、カーレースに参加する近藤真彦を応援するため筑波サーキットに出向き、公演の打ち上げに参加したりと、交流を深めていきました。
その様子があまりにも親密だったので、いつしか熱愛報道に発展。この時、近藤真彦は、「お友達というのは失礼だし、だからといってお姉さんというのも……。でも、恋人とは言えない」とあいまいにコメント。実際に恋愛感情はあったのか、結婚の話までいったのかは謎のままです。その後は、熱愛の噂も自然消滅していきました。
藤真利子の出身校やプロフィール!最多出演記録とは?
藤真利子は、1955年6月18日生まれで、東京都の出身。本名は藤原真理です。不二聖心女学院高等学校、聖心女子大学文学部を卒業しています。父は、直木賞作家の藤原審爾(ふじわらしんじ)。父親の元に、有名女優などが訪れることも多かったことから、次第に女優に憧れるようになりました。
藤真利子が夢を実現し、女優デビューしたのは22歳の時です。NHKの大河ドラマや朝ドラはもちろんのこと、これまでに出演した映画やドラマは数えきれないほどたくさんある藤真利子。日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の犯人役に最多出演したというちょっと変わった記録も持っています。
ベテラン女優らしく、交友関係も華やかですが、中でも仲が良いことで知られるのが、ユーミンこと松任谷由実。2014年に出演した舞台「ユーミン×帝劇第2弾Yuming Songs」の製作発表会の席で、自身の素行が悪かったため松任谷家に出入り禁止になった過去があったことを明かし、明るくサバサバした性格であることがうかがわれます。
藤真利子と父・藤原審爾の関係!「飢餓海峡」で注目の女優に!
藤真利子と父・藤原審爾の関係!厳格な父との確執、そして親子の愛
藤真利子が生まれた時、父・藤原審爾は、すでに直木賞作家として活躍していました。藤原審爾の小説には映画化された作品も多かったため、家にはいつも映画監督や女優が出入りしていたそうです。それを見て育った藤真利子は、女優になりたいと思うようになりましたが、父は猛反対。きらびやかな世界の裏側を知っての反対だったのかもしれませんが、反発を覚えた藤真利子は、家を飛び出してしまいます。
その後、22歳で女優デビューを果たしますが、真面目で厳格な父に対しては、ずっと心を閉ざしていました。女優になった後、7年ほどは、父と会うこともしませんでした。しかし、父が肝臓癌で余命半年ということを知ったとき、仕事をすべてキャンセルし、残された時間を一緒に過ごすことを決意します。この時、父の反対を押し切って女優になり好き放題してきたことや、父に冷たくしてきたことを後悔したそうです。
それでも、病床の父は、「おまえが大好きだ」と言ってくれたといいます。父の容態が急変し亡くなったのは、親子が再会してから10日後でした。亡くなる間際に、父が藤真利子に残した言葉は、「君が輝いていたら、きっとまためぐり会えるだろう」。藤真利子は、この言葉を胸に、女優として輝き続けることを誓いました。
藤真利子は「飢餓海峡」で注目の女優に!大胆な役にも挑戦する女優魂!
藤真利子は、デビューの翌年となる1978年に放映されたフジテレビ系ドラマ「飢餓海峡」に、杉戸八重役で出演したことがきっかけで注目されるようになります。サスペンスドラマであったものの、激しい濡れ場や、ヌードシーンもあったことから、当初決まっていた女優が降板したことから回ってきた役柄でした。
これは、可憐さや可愛さというよりも、大人の女性としての妖艶な魅力を備えていた藤真利子が見込まれてのことだったのでしょう。とはいえ、藤真利子も「杉戸八重の役は23歳の自分には重すぎる」とかなり悩んだそうです。それでも、「良い役なのでやるしかない」と、引き受けることにしました。この演技が認められた藤真利子は、その年のゴールデンアロー賞最優秀新人賞をはじめ、多くの新人賞を受賞しています。
藤真利子の壮絶な介護生活!母が亡くなるまでの11年間を書き綴った介護ノート
藤真利子が、2月17日に放送された「爆報!THEフライデー」に出演し、自身が経験した壮絶な介護生活について告白しました。藤真利子は、1984年に父・藤原審爾が亡くなってから、ずっと母と2人で暮らしていましたが、2005年6月に、母が脳梗塞で入院することに。
ドラマの仕事は増えていたものの、母の治療費や生活費に年間500万円くらいのお金が必要だったこともあって、在宅で介護することを決意しました。他人に母の介護を任せたくなかったと言う藤真利子は、女優業と在宅介護の両立は不可能なので、仕事を休業。
しかし、介護生活1年で貯金が底をついたことから、仕方なく女優の仕事を再開します。そうなると、自分が留守の間は介護ヘルパーを頼まなければなりません。少しでもその費用を節約するためにと、拘束時間の短い仕事を選ぶと、今度は小さな役しか回って来ないという現実にも悩まされるようになりました。
こうした苦しい中、支えとなったのは支援費制度で、これによりヘルパー費用の負担を軽減することができたそうです。母の介護生活は実に11年に及び、2016年11月に、藤真利子の母は、92歳で亡くなりました。この間、藤真利子が母の様子を書き綴ってきた介護ノートは、なんと65冊。ノートに記された、母に対する愛情の気持ちは、藤真利子の今後の演技により一層の深みを与えるに違いありません。