木村太郎の問題発言が止まらない!ジャーナリストとしての評価は?
木村太郎は78歳にしてトランプ大統領の誕生を言い当てたベテランジャーナリスト
木村太郎は、1938年生まれの78歳。最近、木村太郎の名前がにわかにクローズアップされる出来事が起こりました。それは、アメリカで行われた次期大統領選。ドナルド・トランプが大統領選に勝利したことは、世界のマスコミ界にとって、驚愕の出来事でした。
日本のマスコミやジャーナリストの中で、選挙戦が始まった時点から一貫して、ドナルド・トランプの大統領の誕生を言い当てていたのが、フリージャーナリストの重鎮である木村太郎です。NHKやフジテレビのニュースキャスターを四半世紀も務めていれば、物議を醸した問題発言は、1つや2つではありません。
木村太郎の失言の多くは現実的リベラリストとしてのスタンスから
木村太郎は、どちらかといえば政治的に右寄りと見られていますが、極めて現実主義的なリベラリストといった方が正しく、トラブルの原因は、そういう彼のスタンスに起因しているようです。たとえば、2001年の「沖縄米兵婦女暴行事件」について、「日本側の交渉に幸いとなる事件かも知れない」と語った件があります。
当事者に対する心情論より、木村太郎としては、事件を、在日米軍の縮小交渉に活かすべき、という思いを述べたつもりだったのでしょう。また、2011年には、K-POPの流行は、韓国政府のブランド委員会による対日政策の一環で、「広告会社に言って、YouTubeなどに載っている動画の再生回数を増やしている」と主張。韓国側から強い抗議を受けたこともありました。現実的にはなきにしもあらずですが、あまりにストレートな表現が問題となりました。
木村太郎はNHKを経てフジテレビアナウンサーに!学歴やプロフィールは?
木村太郎はNHKとフジテレビのニュースキャスターを25年間続けた現役フリーのジャーナリスト
木村太郎は、慶応大学を卒業後、NHKに入局し、主に海外畑を歩き、1982年から「ニュースセンター9時」のメインキャスターを務め、常に現場主義の報道で辣腕を振るいました。1988年のキャスター降板に伴いNHKを退職した木村太郎は、フリージャーナリストとしてフジテレビと契約。
2013年まで、「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」などフジテレビのニュース番組でキャスターを務めました。現在は、フリージャーナリストとして、各局の政治・報道番組などへのゲスト出演しています。ほかにも、神奈川県のコミュニティFM、湘南ビーチFMの代表や、ドリーム・トレイン・インターネットの社外取締役を務めるなど、今なお現役で活躍中です。
木村太郎のジャーナリストとしての素養はその生まれにあった?!
木村太郎のストレートで現実主義的な性格は、その出生に1つの鍵があるのではないでしょうか。木村太郎は、戦前、アメリカのカリフォルニア、バークレーで生まれています。木村太郎の祖先は、福岡県飯塚で代々続いた、造り酒屋の森崎屋でした。幕末の頃は、坂本竜馬など勤王の志士たちが頼った名家だったようで、明治以降も威光を誇り、一族の中には、西鉄の6代目社長になった木村重吉もいます。
そしてその弟であった木村喜八郎は、戦前、移民の多かったカリフォルニア州で働いており、彼の息子こそが木村太郎です。一家は、どうやら太平洋戦争前に帰国していたようですが、父である木村喜八郎は、当時の国際情勢から、日本が戦争に負けることを早くに把握していたのではないでしょうか。木村太郎は、そんな一家に育ち、現実的なリベラリストとして、世の中を見る目を培ったのではないかと考えられます。
木村太郎はなぜドナルド・トランプ大統領を予測できたのか?!
木村太郎が、唯一、ドナルド・トランプ大統領誕生を予測できたのは、現場主義者で、自らが見たものしか信じないジャーナリスティックな思考に他ありません。木村太郎が一貫して言い続けていたのは、少数エリートの白人ではなく、ラストベルト地帯に生きる、ネィティブ白人層の怨念にも似た現状への怒りでした。
マスコミは、そういう人々の声、隠れトランプ支持層の声を拾うことができませんでした。なぜなら、彼らもまた既得権を持ったエスタブリッシュメントでしかないからです。もしかしたら、今回一番問題とされるべきは、ドナルド・トランプが大統領になったことよりも、結局は現実を顧みず、恣意的にニュースを加工し、自分たちが予測する結果へと誘導しようとする、マスコミの存在自体だったのかもしれません。
そういう意味で、今の木村太郎は、どの局にも属さないフリーのジャーナリストであることから、何を言っても怖いものがありませんでした。しかし、木村太郎のニュースに対するコメントは、客観的、現実的過ぎて、時に、事件や事故に対する当事者へのいたわりがいささか欠けているように思われるのも事実。おまけに木村太郎本人としては、ニュース後の気の利いたジョークとしての駄洒落が、少なからぬ数の視聴者に不興を買っていたのも、また紛れもない事実です。