新田恵利はなぜ人気者だった?おニャン子クラブメンバーの現在は?
新田恵利が人気者だった理由が分からない?前田敦子と共通するおニャン子クラブ時代の魅力とは
新田恵利は、1985年におニャン子クラブの会員番号4番としてデビューした元アイドルです。新田恵利は、デビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントメンバーに選ばれて以来、おニャン子クラブNO.1の人気を誇りましたが、今でも人気の理由が分からないという声が聞かれます。
容姿だけでいえば、河合その子や高井麻巳子など、新田恵利より可愛いメンバーは他にもいました。歌唱力においても、新田恵利は、決して優れていたわけではありません。同様に、元AKB48の前田敦子が、なぜセンターを張る人気者だったかを考えるとき、何より”とっつきやすさ”を挙げることができるでしょう。
新田恵利には、「100万ドルの笑顔」と称される武器があり、1986年の「冬のオペラグラス」でソロデビューしてからも、人気が衰えることがありませんでした。個性派や美人は脇に、センターには万人に愛されるキャラを。これは、おニャン子クラブとAKB48を成功に導いた、プロデューサー・秋元康の売り出し戦略ともいえそうです。
新田恵利のかつての仲間・おニャン子クラブメンバーの現在は?
新田恵利ら初期メンバーがデビューして以降、おニャン子クラブは、1987年8月31日の「夕やけニャンニャン」放送終了と同時に、わずか2年半で解散しています。おニャン子クラブは、喫煙騒動などで脱退した例もありましたが、最終的に、のべ50名以上のメンバーがいました。
そのうち、ネプチューン・名倉潤と結婚した渡辺満里奈、木村拓哉の嫁・工藤静香、演歌歌手となった城之内早苗の他、渡辺美奈代、国生さゆり、生稲晃子らは、最近でも話題に上ることがあります。河合その子については、結婚して以来、16年ぶりとなった2010年の資生堂CMで芸能界復帰を果たしましたが、最近の活動は不明。
おニャン子クラブの派生ユニット「うしろゆびさされ組」のメンバーだった美形・高井麻巳子は、現在、秋元康の妻となり、1児の母となっています。中には、動向不明なメンバーや、芸能界での生き残りをヌードにかけて消えてしまったメンバーもいますが、結婚して母となり、一般人として暮らしているパターンが多いようです。
新田恵利の結婚した旦那や子供は?病気で命を落とす寸前だった!
新田恵利の結婚した旦那・長山雅之との馴れ初め!子供には恵まれず
新田恵利がおニャン子クラブにいた時代も、現在のAKB48と同様に、恋愛禁止令が敷かれていました。最近になって、「高校1年の時から彼氏がいた」「ファンに内緒で放送作家と付き合っていた」と暴露していますが、結婚となるとなかなか難しいものもあったでしょう。
そんな新田恵利が結婚したのは、おニャン子クラブが解散して10年経った1997年でした。お相手は、前年のおニャン子クラブ再結成の宣伝広報を担当した、フジテレビ社員の長山雅之。新田恵利の姪のためにglobeのコンサートチケットを手配してくれた長山雅之を、新田恵利が、お礼を兼ねて食事に誘ったことが、交際のきっかけになったそうです。
結婚当時の新田恵利は30歳前後と、決して遅過ぎる結婚というわけではありませんでしたが、子供には恵まれなかったようです。2016年現在では48歳となっていますから、今後にこの手の話題が聞かれる可能性は低いでしょう。
新田恵利の病気は脳動脈瘤でくも膜下出血の危機!人知れず緊急手術を受けていた!
新田恵利には、命にかかわる病気を患った過去がありました。病気が発覚したのは、2013年に出演したテレビ番組「主治医が見つかる診療所」で受けた人間ドック。長らく健康診断から遠のいていた新田恵利に、「脳動脈瘤」という重病が見つかりました。
「脳動脈瘤」とは、脳の動脈にできる風船状の膨らみで、自覚症状なないものの、破裂すると、くも膜下出血を引き起こす恐ろしい病気です。番組出演以来、新田恵利は年に1回の経過観察検査を受けていましたが、2016年に腫瘤が増長していることが分かり、6月15日に緊急手術となっています。医師からは”難しい手術”と告げられていたため、死を身近に感じた新田恵利は、手術の事実を公表できずにいたそうです。
しかし、ブログで公表したのは、手術からわずか6日後で、その2日前には、すでに仕事を再開していたといいますから、経過は人並み外れて順調な様子。往年の新田恵利ファンたちも、ひと安心です。
新田恵利はおニャン子クラブの嫌われ者だった!?国生さゆりとのライバル関係は壮絶
新田恵利のファンだったと公言する人物は、太田光や岡村隆史など、芸能界にもたくさんいます。それと同時に、新田恵利とおニャン子クラブ時代の人気を二分した国生さゆりとは、「新田派・国生派」と称されて、常に比較されてきました。しかし、新田恵利は、高校時代の時給380円のアルバイト生活から、5000円という出演料に目がくらみ、芸能界に入っただけの女の子に過ぎません。
本気で芸能界での成功を目指していた国生さゆりらとは明らかに温度差があり、何度も「辞めたい」と口にしていたそうです。センターを張る新田恵利に、強いライバル心を抱いていた国生さゆりにとれば、何とも解せない話で、その風潮は、おニャン子クラブ全体にあったといいます。
2人が共演した2016年9月29日放送の「ダウンタウンDX」で明かされた内容によると、新田恵利がセンターを務めた「真っ赤な自転車」では、バックコーラスを誰も歌おうとしなかったといいます。また、今でも毎月開催されているメンバーの同窓会にも、新田恵利は呼ばれたことがないそうです。新田恵利は、現在、”80年代のアイドルの裏側”を語る元アイドルとしての芸能活動の傍ら、小説「アイドルとつきあう方法」を出版するなど、地味ながら、相変わらず表舞台にいます。
一方では、2年余りも続けている母親の介護経験を基に、講演活動を行うという健気な姿も。こうした微妙に控えめな態度は、当時のおニャン子クラブメンバーからすれば”カマトト”に映ったのかもしれません。とはいえ、それこそが今も昔も変わらない新田恵利のポジションでしょう。現在の国生さゆりらに比べて劣化度は激しいとはいえ、多くのファンが新田恵利に癒され、熱狂した理由が分かる気がします。