斉木しげるの「シティボーイズ」は80年代サブカルチャーのシンボル!虚無的でナンセンスなライフスタイルとは

斉木しげるの「シティボーイズ」は80年代サブカルチャーのシンボル!虚無的でナンセンスなライフスタイルとは出典:https://www.cinra.net

斉木しげるはシティボーイズでブレイク!大竹まこと、きたろうとの関係は?

斉木しげる、大竹まこと、きたろうの「シティボーイズ」は80年代サブカルチャーのシンボル

プロフィール写真を見る限り、どこにでもいそうな初老の男。この悪魔に自分の影を売ってしまったような無個性の極地の男こそが、斉木しげるです。斉木しげるを語るにはまず、彼が参加し、1980年代に異彩を放ったコントユニット「シティボーイズ」について語らざるを得ません。

1960年代の終わりから1970年代にかけての狂乱の時代はすでに遠いものとなっていたこの時代。演劇界でも、アングラ演劇から、つかこうへいを経て、個々の劇団が独自のスタイルの芝居を目指す第3次小劇場ブームが起こります。そうした中、一部の劇団は、「笑い」をテーマとして、大いに人気を集めました。1973年に劇団東京ヴォードヴィルショー、1976年に東京乾電池、1983年には東京サンシャインボーイズなどが次々と旗揚げします。

1979年、劇団「表現劇場」のメンバーだった、大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人が立ち上げたのがコントユニット「シティボーイズ」です。彼らは、作家のいとうせいこうや、パフォーマーの中村有志を迎え、痛烈な風刺とブラックな笑いで都市生活の不条理さを描きました。

すると、瞬く間に人気者となっただけでなく、怜悧な笑いで、サブカルチャーのシンボル的存在に。「シティボーイズ」のコントは、大竹まことがまさに時代の狂気を、きたろうがシニカルの極北を、そして斉木しげるがすべてを無為化した諦念のようなものを演じ分けていたように思われます。

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斉木しげるの虚無的でナンセンスなライフスタイル

月日は流れ、テレビというメディアは、大竹まことの狂気すら飲み込み、今や彼はコメンテーターとして重宝されるようになりました。きたろうは、コメディやホラードラマに欠かせない独自のバイプレーヤーとなっています。かたや斉木しげるは、コンスタントにバイプレーヤーを続けながらも、決して目立たず欲もなく、一方で長くパチンコ番組の司会を続け、それが元で自己破産してしまったといわれるナンセンスぶり。ある意味、「シティボーイズ」の中で、もっとも深い虚無と狂気を抱えているのが斉木しげるという男かもしれません。

斉木しげる、シティボーイズの現在!出身校やプロフィールは?

斉木しげる等「シティボーイズ」は高学歴お笑い芸人の走り?!

「シティボーイズ」は、とにかく売れるため、舞台だけに留まらずテレビにも確信犯的に進出しました。1981年に日本テレビ「お笑いスター誕生!!」に出場し、10週勝ち抜きでグランプリを獲得。一気にブレイクを果たします。そんな「シティボーイズ」の3人は、ビートたけしなど高学歴お笑い芸人の走りともいえるでしょう。

大竹まことは、東京出身で、1949年生まれ。東京大学教育学部附属高等学校を卒業しています。きたろうは、千葉県出身で、1948年生まれ、中央大学文学部出身です。そして斉木しげるは、静岡県出身で1949年生まれ。早稲田大学教育学部国文科を中退しています。3人はともに「俳優小劇場」の養成所に通っていましたが、劇団の内紛により養成所を辞め、仲間で劇団「表現劇場」を結成。その時の仲間の1人が風間杜夫です。そして1979年、3人による芝居ユニット「シティボーイズ」が結成されました。

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斉木しげるは「シティボーイズ」一番の怪優か?!

「シティボーイズ」として知名度が上がるにつれ、メンバーは、役者やタレントとして、個々の仕事が多くなります。中でも大竹まことは、スタジオで罵詈雑言大暴れするキレ芸で一躍有名になりました。今でも語り継がれているのは、フジテレビ「夕やけニャンニャン」の生放送で、おにゃんこクラブのファンたちを相手に大暴れした事件です。

きたろうは、コントで「ゲゲゲの鬼太郎」に扮したのがとてもよく似ていたため、そのまま芸名としましたが、作者の水木しげるには、永く許可を取っていなかったとか。その風貌と同じく、朴訥とした毒舌キャラで、役者としてだけでなく、タレントとしても独自のポジションを築いています。

斉木しげるはというと、2人に比べると、これといった個性もありませんが、かといって芝居ができないわけでもなく、映画やテレビドラマのバイプレーヤーとしては、2人以上に仕事をしてきたかもしれません。斉木しげるは、コメディのマイホームパパを演じても、サスペンスの犯人役を演じても、どこか上の空のような虚無感が漂う不思議な役者です。この3人による「シティボーイズ」の笑いは、まさに都会の狂気と皮肉、虚無が入り交ざった1980年代という時代の空気感を、ビビットに伝えていたのかもしれません。

斉木しげるがパチンコ業界に物申す!

かつては30兆円産業ともいわれ、その加熱ぶりから、おびただしい数の依存症者や自己破産者を生んだパチンコ業界。度重なる厳しい規制により健全化をめざしたものの、ギャンブル本来の射幸性も低くなり、パチンコ人口は減る一方のようです。このパチンコ人口減少について、一言物申した男がいます。

そう、性懲りもない男、斉木しげるです。2017年1月19日に、「全国遊技ビジネス振興会」のセミナーで特別講師を務めた斉木しげるは、50年来の「ファンの視点から見た今の業界」に対して、熱い思いを披露しました。その主張の第一は、とにかく球が入らず回らないので、打つ気を失くしてしまうということ。

これを解消するために、店に損益分岐の引き上げを要望し、その分、スタート回数と当り回数を増やす営業形態にシフトすることを提案しています。パチンコをやらない人にとっては何のことかさっぱりですが、要は、景品の交換価値は下がっても、スタート穴に玉がよく入り、派手なアクションが見られ、玉がたくさん出るようにしてほしいということでしょう。たかがパチンコ、されどパチンコ。パチンコは、日本独自の発展を遂げた庶民のギャンブルです。50年来、その無為さを知りながらも、パチンコで遊び続けてきた斉木しげるの言葉には、それなりの理があると言えます。

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