惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」が歴史を変える?監修は何とヴェルサイユ宮殿!

惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」が歴史を変える?監修は何とヴェルサイユ宮殿!

惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」が歴史を変える?ほんとうのマリー・アントワネット像とは

惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」は、2016年8月18日より、講談社「モーニング」誌上で連載開始。4号連続で掲載され、コミックスは全1巻で、2016年9月23日に発売されました。4話収録で160ページと、大ボリュームの本作。主人公は、もちろん、1973年、フランス革命中の10月16日に死刑が執行されたマリー・アントワネットです。

大悪女として後世に名を残していますが、実際は、彼女を妬んでのデマが大半だったという歴史的な資料も発見されています。惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」は、それらを踏まえつつも、より個人としてのマリー・アントワネットにスポットを当てた物語が展開されました。

嫁いでくる際のマリー・アントワネットの少女らしい溌剌とした姿や、フランス王室で、ルイ16世とともに、仲睦まじく温かい家庭を築いていく姿。これらから浮き彫りになるのは、立場が歪めた、普通の女性としてのマリー・アントワネットの姿です。

惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」監修はあのヴェルサイユ宮殿!壮麗なロココ様式を再現

惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」は、惣領冬実らしい緻密な作画で、当時のフランスの細部まで再現されている、完成度の高い作品です。マリー・アントワネットの生きた時代のフランスといえば、豪奢な装飾が施されたロココ様式。惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」は、衣装、建築、王宮儀礼などのすべてを、ヴェルサイユ宮殿が監修しています。

女中のスカートの模様や、階段の手すりの装飾、マリー・アントワネットの乗る馬車を一目見ようと集まる観衆の姿など、どれ1つの場面をとっても手抜きは一切なく描かれおり、圧巻です。2016年10月25日より、六本木にある森アーツセンターギャラリーでは、同じくヴェルサイユ宮殿監修の「マリー・アントワネット展」が開催されています。

展覧会では、ヴェルサイユ宮殿美術館所蔵の、絵画や家具、調度品も展示。惣領冬実漫画「マリー・アントワネット」をあわせて読めば、華やかな世界を、より深く体感できるでしょう。

惣領冬実代表作「ボーイフレンド」あらすじネタバレ!プロフィールは?

惣領冬実代表作「ボーイフレンド」あらすじネタバレ!大人っぽい4人の恋模様を描く名作!

惣領冬実代表作「ボーイフレンド」は、1985年から1988年にかけて、小学館「週刊少女コミック」にて連載されました。ハイセンスで大人っぽい恋模様が人気となり、1992年には、テレビアニメも放送されています。中学生時代にバスケ部を全国優勝に導いたものの、傷害事件を起こして高校を中退した高刀柾。父親のコネで入学した高校には、なかなか馴染めません。

心臓が弱く、たびたび休学する結城可奈子は、2歳年上の同級生です。何かと気にかけてくる可奈子を疎ましく思うものの、そんな可奈子に次第に惹かれていく柾。そこに、可奈子の死んだ姉と相思相愛だった体育教師の中津川壮、ハーフのアキラも交えた恋愛模様が描かれます。最終回では、手術を受けた可奈子は順調に回復し、3年生に進級。再びバスケをはじめた柾と共に、通学路でじゃれあうという、幸せな最終回を迎えました。

惣領冬実のすごすぎるプロフィール!漫画家になったのは資金調達のため?

惣領冬実は、1959年1月6日、大分県別府市にて、観世流能楽師の家に生まれました。小さい頃より絵を描くのは好きでしたが、漫画には一切興味がなかったという惣領冬実。転機が訪れたのは、服飾専門学校に通っていたころでした。装苑賞に応募するための資金調達手段として、偶然目にした小学館主催の漫画新人賞に応募。惣領冬実は、そこで佳作を受賞したことで漫画家デビューすることになりました。

1982年「陽だまりの訪問者」で漫画家デビューした惣領冬実は、「ピンクなきみにブルーなぼく」「ボーイフレンド」「MARS」などの代表作を次々に発表。少女漫画誌で大活躍していましたが、もっといろいろな角度で人間を描きたいとの要望で、講談社「モーニング」へ移籍しました。2005年からは、不定期で、「チェーザレ 破壊の創造者」を連載しており、コミックス既刊は11巻。2015年1月以来の新刊を、読者が心待ちにしている状況です。

惣領冬実「マリー・アントワネット」史上初の日仏協同漫画制作の裏側は?

惣領冬実「マリー・アントワネット」の企画が開始されたのは、2014年の暮れのこと。ヴェルサイユ宮殿側が、ヴェルサイユを舞台にした漫画を描いてくれる作家を探していたところ、フランスの出版社グレナ社より相談を受けた「モーニング」編集部の北本かおりが、惣領冬実に白羽の矢を立てました。

決め手は、「チェーザレ 破壊の創造者」などでも見られる、緻密な歴史描写と、秀麗かつ微細な絵が、現地フランスでも人気が高かったからだそうです。2015年7月には、あのヴェルサイユ宮殿での打ち合わせが開始されました。約3週間の滞在の間、惣領冬実には、宮殿内へのフリーパスのほか、学芸員の案内で非公開の部屋への入室、誰もいない休日のヴェルサイユ宮殿での取材、撮影許可と、協力体制もばっちり。

そうした中、「マリー・アントワネット」を題材に決めた経緯などは、惣領冬実自身の公式ブログの中で語られています。第1話が「モーニング」に掲載された際や、惣領冬実へのインタビューを塚田有那がまとめた副読本「マリー・アントワネット嘘」発売時にも、歴史小ネタや、なぜあの「マリー・アントワネット」を描いたのかという理由について細かく語っている惣領冬実。

そこには、限られたページ数で表現しようと試行錯誤した惣領冬実の努力と苦悩がにじみ出ています。読者の感想には、フェルゼンやデュ・バリュー夫人の登場はなく、フランス革命につきものの処刑のシーンがないのはなぜか、という疑問の声が見られました。しかし、惣領冬実が描きたかったのは、プチトリアノンで、つかの間、穏やかな時間を過ごしたマリー・アントワネットの姿という、歴史に埋もれた真実だったのかもしれません。

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