内田光子は日本が誇る世界最高峰のピアニスト!レパートリーは?

内田光子は日本が誇る世界最高峰のピアニスト!レパートリーは?出典:http://mainichi.jp

内田光子は日本が誇る世界最高峰のピアニスト!レパートリーは?

内田光子は日本が誇る宝!世界最高峰のピアニストと称賛!

内田光子は、日本が誇る世界最高峰のピアニスト。「世界のUchida」として世界中にその名を知られており、数々のコンクールでの受賞歴にも華々しい活躍をしています。外交官であった父・内田藤雄と共に、12才で、オーストリアのウィーンに渡航した内田光子には、4年後に、1つの決断を迫られる場面が訪れます。

この年、内田一家は、父・内田藤雄の移動が決まり、次の赴任地ドイツへ向かうことになりました。しかし、ウィーンで接した音楽に強く惹かれていた16才の内田光子は、師であったリヒャルト・ハウザーが望んだこともあり、単身ウィーンに残ることを決意します。そのままウィーンで音楽を学んだ内田光子は、日本が誇る世界最高峰のピアニストと呼ばれるまでになりました。

内田光子が奏でるピアノ!そのレパートリーは?

内田光子は、ロンドンに在住しており、ヨーロッパを中心に活躍しています。そんな内田光子の演奏レパートリーは、前期ロマン派と古典派が中心です。コンサートでは、モーツァルトやベートーヴェンなどの古典派をはじめ、ショパンやシューマンなどのロマン派を得意として演奏しています。

この他にも、「歌曲の王」として知られるシューベルトや、新ウィーン楽派のヴェーベルン、同派のシェーンベルクやベルクなども、内田光子の演奏レパートリーに数えられるでしょう。プロの演奏家としては、決して広いとはいえないレパートリーですが、その分、古典派の楽曲を深く理解し演奏することが、内田光子の強みであり、高く評価されている理由でもあります。まだ、武満徹が作曲した現代作品も、時々演奏しているそうです。

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内田光子の出身校!日本人ピアニストとしての苦悩とは?

内田光子の出身校はウィーンの名門大学だった!

内田光子は、1948年生まれの67才。幼少期は、桐朋学園の「子供のための音楽教室」に通っていました。12才で家族とウィーンに移住し、16才からは単身ウィーンに残り、ウィーン国立音楽大学でピアノを学びます。ピアニストとしての才能を開花させた内田光子は、1971年にイギリスのウィグモア・ホールで開催された演奏会においてロンドンデビューを果たし、活動拠点をロンドンに移しました。

1970年代はヨーロッパを中心に活動していましたが、大手のレコード会社からは相手にされず、日本でコンサートを開いてもチケットが売れないという不遇の時代を過ごします。転機となったのは1982年。この年、東京文化会館小ホールとウィグモア・ホールで行ったモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」が大絶賛され、一躍脚光を浴びて以後、その名声を不動のものにします。現在は、イギリス国籍を取得し、後進の音楽家たちの育成にも力を注いでいます。

内田光子が感じた日本人ピアニストとしての苦悩とは?

内田光子は、今はイギリス国籍のピアニストとしてヨーロッパを中心に活動していますが、そこに至るまでには、日本人ピアニストしての苦悩がありました。ヨーロッパでは、日本人というだけで異分子として見られてしまい、なかなか受け入れられなかったという内田光子。

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また、日本の音楽大学を卒業していないため、日本での演奏活動時は、大学や卒業生によるバックアップや支援が全くない状態でした。このため、コンサートを開いても、チケットが売れず苦労する……そんな状況が続いたそうです。この不遇時代にも、地方公演や公開レッスンなどで収入を得ることはできていたものの、「音楽的には不本意だった」とコメントしています。

現在は、音楽を志す若者が海外に師を求め、成功後、日本に凱旋帰国することも珍しいことではありません。しかし、内田光子がデビューしたのは、そうした価値観がまったくといっていいほどなかった時代でした。外国では異邦人として扱われ、母国には基盤がない……そんな厳しい環境にありながらも、実力で名声を勝ち取った内田光子は、音楽家の卵たちの道を切り拓いたともいえます。

内田光子が「第59回グラミー賞」にノミネートされる!

内田光子が、アメリカの権威ある音楽賞である「第59回グラミー賞」にノミネートされました。テレビの「エミー賞」、舞台の「トニー賞」、映画の「アカデミー賞」と並び称される、音楽の「グラミー賞」。これまでに、「グラミー賞」を受賞した日本人には、オノ・ヨーコ(ジョン・レノンと共に受賞)や、坂本龍一、小澤征爾など、国際的にも名の知られた音楽家が名を連ねています。

今回、内田光子がノミネートされたのは、「最優秀クラシック・ヴォーカル・アルバム(ソロ)」部門で、アルバム「シューマン:リーダークライス、女の愛と生涯/ベルク:初期の7つの歌」が選ばれました。ソプラノ歌手であるドロテア・レシュマンと内田光子の共演が収録されているこのアルバムは、DECCAレコードより販売されています。

「第59回グラミー賞」の発表は、2017年の2月ですが、もし内田光子が受賞することになれば、「第58回グラミー賞」の小澤征爾に続く、日本人の連続受賞となります。16才という若さで音楽の都ウィーンに身を置き、ピアノを学ぶことを決意した内田光子。

その時日本は、戦後の混乱期からようやく立ち直りを見せ始めていた時期です。外交官の家に育つという特殊な環境にあったとはいえ、早くから自身の行く末を定め、自らの力のみで前進してきた内田光子。その不屈の歩みが、「グラミー賞」受賞という形でも評価されました。「世界のUchida」の名前がさらに広く知れ渡ることを、期待せずにはいられません。

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