山口小夜子の資生堂CMはファッション界を変えた!晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?

山口小夜子の資生堂CMはファッション界を変えた!晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?出典:https://matome.naver.jp
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山口小夜子は伝説的モデル!メイクや髪型への信念や名言とは

山口小夜子の資生堂CMは西洋一辺倒だったファッション界を変えた!伝説的モデルと言われる所以とは?

ファッションモデルの山口小夜子がデビューを飾ったのは1970年代。当時のファッション界は、目鼻立ちのはっきりとした、背が高くスタイル抜群の西洋的雰囲気を持ったモデルの全盛期でした。

そんな西洋風モデル一辺倒の時代に、山口小夜子は、切れ長の瞳におかっぱの黒髪姿で登場します。「君は髪を染めなくてもいい。メイクもそのままでいい」。日本の美を追求し続けてきた山口小夜子にそう語り、自身のファッションショーへの出演を懇願したのは、気鋭の新人デザイナーとして世界に名を馳せていた山本寛斎です。

こうして実現した「KABUKI」を主題とした山本寛斎のショーは大成功し、山口小夜子の名は世界に知られるようになりました。世界に衝撃を与えた山口小夜子の存在感にいち早く注目した資生堂は、1973年よりCMの専属モデルに抜擢。山口小夜子の名前は、お茶の間にも浸透していきます。

その後、パリコレクションに出演するなど、日本人モデルのパイオニアとして活躍した山口小夜子は、1977年にはニューズウィーク誌の「世界のモデルトップ6」にアジア人として初選出!東洋の伝説的モデルとしての地位に君臨します。

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山口小夜子の切れ長メイクや綺麗な黒髪の髪型への信念、残した名言とは!

山口小夜子は、世界に名立たるデザイナーの三宅一生や山本寛斎、高田賢三、イヴ・サンローランらにとって、ミューズとも言える絶対的な存在でした。西洋人とは一線を画した切れ長のメイクと綺麗な黒髪のおかっぱの髪型には、日本美をとことん追求した山口小夜子の並々ならぬ信念が込められていたと言います。

モデルオーディションを受けるたびに「髪を染めてパーマをかけ、外国人メイクにしなさい」と言われ続けた山口小夜子ですが、「日本人女性の美しさを捨ててまでもモデルになりたくない」と、自分のスタイルを変えることはありませんでした。「着る、という意味では、地球上に存在するあらゆるものを着こなす自信がある」と断言していた山口小夜子。1998年にNHKで放送されたインタビューの中では、自分の美に対する信条を「意図を排除して自分を無にすることから、本質に触れる」と表現しています。

山口小夜子の結婚相手や子供は?晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?

山口小夜子は結婚していた?子供はいたの?

山口小夜子の私生活については最期まで謎のままでした。日常を発信することが当たり前となっている今のネット社会では想像できませんが、彼女に限らず、昔の女優やモデルには私生活を見せない人が多かったようです。生涯独身で子供もいなかった様子の山口小夜子。恋愛についても明言を避けていますが、インタビューの中では「私は寛斎さんに拾われたの。寛斎さんのオーディションに行っていなかったら、私はモデルを辞めていた」と述べています。

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山本寛斎に見出されてトップモデルの地位を得た山口小夜子は、その後も山本寛斎の仕事上でのパートナーを長く続けていました。2人の間にパートナー以上の関係があったのでは?との噂も流れましたが確証はありません。

山口小夜子の晩年の活動や孤独死に至った死因とは?

白肌に切れ長の小夜子メイクを確立させ、自らのことを「ウエアリスト(着る人)」と称した「東洋の神秘」こと山口小夜子。晩年は、若いアーティストたちと共に、音楽や映像、朗読、ファッション、ダンスなどを組み合わせた総合芸術的なパフォーマンス活動を行っていました。また、モデルではなく女優として、映画「利休」(1989年)や「ピストルオペラ」(2001年)のほか、多数の舞台に出演しています。

しかし2007年8月14日に、「伝説のモデル・山口小夜子急逝!」との衝撃なニュースが……。死因は、急性肺炎。自宅で亡くなっているところを発見された山口小夜子は、まだ57歳の若さでした。ドールと呼ばれ、「東洋の神秘」と称された山口小夜子は、人前で笑うことすらなかったと言います。伝説のモデルは、病院に行くことさえも躊躇せざるを得なかったのでしょうか?それゆえ孤独死という非常に残念な最期に至ってしまったのかも知れません。

山口小夜子は世界のKenzoをインスパイアし続けた伝説のモデル!「Kenzo」ポップアップ展で蘇る!

ニューズウィーク誌の選ぶ「世界のトップモデル6」に東洋人として初めて選出された伝説のモデル山口小夜子。2007年にこの世を突然去ってしまった彼女の偉業を称えるポップイベントが、表参道のジャイルにて、2018年2月24日まで開催されています。山口小夜子と坂本龍一の世界観に感化されたというKENZOこと高田賢三が、自らの2018年春夏コレクションをアート作品として出展するほか、ケンゾー最新コレクションを国内に先行して発売するそうです。

大学を中退して文化服装学院に進み、1964年に「世界的デザイナーになる」と強い信念を抱いて渡仏した高田賢三にとって、山口小夜子はファッション界に君臨する輝かしいミューズで、常にインスパイアされる存在でした。「美しいことは苦しいこと」そう語っていた山口小夜子は、心と身体を美しく保つために常に理想を高く掲げ、自分が良いと思ったことに関してはとことんこだわっていたと言います。

自らを「ウエラリスト」と名乗り、「着る」ことに関しては最期までストイックな姿勢を崩さなかった山口小夜子とは、高田賢三にとって、まさにファッションの女神を超えた「絶対的なる存在」だったに違いありません。日本的な美を追求し続けた山口小夜子は、唯一無二の存在として、今後もファッションひいてはアートの世界に影響を及ぼし続けていくことでしょう。

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