秦の始皇帝暗殺計画まとめ!「キングダム」での名前は本名?
秦の始皇帝4度も命の危機があった!?狙われすぎている暗殺計画まとめ
秦の始皇帝は、紀元前221年、初めて中国統一を成し遂げた人物です。始皇帝とは、最初の皇帝を意味しています。幼いころは、敵地で死と隣り合わせの生活を送ってきた始皇帝。秦王となり、始皇帝となってからも、死と隣り合わせであることは変わらず、4度の暗殺計画が発覚しています。
多くの人に知られているのが、秦王だった頃に、敵国・燕の太子の命を受けた荊軻が起こした暗殺未遂事件です。秦の裏切り者である樊於期の首を差し出した時に、秦王を暗殺しようとしますが失敗。反対に、荊軻は斬り倒され、燕は滅ぼされました。
その後、始皇帝となってからは、荊軻と親しい間柄だった、筑という楽器の名手の高漸離が、始皇帝に召し抱えられた際に襲い掛かったという暗殺事件も。事件後、秦の始皇帝は、滅ぼした国の人間をそばに近づけなくなりました。巡遊中に、張良から、車に約30㎏の鉄錐を投げつけられたり、夜間のお忍び中に、首都咸陽で賊に襲撃されたりするなど、秦の始皇帝は、権力の大きさゆえ、常に命を脅かされていたようです。
秦の始皇帝人気漫画「キングダム」の政は本名?
秦の始皇帝は、中華全土を初めて統一した人物です。男女問わず、幅広い年齢層の読者を獲得している原泰久の漫画「キングダム」は、始皇帝が誕生する前、春秋戦国時代が舞台。秦国の戦災孤児で、下僕という最下層の身分から、天下の大将軍を目指す少年、信を中心に物語が進んでいきます。
信の友人であり、秦の若き王となる政は、後に秦の始皇帝となる人物。漫画では、通称「政」ですが、正式な名前は、嬴政(えいせい)です。「キングダム」の大まかな流れは、「史記」などを参考に作成されており、おおよそ史実に忠実に作られています。
実際の始皇帝も、姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、諱は政(せい)。性はいわゆる名字、諱は名前となり、氏は家系を表す名称です。ですから、簡単にいえば、「趙という家系から出ている嬴政」という意味。氏で呼ぶことも多いですが、「キングダム」の政と始皇帝は、史実通り同じ名前となります。
秦の始皇帝の中国統一から滅亡までの歴史!死因の真相は?
秦の始皇帝の歩み!中国統一から滅亡までの歴史を解説
秦の始皇帝こと秦王嬴政は、紀元前259年~紀元前210年に活躍した人物です。幼少期を人質として敵国趙で過ごし、10歳で秦に帰国。父の急死により13歳で即位すると、国内外の紛争に相対しました。最高職の相国となった呂不韋は、若き王にとって因縁の相手。秦王22歳の時、嫪毐が起こした反乱に、呂不韋が関与していたことが明らかになると、彼は服毒自殺してしまいました。
こうしたことを経て、国内は安定。すると、韓、趙、燕、さらには魏、楚、斉と順に攻めていき、秦王政26年(前221年)、秦王が39歳の時に中華を統一、始皇帝となりました。中央集権を採用し、通貨を定めるなど、政治方面に力を入れた秦の始皇帝は、北方防御策として、後の万里の長城となる防壁作りにも着手します。
しかし、4回目の天下巡遊中に、始皇帝は死亡。二世皇帝となって3年後、暴政の濡れ衣を着せようとした趙高によって二世皇帝は暗殺され、次代の子嬰も46日後に誅殺されると、首都咸陽は廃墟となりました。
秦の始皇帝は享年49歳?死因の真相とは
秦の始皇帝は、紀元前210年9月10日に死亡したといわれています。享年は49歳、中華統一後の紀元前220年から行っている天下巡遊、その4回目の巡遊中のことでした。秦の始皇帝の死は秘匿されましたが、それによって起こる臣たちのいざこざにより、秦は滅亡の一途をたどります。秦の始皇帝の死因は、病死となっていますが、今なおさまざまな憶測が飛び交っています。
まずは、完璧主義な性格から激務をこなし続けて過労死したという説。もう1つは水銀、ヒ素中毒です。不老不死を望んでいた始皇帝は、徐福といった方士たちに、仙薬、神薬といったものを探させていたことでも知られています。徐福は、日本でも伝承の残る人物です。当時神薬といわれた丹などの原料は、硫化水銀やヒ素化合物。そのため、呑み続けることにより中毒したのではないか、という説が有力となっています。
秦の始皇帝の中華統一から滅亡の物語!国立国際美術館で「始皇帝と大兵馬俑」開催中
秦の始皇帝が埋葬されたのは、始皇帝陵です。中国では、死者を埋葬する際に、死後の魂が生活するために使用するとされる俑を副葬します。中でも、兵士や馬をかたどったものが兵馬俑です。始皇帝の兵馬俑としては、それぞれ顔が違う約8000体もの俑が出土しており、文人や芸人の形のものも出土。始皇帝の暮らしをそのまま来世に持っていこうとしたものではないか、と考えられています。
そんな始皇帝の大兵馬俑を詳しく知ることができる企画展「始皇帝と大兵馬俑」が、2015年10月27日から2016年2月21日まで開催されていた東京国立博物館での展示を皮切りに、2016年3月15日から6月12日までは福岡県の九州国立博物館で、そして2016年7月5日から10月2日までは、大阪府国立国際美術館で開催されています。企画展の目玉は、なんといっても等身大の兵馬俑を再現した人形展示でしょう。
その他にも、出土品を解説することにより、秦がどのような国だったのか、始皇帝の事業や、生活の様子を解説するなど、大帝国の知られざる謎を探るような内容となっています。東京開催時には、秦の始皇帝が広く注目されるきっかけともなった漫画「キングダム」に絡めての公演が開催されるなど、入場待ちの列も出来た人気企画展。展示機会としては、現在開催中の大阪府国立国際美術館が最後となりますが、秦国の物語は、企画展や「キングダム」にとどまりません。
KADOKAWAから出版された池野雅博「レッドドラゴン」は、秦が統一された後、滅亡の事件にかかわっていくことになる劉邦と盧綰が主人公です。少年時代から始まる物語は、派手なアクションと新解釈で読ませる作品になっています。始まりを描く物語から、滅亡を描く物語へ。死後も注目される秦の始皇帝は、実在の人物です。年をどんなに重ねても、その偉業が色褪せることはありません。何を考え、生きていたのか……漫画や企画展示は、実在の人物である始皇帝の思考に触れる一助になるはずです。