いとうせいこうは日本語ラップのパイオニア!?レキシの楽曲参加も!

いとうせいこうは日本語ラップのパイオニア!?レキシの楽曲参加も!

いとうせいこうは日本語ラップのパイオニア!?本業は何なのか?

いとうせいこうは、短く切り揃えた前髪に、存在感たっぷりの黒縁眼鏡、と印象的な風貌のタレントです。小説家、俳優としても活躍していることから、本業がすっかり謎となっていますが、10代の方ならば、Eテレの子供向け番組「ビットワールド」に出ている人と言われればピンとくるかもしれません。

しかし40代以上の音楽好きの人にとっては、違ってくるはずです。なんといとうせいこうは、日本語ラップのパイオニアといえる存在でした。アメリカのヒップホップのスタイルをそのまま真似するのではなく、日本語でしかできないラップを追及したことで、いとうせいこうは、後に続く世代に多大な影響を及ぼしています。スチャダラパーや、ライムスターの宇多丸、MCU等も、いとうせいこうに影響を受けてきたミュージシャンです。

いとうせいこうはミュージシャン?レキシの楽曲参加も!

いとうせいこうのミュージシャンとしての活躍ぶりは、縦横無尽で、現在も続いています。最近では、日本の歴史をファンクミュージックにのせてコミカルに歌う「レキシ」にも参加。「レキシ」は、池田貴史によるソロプロジェクトですが、いとうせいこうは、「足軽先生」として、初期から参加しています。最初はニッチなテーマすぎて、プロジェクト自体がすぐに潰えてしまうのではないかと危ぶまれた「レキシ」ですが、ファン層は着実に広がり、フェスには引っ張りだこ、アルバムも4枚発売する人気ぶり。

いとうせいこうは、「レキシ」に、作詞とラップで楽曲参加するほか、暴走しがちな池田貴史をうまくディレクションする立場でもあるようです。

いとうせいこうは結婚してる?プロフィールは?病気の噂は本当?

いとうせいこうは結婚してる?病気で離婚の噂も!?

いとうせいこうは、「レキシ」参加のように、若い世代とも共に活動していますが、実は50代。年齢的には、結婚していてもおかしくありません。実際、テレビ出演時に、「結婚してるんだから」とコメントしていたこともあり、結婚していたのは間違いないようです。

さらには、離婚したのではないかとも囁かれています。離婚の噂の理由となったのは、いとうせいこうが患ったある病気。自らブログでも明かしていますが、いとうせいこうは、2006年にパニック障害を患っています。舞台の観劇中や、電車の乗車中、狭いスタジオの中といった閉鎖的な空間にいると、動悸がし、強い焦燥感に襲われて叫びだしたくなったそうです。現在は、治療を受けて仕事をセーブすることでだいぶ回復したといわれています。

いとうせいこうのエリートなプロフィール!実は議員の息子だった!

いとうせいこうのプロフィールをご紹介すると、1961年、東京都葛飾区生まれの55歳。なんと父親は参議院議員で、民社党政審副会長も務めた伊藤郁男です。いとうせいこう自身、東邦大学付属高校を経て、早稲田大学へ進学していますから、いわゆるエリートといって差し支えありません。

大学卒業後は、講談社の雑誌「ホットドッグプレス」の編集者として活躍したいとうせいこう。消しゴム版画家の伝説のコラムニスト、ナンシー関の名付け親でもあります。その後、並行して行っていたお笑いや、ヒップホップMCとしての活動が編集者としての仕事に支障をきたしたことから、講談社を退社。現在に至ります。

いとうせいこうの絶妙なバランス感覚!オールナイトニッポンのADもしていた!

いとうせいこうは、これまで、ありとあらゆるジャンルで活動してきました。見る人によって、これだけ印象の違うタレントも珍しいのではないでしょうか。それは、いとうせいこうが、それぞれのジャンルで一流といえる活動をし、人々をひきつけてきたからだといえます。

ミュージシャンとしてのいとうせいこうは、日本語ラップのパイオニアとして、新なジャンルを打ち立て、人々を惹きつけたことを、現在活躍する多くのミュージシャンが認めています。
お笑いや舞台の世界では、シティーボーイズや劇作家の宮沢章夫、竹中直人らと「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」で新しい笑いや世界を提供してきました。

軽妙なトークと、豊富な知識で、ラジオパーソナリティーや、コメンテーターとしても活躍していますし、小説家としても数多くの著作を世に送りだし、2013年刊行の「想像ラジオ」は、あまたの文学賞の候補になりました。

そんな、いとうせいこうの才能が世に出始めたのは、学生時代。ピン芸人として活動を開始したところ、その面白さから、パーソナリティーにならないかと、ニッポン放送から誘われたこともあったとか。しかし、多くの若者ならば大喜びで飛びつくような話ですが、いとうせいこうは違いました。

「面白い若いやつを連れてくる側になりたいんだ」と思い、「出たくないけど、ラジオの仕組みを勉強したいってお願いした」といいます。普通はなかなか思いつかない発想ですが、議員の息子として東京で生まれ育ち、エリートコースを歩んできた人の余裕がそうさせた部分もあったのかもしれません。そしていとうせいこうは、今や伝説となっているタモリのオールナイトニッポンのADになりました。そのAD経験が、いとうせいこうの今後の仕事に大きな影響を与えます。

制作スタッフの仕事を経験したことで、いとうせいこうは、「たとえば1人の出演者が面白いことをしても、それでは番組にはならないということを、そっちの世界をかじっていたから分かっていたんだと思います。結局、ワンコーナーに使われておしまい。そうじゃなくて、全体の枠を作る仕事のほうが面白いよなって」と感じたそうです。その想いから、大学卒業後は出版社に入社し、編集者としても活躍していきます。

いとうせいこうは、仕事を通して、客観的に物を観ることができる視座を手に入れたのでしょう。これこそ、いとうせいこうが、あらゆる活動をしても、独りよがりにならず、どの活動もしっかりそのジャンルで成立するゆえんといえます。このいとうせいこうの絶妙なバランス感覚がどこまで持続するか、ぜひ見守っていきたいところです。

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