ムーディ勝山がマーライオンの新ネタで再ブレイク図る!現在の年収は?
ムーディ勝山がマーライオンの新ネタもやっぱりあの曲!一発屋芸人の哀愁がスゴイ
ムーディ勝山は、2006年に「右から左へ受け流すの歌」で一世風靡し、2008年には消えていった芸人です。”一発屋”という不名誉な称号が与えられ、そろそろ人々の記憶から、ほぼ消されようとしていた2012年、ムーディ勝山の新ネタ「マーライオン」がYouTubeにアップされていると話題になりました。
動画をチェックしてみると、暗闇の中、何やら悲し気にカメラに背を向けるムーディ勝山の姿が。まさかとは思いましたが、ゆっくりと振り向きながら口ずさむメロディは、性懲りもなく”チャラチャッチャッチャラッチャ~”ではありませんか。最盛期のムーディ勝山は、「右から左へ受け流すの歌」の大ヒットに乗じて、陣内智則・藤原紀香元夫妻の披露宴で歌った「19時に始まり21半に終わる披露宴の歌」など、多くの歌を発表しています。そのほとんどが同じメロディであることがウケた時代もありましたが、まだやっていたとは驚きです。
ムーディ勝山の現在の年収とは!マーライオンのヒットならず月収640万円から無収入に!?
ムーディ勝山の「右から左へ受け流すの歌」は、着うた240万ダウンロードを超える人気ぶりで、社会現象と呼べるほどの一大ブームとなりました。常にスケジュールは真っ黒で、最高月収は640万円を記録したといいます。その後、すっかり落ちぶれてしまったムーディ勝山でしたが、渾身の新ネタ「マーライオン」は、読売テレビ「にけつッ!」で3週にわたって宣伝してもらうも、再ブレイクとはなりませんでした。
「マーライオン」は、シンガポールに旅行中、マーライオンを見ようとして転んでしまい、i-Phoneを水中へ落としてしまった悲しい男の歌。旅のために買ったポーチも服も、泥まみれになってしまったという切ないエピソードは、YouTube動画の中で歌い上げるムーディ勝山が、ついさっき、その場所で受難したことでした。身を呈して制作した「マーライオン」でしたが、この年には、ほぼ無収入となっており、現在も年収が増加したという話も聞きません。
しかし、久しぶりに、あのメロディを寂しげに口ずさむムーディ勝山を見ると、やはりニヤッとしてしまいます。どんなに落ちぶれようとも、稀に出現して笑わせてくれる点では、さすがかつての大スターというべきかもしれません。
ムーディ勝山と結婚した嫁の生活は大丈夫?元相方はどんな人?
ムーディ勝山は無一文のクズ夫なの?結婚した嫁の健気さが涙ぐましい!
ムーディ勝山は、最高月収640万円を記録した2007年、東京都内の3LDK・家賃30万円のマンションで、無名だった大阪時代から交際している熱愛彼女と同棲生活を送っていたそうです。考えもなく散財の限りを尽くし、無一文に近い状態まで失墜したムーディ勝山ですが、2011年に同棲中だった熱愛彼女と結婚し、同年10月には子供も生まれています。だからこそ、生活レベルを落とすべく、ワンルームに引っ越したことには合点がいきます。
しかし、家賃だけではなく、生活費のほとんどを嫁が働いて負担しているとは何事でしょうか。なおかつ、20時に帰宅してから夕食の支度をするなど、どう考えても酷使しすぎです。それでも、「彼が売れているときはイイ思いをさせてもらったから、今は毎日一緒にいるだけで楽しい」と、嫁はどこまでも健気な姿勢を崩しません。
一方で、ムーディ勝山は、巨乳美女の写真収集に興じるという、俗物っぽさを全開にしています。嫁がAカップという情報はさておき、これが原因で離婚に発展するということにならないように、嫁を労ってほしいものです。
ムーディ勝山が寄生虫呼ばわりした元相方・梶剛は地道に成功を収めていた!
ムーディ勝山が、元コンビ芸人で、相方がいたことを知っている人はそれほど多くないでしょう。吉本お笑い養成所・NSC大阪校に23期生として在籍中だったムーディ勝山こと勝山慎司は、2005年に、1期上の梶剛と、お笑いコンビ「勝山梶」を結成しました。そして翌年、他人のライブで実験的に披露したムード歌謡ネタが大ウケし、ムーディ勝山を名乗るようになると、「右から左へ受け流すの歌」のブレイク期がやってきます。
この頃から、梶剛は、”相方が売れている芸人あるある”をネタにしたり、ムード歌謡ネタに対抗して、”メロディ梶”というキャラを創出したりと、ムーディ勝山とのコンビ格差が顕著になりました。当初のムーディ勝山には、コンビとして売れたいという思いがありましたが、次第に、相方の梶剛を”寄生虫”呼ばわりするようになり、「アイツのフォローをしているうちに、ピンの仕事が減った」とまで言い出す始末。
それにもかかわらず、いざ自分に落ち目がやってくると、コンビ名を「勝山梶」から「アイスクリーム」に改名して、梶剛と再起を図ることに。しかし、それもうまくいかずに、2010年をもってコンビ解散となり、ムーディ勝山の本当の不遇時代が始まります。一方で、梶剛は、”梶つよし”と改名し、今や故郷・香川のご当地タレントとして、レギュラー7本を抱えているそうです。”ウサギとカメ”とはまさにこのことです。
ムーディ勝山「しくじり先生」登壇!世間から受け流された男が改心した理由とは?
ムーディ勝山が、2016年10月31日放送の「しくじり先生 俺みたいになるな!!3時間SP」に出演し、”見下していた相方に立場を逆転されてしまった先生”として、教鞭をふるいました。「右から左へ受け流すの歌」のブレイクで調子に乗ってしまい、ほどなく世間から受け流されてしまったムーディ勝山には、なるべくしてなった重大な欠点がありました。ムーディ勝山は、プライドが高すぎることで有名です。
1980年6月11日生まれのムーディ勝山。最盛期は26~27歳と若く、タガが外れやすい年齢だったのかもしれません。だからといって、相方をボロ雑巾のように捨てるとは、勘違いも甚だしいもの。プライドの高さゆえに、一気に仕事がなくなっていった2009年以降は、日中を公園で過ごすなどして、現実から目を背け続ける日々を送っていたといいます。
その性格をよく知る嫁は、あえて仕事の話題に触れず、1人で家計のやりくりに奔走しているというのに、当の本人は「仕事がない」と、先輩芸人に愚痴を言うばかりでした。そんなムーディ勝山が、ケンドーコバヤシから、「暇なら、なぜあいさつ回りに行かないのか」と叱咤されたことで、目が覚めたのかもしれません。
2012年以降は、収入が目減りする中でも、プライドの高いムーディ勝山が、「マーライオン」をはじめとする自虐ネタができるようになったことは大きな成長です。それからというもの、ムーディ勝山の元には、少しずつ地方営業の仕事が舞い込むようになりました。
そして驚くことに、元相方・梶剛からも救いの手が差し伸べられ、香川県で漫才を行ったり、四国のテレビ局で共演を果たしたりしたそうです。嫁や元相方、先輩芸人たちの愛情に触れ、無駄に高いプライドと決別したものと思われるムーディ勝山。地道な努力と、感謝の心を忘れず、今度こそ確かな立ち位置が見つかるといいですね。