小林旭と浅丘ルリ子の破局理由!美空ひばりとの関係を語る!

小林旭と浅丘ルリ子の破局理由!美空ひばりとの関係を語る!

小林旭は石原裕次郎と人気を二分した昭和の大スター

小林旭は、1938年生まれの78歳。昭和の大スターといえば、今では、亡くなった石原裕次郎の代名詞になってしまいましたが、実は、石原裕次郎に負けず劣らず、凄まじい人気を誇っていたのが小林旭です。

そして小林旭は、今も健在です。……良くも悪しくも、当時のマイトガイ小林旭のままで。1956年、明治大学を中退し、日活より映画デビューした小林旭。1959年から1962年までに8作品が制作された「渡り鳥シリーズ」で一世を風靡します。ストーリーは単純明快。元刑事で、「流し」をしながら全国を旅する主人公が、その土地土地の悪人をやっつけては、ヒロインを残して去っていくというヒーロー映画です。ヒロインは、デビューして間もない浅丘ルリ子が務めました。

今から見れば、「渡り鳥シリーズ」は、人気アイドルによる、ディスカバージャパンのような映画であったといえましょう。若い2人が、何作も恋人役で共演すれば、当然恋心も生まれます。1960年、まだ20歳を過ぎたばかりの小林旭と浅丘ルリ子は、同棲を始めました。

しかし、所詮はアイドル同志のおままごとだったようで、後に浅丘ルリ子が語ったところによれば、男女の関係もなかったのだとか。

小林旭と美空ひばり、大スターの結婚と離婚に反社会集団の陰が

小林旭が結婚したのは、浅丘ルリ子ではなく、美空ひばりでした。実は、演歌の女王・美空ひばりも、幼くしてデビューしてから歌ひとすじで、恋愛にはとても疎かったそうです。1962年、美空ひばりは、少女時代からの人気のピークが過ぎ、大人の女性へと脱皮しなければならない時期を迎えていました。

小林旭もまた、さすがにマイトガイの人気に陰りが見えていたこの時期。そんなスターの孤独な気持ちが触れ合ったのか、雑誌の対談で意気投合した小林旭と美空ひばりは、ろくに交際もしないまま結婚します。小林旭24歳、美空ひばりは25歳の若さでした。一説には、結婚に煮え切らない小林旭に対して、焦った美空ひばりは、彼女の後見人ともいうべき、三代目山口組組長田岡一雄を通して、結婚をせまったともいわれています。

しかし、やはり大スター同士の結婚。お互いにスターとしての面子を崩すことができず、ものの1年半あまりで、小林旭と美空ひばりは離婚してしまいました。今では考えられませんが、その離婚会見の席にも、田岡一雄組長が後見人として立ち合い、「2人は、理解離婚である」と口を添えています。

このビックカップルの離婚は、当時、芸能界とやくざ組織が渾然一体の関係であったことを、世に知らしめた事件でもありました。

小林旭のヒット曲メドレー!年齢を重ねても性格は最恐!?

小林旭は昭和歌謡の世界でもトップ歌手だった

小林旭が活躍した映画界は、やがて斜陽となりました。それでも、トップスターの石原裕次郎は、映画にこだわり、自分で映画を作るためにも、テレビ番組制作を手がけるようになります。一方の小林旭は、歌に活路を見出しました。「渡り鳥シリーズ」の中で歌った、日本各地の民謡や俗謡をアレンジした「アキラのズンドコ節」や「アキラのダンチョネ節」などの挿入歌が、次々とヒットします。

また、当時の自動車ブームに乗った「自動車ショー歌」など、小林旭独特のノーテンキな歌が数多く作られました。さらに、「北帰行」や「惜別の唄」など、哀愁あふれるバラードソングや、「純子」「昔の名前で出ています」も大ヒットします。他にも、小林旭自らが出演したCMソング「赤いトラクター」や、コーヒーのCMソングから火のついた「熱き心に」になど、昭和の時代に、並みの歌手では到底及ばないヒット曲を放ち、歌手としても大成功を収めました。

小林旭はいくつになっても芸能界のことしか知らない昭和の大スターのまま

小林旭は、ある意味、現在に至るまで、デビュー当時のマイトガイのままです。良く言えば、豪放磊落。悪く言えば、芸能界しか知らないお山の大将なのかもしれません。そんな小林旭も、デビュー20周年の記念リサイタル開く前には、ゴルフ場開発に失敗し、2億円の負債を抱えます。

しかし、これら負債も、ヒット曲の歌唱印税や、歌謡ショーを主催して全国を回ることで、すべて返したそうです。さすが腐っても鯛。加山雄三もそうでしたが、歌う昭和の大スターはたいしたものです。

小林旭は香港ノワールにも影響与え今や都市伝説化した?!

小林旭の代名詞ともいえる日活の「渡り鳥シリーズ」は、実は、香港や東南アジアで、何度もリバイバル上映され、香港ノアールの旗頭ジョン・ウー監督などにも大きな影響を与えています。たしかに、ジョン・ウー監督の代表作で、チョウ・ユンファ主演の「男たちの挽歌」シリーズなどは、かつての日活アクション映画を彷彿とさせる作品でした。また、映画だけでなく、小林旭の歌も、アジア各国でヒットしたようです。

直木賞作家でエッセイストであった景山民夫は、マレーシアのクラブで、地元のヤクザに「旭日大兄の歌を歌え」とからまれたとか。おそらく小林旭のことだろうと、「ギターを持った渡り鳥」や「北帰行」「アキラのずんどこ節」などを必死で歌って、えらく相手に気に入られたという、まことしやかなエピソードを残しています。

しかし、今の小林旭は、昭和の大スターのまま時が止まっているようです。さらに、1970年代に「仁義なき戦い」でみせたコワモテぶりのイメージが、小林旭を都市伝説化させています。たとえば、小林旭が「ダウンタウンDX」に出演中、隣がトークしているのもお構いなしにフリスクを取り出して食べても、あのダウンタウンが何も言えなかったというような最恐エピソードが、いくつも伝えられているのです。

しかし、本当に問題なのは、小林旭が、昭和の時代のまま、反社会集団との付き合いを公然と続けていると噂されていることでしょう。昭和の大スターの1人として、小林旭には、晩節を汚さないようにしてほしいものです。

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