森田正光の天気予報が面白い!天気予報士になったワケとは?

森田正光の天気予報が面白い!女性問題で離婚していた!?

森田正光の天気予報が面白い!天気予報はエンターテイメント!?

森田正光は、お天気キャスター歴47年というベテラン天気予報士です。現在は、株式会社ウェザーマップの代表取締役をしています。天気予報士は、天気を伝えることが仕事です。しかし、天気予報はエンターテイメントだというのが森田正光流。自身は、天気を分かりやすく伝えるプロであるとの自負があるからこそ、あえて「お天気キャスター」と名乗っています。

たとえば、「雨ってどんな形?」というフリップみて、「雨の形、実はアンパンの形なのです」と言い、その理由を説明。その後に、なんと、アンパンを食べ出したりすることも。森田正光は、常日頃から「どうしたら天気予報を楽しく見てもらえるか」ということばかり考えているといいます。そんな森田正光のアイデアから生み出されたものの1つが、今では当たり前となっている天気予報の時間別表示。雲の動きを分かりやすく説明するノウハウを発展させたのも森田正光でした。

森田正光は女性問題で離婚していた!?まさかの不倫騒動とは!!

明るく優しそうで、家庭的に見える森田正光ですが、過去には、不倫相手との密会場面を2回もスクープされています。それは2002年。森田正光は、20歳も年下の女性との関係を週刊誌にキャッチされました。不倫が報じられた前年に、妻との離婚が成立していたため、離婚の原因も、不倫によるものだったのでは?と騒がれました。後年、森田正光自身も「女性関係が離婚の原因」と認めています。不倫スキャンダルが報じられた後には、20歳年下のお相手にもふられてしまったようです。

森田正光が天気予報士になったワケ!出身校やプロフィールは?

森田正光が天気予報士になったワケ!プアネタリウムが好きな少年だった!

森田正光には、9歳の時に、伊勢湾台風に家を直撃された経験があります。その時の光景を忘れることができなかったことも、天気予報士になったきっかけの一つだそうです。また、小学5~6年の頃、夜空の解説を聞くのが大好きで、毎週のように名古屋市科学館のプラネタリウムに通っており、これも動機になりました。そんな森田正光が、高校の担任に勧められて入社したのが日本気象協会。1992年には、フリーのお天気キャスターとして活躍しはじめます。

森田正光の出身校やプロフィールは?

1950年4月3日生まれで、愛知県名古屋市出身の森田正光。愛知県立犬山高等学校を卒業後は、日本気象協会東海本部に入社。1992年には、気象予報会社のウェザーマップを設立すると同時に、フリーに転身しました。以後、TBS「Nスタ」のお天気コーナーなどにレギュラー出演し、ユニークで親しみやすい気象解説で人気を集めています。

実は、テレビなどでおなじみの顔になっていたにも関わらず、1993年に新設された気象予報士の第1回資格試験では不合結果となり、話題になったこともありました。もちろん、翌年にはみごと合格し、合格率4%という難易度をクリアしています。晴れて気象予報士としてテレビやラジオに出演するほか、執筆活動も行っており、「よくわかる! 天気の変化と気象災害」「天気予報の秘密、全部教えます。」など、森田正光の著書は多数。

2005年には日本生態系協会理事に就任し、2013年には「生物多様性リーダー」に任命されるなど、気象に関する知識を生かしながら、活動の領域を広げて活躍を続けています。

森田正光は過去に謹慎処分を受けていた!?「明るい天気オタク」の生き様とは?

森田正光のことを「明るい天気オタク」と表現したのは、TBS「ニュースの森」で共演していた、元キャスター杉尾秀哉です。どんなにいじられても、明るくかわすところもの魅力だと語っています。そんな森田正光は、若かりし頃に3連続の大失敗を犯したとか。

その当時、日本気象協会に所属していた森田正光が担当していたのはラジオのお天気コーナーでした。そこで犯した最初の失敗は、1分間も無音の状態を続けてしまったこと。もちろん、森田正光は一生懸命に原稿を読んでいたのですが、マイクがオフになっていることに気づいていませんでした。

2度目は、自分が担当する番組とは違う放送局のブースで、番組が始まるまでずっと待機し続けてしまったという失敗。3度目は、大型台風が上陸し、問い合わせの電話対応に追われていたため、自分が出演するはずだった番組の放送時間が過ぎてしまっていたというものです。この3連続の失敗には、謹慎処分が下り、放送局からは「もう出演させない」とまで言われたそうです。

さまざまな経験を乗り越えてきた森田正光ですが、エンターテインメント性の高い気象予報で人気を得た理由には、物事を徹底的に調べる姿勢や、仕事に対するこだわりが人一倍強いという気質がありました。その性格は、中学2年の時に、脳卒中で倒れて3日後に亡くなった、板金工で職人気質だった父親にそっくりだといいます。

ここまで来るには、決して順風満帆だったわけではなく、たくさんの失敗もあったと思います。これからも、「明るい天気オタク」として、誰も知らないようなおもしろいお天気ネタを期待しております。

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